zames_makiのブログ

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戦場のレクイエム(2007)集結號

ASSEMBLY 124分 中国 公開年月 2009/01/17 シャンテ シネ他全国ロードショー
監督:フォン・シャオガン 脚本: リュウ・ホン
出演:チャン・ハンユー(グー・ズーティ)
ドン・チャオ(チャオ・アルドウ)
ユエン・ウェンカン(ワン・ジンツン)
タン・ヤン(スン・グイチン)
=製作費:中国戦争映画史上最高の17億円、公開されると記録的ロングラン。約400万人を動員し、興行収入は37億4000万円以上、中国歴代第2位。
中国のアカデミー賞「第17回金鶏百花映画祭」では、最優秀作品賞、最優秀監督賞など、主要4部門を独占。韓国でも第12回釜山映画祭オープニングを飾り、150館を超える劇場で大規模公開された。

 「女帝 [エンペラー]」のフォン・シャオガン監督が中国“国共内戦”とそれが引き起こしたある悲劇の実話を描いた戦争ドラマ。内戦で部下を全て失いただ一人生き残った男が、その後の人生を捧げて部下の名誉回復のために奔走する姿を、迫真の戦闘シーンと深い人間ドラマで描き出す。
 1948年、第二次大戦後に始まった中国共産党と国民党の対立はついに内戦へと発展、毛沢東率いる中国共産党人民解放軍と、蒋介石の国民党軍は激しい戦闘を繰り広げていた。中でも、最も熾烈を極めたと言われるのが准海(かいわい)戦役だった。人民解放軍に所属する第9連隊はそんな准海の最前線に送られる。そして旧炭鉱防衛の任務を与えられ、隊長のグー・ズーティには“旧炭鉱を正午まで死守し、集合ラッパを合図に撤収せよ”との指令が下る。しかし、圧倒的な戦力差を前に次々と命を落としていく部下たち。やがて負傷した兵士の“集合ラッパを聞いた”との進言にも確信が持てずにそのまま戦闘継続の判断を下すグーだったが…。【ウェブリンク】
http://www.requiem-movie.jp/

メモ

この映画を「普通のいい映画」と評価してしまうとは、やはり戦争と映画の関係を知らなさすぎますね。
 これは中国でくりかえし描かれてきた中国の関係した戦争を描いた一連の映画の最新の作とみなすべきでしょう。描写方法はぐっとアメリカ流となり、特撮を多用しアクション映画の興奮と同時に、謎解きの面白みを加えクライマックスへ興奮を誘う判りやすいストーリーという、日本人などの外国人にもわかる娯楽的要素の多いものですが、その本質は変わっておらず祖国を守った者を賞賛する愛国的映画ですね。
 したがってパレスチナ問題で焦点になるような、どう描くことが公正なのか?本来何を描くべきなのか?という政治的問題性はまったく検討されていない/進歩していない。そこでは台湾の中国人の観客は考慮されていないし、同時に共産中国の成り立ちや、戦争をどう記憶すべきなのかという自身の問題にも何も立ち入っていない。
 そうした映画を日本人が「いい映画」と言ってしまうのはあまりに愚かだ。これは題材が国共内戦ではなく抗日戦争であったならすぐわかること。日本人はその映画をけして誉めず、まったく違う視点から問題視するからですね。
 あるいは無邪気な日本人の好きな平和主義からしても、これは友情という題材で観客を騙し、結局背景である戦争を観客に肯定させる恐ろしいプロパガンダと言える。パレスチナ人が殺される事に異議を唱える人が、この映画では台湾人(国民党兵士)が一方的に殺されることには喝采を叫んでしまう。これが映画の魔力ですね。

映画評(読売新聞 2009年1月16日)

戦場のレクイエム」 (中国)軍の隠蔽 真実求め抗議
 日本の敗戦後から中華人民共和国成立まで。1946年から3年余り続いた第2次国共内戦。その国民党軍と人民解放軍の戦いは熾烈を極めたという。これまで歴史に埋もれていた内戦の秘話が今、スクリーンによみがえる。

 ひとことでいえば、人民解放軍兵士の名誉回復の物語である。華北から華東一帯の前線で、連隊長を除く47人全員が突撃して戦死するという悲劇が起きる。その時、撤退の合図を聞きもらしたと思い込んだ連隊長は、自責の念に駆られる。だが、すべては軍が仕組んだ非情な作戦の結果だと判明して……。

