zames_makiのブログ

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映画シンポジウム日本/中国映画往還(四方田犬彦)

日本映画シンポジウム 日本/ 中国 映画往還
世話人四方田犬彦
場所:明治学院大学白金校舎 本館1101教室(南北線「白金台」・都営浅草線高輪台」駅、駅下車徒歩7分、JR「目黒』駅、「品川」駅より都バス(品93系統)で5分)
時間:10:00〜17:30
入場無料

感想

四方田氏のシンポを覗くのは久しぶりだ李香蘭以来か。

  • 門間貴志『岩崎昶の神話』:真面目な分析が参考になる。「迎春花」は大陸3部作のパロディにも見えるが門間氏はそこまで言わない。ハルピンのシーンは満洲の多民族性を宣伝するためとの分析、本当だろうか?この映画の主人公の日本男子は確かに満洲を理解しようとしているが一方でその言葉使いなど非常にぞんざいで差別的視点を感じる。「私の鶯」にカットの少ない版が存在するのを知った、是非見たい。関東軍をどう描くのか。岩崎昶は多くの中国・左翼映画を見ずに紹介した。同時に彼はナチプロパガンダ映画の日本での最大の紹介者で、彼は確かにそれらの映画を見ていないがその描写評価は信頼すべきものに思える。岩崎昶は確かに「漁光曲」を見ずにそれを誉めたが、政治的にそれを評価したその内容は正しいように思う。
  • 岸富美子『満映・新中国・「白毛女」』:お話は興味深いがNHKの番組を見ていたので特に付け加えることはない。しかし1950年代後半、中国からの帰還者への冷たい扱いはもろ戦犯だった中帰連への扱いと同じで、悲しい。日本映画は1950年代に多くの中国帰還者のエピソードを映画で描いたが、こうした帰還者への差別はなかったと思う。日本映画が日本人が加害者であった事を描かぬのに加え、2重の戦争のタブーかもしれぬ。
  • 四方田犬彦満洲引揚げとメロドラマ』:「流れる星は生きている」の冒頭を確認。四方田氏の勇ましい研究宣言だった。日本人の最大の過ち・不幸は、「全てをセンチメンタリズムに流し、過去の歴史やその過ちを正視せず、自分を被害者としてしか認識しない点にある。これは核兵器を持つより甚だしい害を世界に及ぼす」は凄い。しかし読者にその主張を納得させるためには、映画やドラマを通じた日本人の戦争や歴史イメージについての、いや歴史認識状況についての詳細な分析が必要に思える。
  • 一方四方田犬彦氏の「イスラエル満洲と同じ、偽の国家であり、その映画は同じプロパガンダ的特性故の特徴をもつ。両フィルムを分析することでイスラエルが欺瞞の仮の国家であることを示したい」には感動する。まったくの同感だ。パレスチナ難民の帰還によりユダヤ人が少数派になり自ら掲げる民主主義の原理でユダヤ主権国家イスラエルは消滅するのは、定まった将来だ(それがいつになるかは判らないが)。
  • アン・ニ『冷戦の狭間で−1950年代の日中映画交流』:つまらない、寝てしまった。国民党が作った映画が共産中国で封殺されている状況を正面から扱う刊行される著書に期待しよう。
  • 上野昂志『1960年代までの日本映画と中国』:ある意味で最も興味深い講演。最も批判されるべき言論。「日本の戦争映画には敵は描かれない」にひどく拘るがそこに特別な意味はないだろう、それは日本の戦争映画は物語の主体である日本軍を主に描き、自軍の敗北の様子を描くのが主題であるという物語特性からくる一般的特性にすぎない。同じ主題であれば同じような事は他国の戦争映画にもおきている。評論家や研究者が戦争映画を忌み嫌い他国のものと比較していないから未だに言われるのだろう。例外として新東宝の「憲兵」が出てくるのは、東映や日活の娯楽戦争映画が研究されていないための隘路であり本来は無視されるべき映画だ。新東宝の戦争映画は映画言説の主流ではないのでそうした文脈で扱うべきだ。もし新東宝のものを分析対象にするなら一大メジャーである「日露大戦争明治天皇」とすべきだ。
  • 李櫻(リ・イン)監督、自作を語る:今回のシンポでの驚きの収穫。日本的テーマについて日本国内で日本語で、中国人が中国と日本の資本で製作した映画とは日本映画のなのか?そもそも日本映画とは何か?「靖国YASUKINI」は日本映画なのか?しかし四方田氏にはもう回答は出ているはずだ。私の回答は「日本人を観客に想定した映画が日本映画である」。従って多くのアメリカ映画はアメリカ映画であると同時に世界映画と言うべきだろう。結論として「靖国」は日本映画であり中国映画ではないだろう。他国人は監督が期待したようにはその主題に関心を寄せないのではないか?中国人はコスプレ軍人の滑稽さを笑うかも知れないがその奥にある日本の旧体制へのノスタルジーや熱望をこの映画から感じるとは思えない。中国人には滑稽な軽い映画としか扱われないのではないか?
  • アン二×四方田犬彦 討議:アン二氏は抑えすぎだ。四方田氏の日本のセンチメタリズム批判には敬服する。四方田氏は大島渚の「日本の戦争映画には敵は描かれない」を「日本映画は大東亜戦争での日本の加害性を描いていない」という意味に拡張して使用しているが、それは正しい。