 実話に基づいた軍隊の内部告発である。その不正に対する激しい怒りと悲しみ、戦友への贖罪の思い。犠牲者の遺体を炭鉱跡に埋めたまま、失跡扱いして真実を隠蔽しようとする軍の卑劣な態度に、連隊長は抗議し独り立ち上がるのだ。

 一時代前の中国映画なら考えられないほど自由な空気が立ち込めている。戦闘シーンも韓国の最先端の特撮を導入して臨場感たっぷり。撮影技術も向上した。それもこれも「改革・開放」を進める中国の余裕と自信の表れか。戦死した兵士の名誉回復を認め、過去を悔い改めた人民解放軍をたたえるような終幕は、ちょっと構え過ぎだけれども。フォン・シャオガン監督。2時間4分。日比谷・シャンテ・シネ。(映画評論家・土屋好生

映画評(中国研究者・矢吹晋 自己サイトにて公開)

「戦場のレクイエム」は画期的な映画だ
http://www25.big.jp/~yabuki/2008/requiem.jpg

映画評(紀平重成 毎日新聞 2009年1月16日)

銀幕閑話(紀平重成=毎日新聞編集委員、文化面担当)第226回 集合ラッパは鳴ったのか

中国映画「戦場のレクイエム」は、韓国の特撮チームと提携して撮ったリアルな戦闘シーンが見どころの一つになっている。これは一切の戦闘シーンも登場しなかった「チェチェンへ アレクサンドラの旅」(本コラム225回で紹介)とは対照的な描き方ながら、戦争の非情さを余すところなく伝え、かつ戦争がいかに非人道的で心に深い傷跡を残すものであるかを考えさせるのである。

 舞台は1948年、共産党人民解放軍と国民党軍による国共内戦の行方を決定付けた淮海(わいかい)戦役。最前線に送り込まれた第9連隊は国民党軍の数度の猛攻に耐え抜くが、撤退命令(集合ラッパ)の有無にこだわったグー・ズーティ隊長は47人の部下全員を失い1人生き残る。中国語で集合ラッパを意味する「集結号」が映画の原題だ。

グー隊長率いる第9連隊は国民党軍と対峙(たいじ)する 47人の遺体は行方不明となり革命に貢献した烈士とは扱われないことに怒ったグーは、ラッパを聞き逃したのではという自責の念と相まって、仲間の名誉回復に1人立ち向かう。それは巨大な党や軍を動かすという困難をともなう闘いだった。

 グーを兄貴と慕う年下の元上官チャオ・アルドウは、なかなか訴えが届かず気をもむグーをなだめる。「10数万通の手紙が寄せられ、開封さえされないで置かれているんだ。気長に待て」と。

 フォン・シャオガン監督は、組織が大きすぎて情報がきちんと流れない党や軍の構造的欠陥をさり気なく描く。これは中国映画としては一歩踏み込んだ描写だといえるだろう。

孤塁を守るグー隊長だが、次々と部下が倒れていく さらに人民解放軍をひたすら善玉扱いする描き方はせず、その一方で戦闘シーンの迫力ある映像など、中国映画をまったく新しいレベルにまで引き上げる記念碑的な作品といえるかもしれない。

 もっとも物語の展開は商業映画の王道を歩んでしまったようだ。グーの孤独な闘いには最後に感動的な場面が用意されている。一昨年公開された北京では中年以上の男性がポロポロと涙を流したというのも想像ができる。結末は多くの観客から支持はされても、現実はもっと厳しいのではないかという疑問は残る。不公平な扱いから農民暴動が多発している最近の中国事情が、それを証明してはいないだろうか。

 映画に感動した早稲田大学の中国人留学生らが中心になって、作品の試写会とディスカッションを先日構内で開催した。会場の大教室は150人を超え、ほぼ満席。観賞中は鼻をすする学生の姿も見られた。上映の後、「人の命を粗末にしたことが問題なのか、それとも名誉を評価されないことが問題なのか」や「戦争を美化したとは言わないまでも、体制を擁護する、正当化する作品では」などの質問が日本人学生から出された。これに対し留学生からは「戦争美化とは思わない。人間関係を描いている」と擁護する声が相次いだ。

師団長の墓所でグー元隊長は驚くべき真実を打ち明けられる 同じ作品でも見方が様々だ。登壇した政治経済学部の砂岡和子教授がまとめる形で「日本と中国では文化が違う。中国は日本人が理解できないほど動乱の歴史を生きてきた。(毛沢東の)“鉄砲から政権が生まれる”という考え方もまだ残っている。互いに違いを理解し、対話を進めて信頼関係を作っていくしかない」と発言した。

 このような討論が行われたのも、中国で400万人が見る大ヒット作となり、内戦相手の国民党軍が移った台湾でも「金馬奨」2冠に輝くなど国際的に注目されているからだろう。
 フォン監督は「歴史は命をかけた人々のことを忘れない。勇気と犠牲をテーマにしたかった」と製作意図をプレス資料で明らかにしている。その思いに理解を示しつつ、「勇気と犠牲」という言葉がなんと戦争になじみ深いことかと驚かされる。この美しい言葉はできれば戦争映画以外の作品で使われてほしいものだ。私はそう思う。

 「戦場のレクイエム」は17日から東京・シャンテシネ、ヒューマントラストシネマ渋谷文化村通りほか全国で順次公開。

映画評(佐藤忠男 VarietyJapan 2009/01/15)

http://www.varietyjapan.com/review/2k1u7d00000hpbgq.html
フォン・シャオガン監督の力作: 果たして命をかける意義があったのか、という疑問も改めて:中国の戦争映画はかなり見てきたが、たいていは日中戦争を扱ったもので、国共内戦を描いた作品は珍しい。日本との戦いなら外国からの侵略者を追い出すということで、共産党人民解放軍にしろ、国民党政府の国民党軍にしろ戦争目的ははっきりしているが、国共内戦は同胞同士の戦いである。当時はイデオロギーの違いだけで互いに相手を憎めたのだろうが、共産党が資本主義みたいなことをやっている今になってみると、それには果たして命をかける意義があったのかどうか、あらためて疑問も浮かぶのではないか。

戦闘描写が激烈であるほど、兵士たちの死は空しく: この映画はだから、国共内戦でも最大の激戦だったらしい戦闘を人民解放軍の側から描きながら、国民党軍をやっつけなければならない理由はなにも言わない。にもかかわらず敵も味方も徹底的に戦う。とくに主人公グーのひきいる部隊は全滅するまで戦いぬき、ただひとり生き残ったグーは全滅した彼らの功績を記録に残して讃えるということに残りの生涯を傾けつくす。中国の一般観客はこれをどんな気持ちで見るのか分からないが、戦闘描写が激烈であればあるほど、少なくとも私には、そこで死んだ兵士たちが気の毒であり、その死が空しいものとして感じられる。そんな鎮魂の思いが胸に迫る映画である。

旧日本軍より人間的な面への感動:  淮海の戦いと呼ばれる作戦の中で、グーの部隊は旧炭坑というところを正午まで死守したうえで生き残っている者はてんでに逃げろ、という意味の命令を受ける。合図はラッパだという。グーは爆弾で耳がおかしくなってラッパが鳴ったかどうか分からない。鳴らなかったと思って全滅するまで戦わせたが、もしかしたら自分が聞きのがしたために死ななくていい者まで死なせてしまったのかもしれないという悩みが、生き残った彼の行動の動機になる。

 この点は旧日本軍よりよほど人間的で私は感動した。旧日本軍は全滅するまで戦えという命令はよく出したが、何時まで敵の攻撃をくい止めることが出来たらあとはてんでに逃げろ、という命令はなかったと思う。だから強いんだと自慢していたが、生きのびる可能性についても考えていた彼らのほうが結局は勝った。そしてこの映画は、生きのびることができたかもしれない者たちまで死なせてしまったのではないかという隊長の辛い思いを物語の軸として成り立っている。しかしそもそも戦わなければならない理由はあったのかというところまでこの内省はつながってゆくのではなかろうか。

 これほど激烈な戦闘描写はもう、勇敢な兵士たちを讃えることの意味までどうでもいいものにしてしまうだろう。そうであってほしいと思う。フォン・シャオガン監督の力作である。

映画評(川本三郎 VarietyJapan 2009/01/15)

戦場の兵士という個を大事にする新しい中国映画:過酷な“国共内線”を描いた、中国映画:戦争は否定するが、戦場で戦かった者どうしの兵士の友情は信じたい。極限状態を共有した前線の兵士たちの絆は強いものがある。

 国共内戦で戦った人民解放軍の兵士たちの苦闘を描く中国映画『戦場のレクイエム』は、地を這うようにして戦った兵士たちの友情を描いていて深い感動がある。

 国共内戦は、毛沢東率いる共産党人民解放軍と、蒋介石の指揮する国民党との、同胞どうしが戦った過酷な戦争。共産党から見れば解放戦争。この戦争に勝利した共産党は一九四九年に中華人民共和国を成立させる。