明治学院大学 映画シンポジウム第14回「日本/ 中国 映画往還」

10:00 開会
10:20 門間貴志『岩崎昶の神話』
11:10 岸富美子『満映・新中国・「白毛女」』
12:00 休憩
13:00 四方田犬彦満洲引揚げとメロドラマ』
13:50 アン・ニ『冷戦の狭間で−1950年代の日中映画交流』(注1)
14:40 休憩
15:00 上野昂志『1960年代までの日本映画と中国』
15:50 李櫻(リ・イン)監督、自作を語る(注2)
16:50 アン二、四方田犬彦  最終討議〈終了17:30予定〉
…1930年代に岩崎昶が上海に遊び、当地の映画のすばらしさを帰国後に喧伝したとき、日本と中国の長い映画交渉史は始まった。その後、日本の中国侵略と満洲国の成立という不幸な時期を挟み、日中の映画人はお互いに映画を見合っては切磋琢磨を続けてきた。少なからぬ日本人が新中国の映画制作に協力し、現在では中国から日本に渡って映画を撮り続けている監督もいる。倪震(ニーチェン)注3四方田犬彦『日中映画論』(作品社)、アン・ニ『日本中国映画交渉史』(岩波書店近刊)の刊行を記念して、記録映画からメロドラマまで、広大な領域にわたって繰り広げられた両国の映画往還のあり方を、ここに歴史的に検証する。

注1:晏女尻(アンニ):

「戦時下の日中映画交渉史」(岩波書店、2009)一橋大学博士論文(http://www.soc.hit-u.ac.jp/research/thesis/doctor/?choice=exam&thesisID=168)。

考察の対象として設定した時間は、1920年代後半から戦争終結の1945年に至るまでのおよそ二十年間。戦争を挟んで対立していた日本と中国において、映画のあり方はこのように酷似しており、ナショナルシネマの成立はどちらも戦争期と重なっていた。 エドワード・W・サイードは『文化と帝国主義』の中で、「抵抗を、帝国主義に対するたんなる反応ととらえるのではなく、人間の歴史を構想するオルターナティヴな方法とみなす」

 この時期の作品はたとえ、表面的には協力と融和の素振りを見せる時があったとしても、それはあくまでも、被侵略側の屈折した抵抗を表現したものにすぎず、テクストの深層に反抗の叫びを潜ませている。本論文はそうした映画史の細部や、あるいは映画テクストとそれをめぐる言説に絞って検証を行った。

注2:李纓(リ・インLi Ying):

映画「靖国YASUKUNI」監督。日本在住19年の中国人監督。日本人の軍国主義の象徴である靖国神社を訪れる様々な人々を10年にわたって取材したドキュメンタリー。真摯かつニュートラルな眼差しでスケッチ。

注3:倪震(ニイ・チェン):

『日中映画論』四方田犬彦と共著(作品社)=日本で初めて出た中国人による中国映画研究書、その政治性に注目!
1938年生まれ。北京電影学院美術学科卒。北京電影学院教授を経て、現在は評論家。「日中映画論」(2008)共著者。映画脚本に『紅夢』『独身女性』。著書に『探求的銀幕』、『改革中国電影』、邦訳のある著書に『北京電影学院物語 第五世代映画前史』(全国書籍出版)。
http://inscriptinfo.blogspot.com/2009/06/33.html