 これまで中国映画では、この戦争を描くことはほとんどなかったという。同胞どうしの戦いの傷が深かったからだろうか。

 監督はアンディ・ラウ主演の『イノセントワールド 天下無賊』(04 年)、チャン・ツィイー主演の『女帝 [エンペラー]』(06 年)のフォン・シャオガン。北京で犬を飼う男の苦労を描いた悲喜劇『わが家の犬は世界一』(02年)という愛すべき小品もある。

実直な隊長の、仲間の霊を慰めたいという、まさにレクイエム:  いきなりすさまじい戦闘シーンから始まる。至近戦。銃弾がうなり飛びかう。ばたばた兵士が倒れてゆく。戦争とは安全地帯にいる知識人や政治家が語る悠長なものではなく、壮絶な殺し合いなのだという非情の現実を見せてゆく。

 以前、戦闘で恐怖のため失禁した兵士に歴戦の強者がいう。「死を前にしたら神様だってちびる」。戦場とは恐怖との戦いでもある。

 戦闘シーンの撮影には、朝鮮戦争の血みどろの戦場を描いた韓国映画の力作『ブラザー・フッド』(04年、カン・ジェギュ監督)のスタッフが協力しているという。

 有名スターは出ていない。無名兵士の物語だからだろう。グー・ズーティ(チャン・ハンユー)という小連隊の隊長が主人公。若い頃に共産軍に入り、日本軍とも国民党軍とも戦ってきた。いわば叩き上げの兵士。自ら先頭に立って戦う。部下の信頼は厚い。

 ある激戦で彼の小連隊は、彼を残して全滅する。自分だけが生き残った。しかも自分の判断ミスが部下を死へ追いやった。責任感の強い男だけに、彼は自責の念にとらわれる。

 その後、朝鮮戦争にも従軍して勇敢に戦うが、部下を死なせた罪悪感は消えない。なんとか死んでいった兵士たちの名誉を回復しようと一人、困難な道を選ぶ。

 この映画は、英雄賛歌ではないし、勇壮な戦闘を描くことに主眼があるわけでもない。解放軍は強く正しかったという大義を振りかざすこともない。壮絶な戦いの連続の底にはグー・ズーティという実直な隊長の、死んでいった仲間の霊を慰めたいという強い思いがある。まさにレクイエム。

死んでいった兵士の、家族にあてた手紙も泣かせる:  佐藤忠男氏は以前、戦時中に作られた日本の戦争映画には思いのほか戦意昂揚映画は少ない、むしろそこで描かれたのは、生死を共にする仲間の連帯感であり、ほかの何も信じられなくても少なくともそれだけは美しいものとして信じたいという意志だったと指摘したが、この中国映画にも同じことがいえる。戦争という全体より、戦場の兵士という個を大事にする。新しい中国映画といえる。

 隊には字の書けない兵士が多い。教師をしていた兵士(失禁したことのある)が彼らの手紙を代筆する。

 死んでいった気のいい兵士の、家族にあてた手紙が泣かせる。「年寄りを大事にし、農作業に励め」。

映画についての大学生討論会(早稲田大)

(ハリウッドチャンネル 2009年1月15日の記事)
「これまでの中国、これからの中国」を語る「戦場のレクイエム」熱い討論会:
10日、早稲田大学の教室内にて、「戦場のレクイエム」のディスカッション付試写会が開催された。「これまでの中国、これからの中国」をテーマに中国人留学生、日本人の学生、英語圏の学生など国際色豊かな学生たちがテーマに沿って熱い討論を繰り広げた。

 ディスカッションには、ゲストとして中国語教育を専門とする砂岡和子教授(早稲田大学政治経済学部教授)と、今回のイベントの主催者である早稲田大学中国人留学生会会長 蘇広宇(スウ・ゴンユイ)が登壇。

 テーマの中でも一番熱い討論となったのは、“この映画は戦争を美化しているのではないか”という点。「戦争を否定しているわけはなく、戦争したが、国から評価されなかったことが問題だった、という内容にも見える」と日本人学生が発言すると、それに対し、中国人留学生からは「この映画は戦争を美化しているわけでなく、人間ドラマを描いていると思う」と発言があがった。続けて「監督はどっちが悪玉でどっちか善玉かを描いたのではなく、戦争は人間に不幸を与えるものだということを描こうとしたんじゃないか」など、学生たちを中心に意見が飛び交い、白熱した議論となった。

 最後に、「今後の中国に期待すること」についてテーマが及ぶと、「今中国に期待することは“信頼”です。日本も中国も心をちゃんと伝え合っていける人間関係を築いていきたい」と日本人から意見があがった。

 砂岡教授は、「中国は日本人には理解できないほど長い動乱の歴史を経験してきた国です。まずは相手の歴史を理解することが必要だと思います」とコメント、続けて主催者の蘇さんも「この映画を通じていろんな人に中国のことを知ってもらいたいと思い、今回のディスカッション付試写会を企画しました。中国は2009年になって安定したといわれますが、まだまだ途上国なので、そのスピードに慣れていない部分があります。そのためにはいろんな国の方たちから協力してもらい、お互いに信頼することが一番大切だと思います」と語り、会場からは大きな拍手が起こった。

(週刊シネママガジンでの記事)
主に争点の的となったのは、この映画がフィクションなのか本当に史実に基づいたものなのか、共産党と国民党それぞれの視点から時代検証することと、これが反戦映画なのか、それとも戦争を美化したものかを考えること。果たしてこれはエンターテイメントなのかプロパガンダなのか。結論に達したわけではありませんが、いずれにせよ、このディスカッションを通じてわかったことは、本作がこれらの両要素をバランス良く兼ね備えた、中国映画の教養度の高さを示す作品だということ。その点については異論はなさそうでした。

映画評(毎日新聞 2009年1月23日)

 舞台は国民党と共産党が内戦を繰り広げていた中国。共産党人民解放軍のグー・ズーティ率いる連隊は全滅したが、混乱の中で存在すら忘れられる。グーは戦死した部下の名誉を回復するため、10年にわたって奮闘する。

 戦闘場面は迫力十分だし、骨太の人間ドラマも堂々たるもの。風格十分の大作で、プロパガンダ映画ではない。しかし、戦争を否定せず、人民解放軍を非難せず、感情表現が濃いのは、やはり中国的と言うべきか。戦争映画にはお国柄が表れる。中国の国情もうかがえて、興味深い。フォン・シャオガン監督。2時間4分。シャンテシネほかで公開中。(勝)

フォン・シャオガン監督インタビュー(産経新聞 2009.1.16)

ハリウッド凌ぐリアルさ: 毛沢東率いる人民解放軍蒋介石の国民党軍の戦いを描いた中国映画「戦場のレクイエム」が17日から公開される。製作費17億円は中国の戦争映画史上最大規模。「戦争の残酷さ、戦地で死ぬ恐怖を伝えるためにはリアルさが絶対条件だった」。フォン・シャオガン監督が徹底してこだわった戦闘シーンの迫力は、ハリウッド戦争大作をもしのぐ迫力に満ちている。(戸津井康之)

 1946年に開戦した人民解放軍と国民党軍の国共内線の最中に起こった実話がベース。壮絶な戦闘で人民解放軍連隊長、グー(チャン・ハンユー)は部下47人を失う。が、軍は部下の死を失踪(しっそう)扱いにしていた。部下の名誉を挽回(ばんかい)するためグーの孤独な戦いが始まる。

 「これまで数多くの戦争映画が中国で作られていますが、ウソっぽい作品が多かった。残忍さはなく、描かれるのは死を恐れない英雄たちばかり。本当は名も無き多くの兵士たちが最前線で死を恐れながら死んでいったのです。彼らの無念さを描きたかった」とフォン監督は言う。

 「戦闘場面のリアルさには徹底的にこだわる」とフォン監督は決意した。目指したのはスティーブン・スピルバーグ監督の大作「プライベート・ライアン」や、カン・ジェギュ監督の韓国の戦争大作「ブラザーフッド」だった。

 カン・ジェギュ監督とフォン監督は旧知の仲。「戦場のレクイエム」の構想を聞いたカン監督は「それならわれわれの製作スタッフを現場で使ってください」と協力を申し出たという。

「現場に乗り込んできた韓国の製作チームの技術は、4年前に比べ格段に進化していました」。だからこそ、「プライベート・ライアン」「ブラザーフッド」をも陵駕(りょうが)する驚愕(きょうがく)の映像が生まれた。

 危険なシーンは多く、「CGを多用せざるを得ないだろう」と予想していたが「いい意味であてがはずれた」とファン監督が苦笑した。「韓国の撮影チームにこう言われたんです。“CGで作るのだったらわれわれが来た意味がない”とね」

 中国の製作規模では最大級だが、ハリウッド大作の製作費と比べるとまだ10分の1以下。「中国と日本、韓国の製作チームが手を組めば、十分、ハリウッドに対抗できる」とフォン監督は自信を見せた。