zames_makiのブログ

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NHKの従軍慰安婦関連番組に対する態度が如何におかしいかについて

NHKニュース7の文法のおかしさ、(実証 「ニュース7」が死んだ日 、石田英敬論座、2005年6月 http://www.nulptyx.com/pub_nhknews.html
...以下は、NHKが2006年1月14日以降、そのニュース番組(ニュース7)で如何におかしな行為を行ったかという事を専門家が厳しく批判したものである。


(背景)NHKはETV2001「問われる戦時性暴力」という従軍慰安婦についての日本国が如何に罪を犯したかという番組を制作しようとしたが、安倍晋三などからの政治圧力に対して自主的に放送直前に直しむしろ日本政府には責任はないとする内容に、無理な偏向を行った。
 更にこれに関し朝日新聞からその政治介入の経緯を報道されるや、そんな事はないと、そのニュース番組を使って、公共空間に放送したのである。そこでは本来事実を客観的に報道されるべきニュース番組で、あたかもそうした客観的報道の装いのまま、当事者であるNHKの主張を、そのニュース番組で流したのだ。
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(以下本文より抜粋)

周知のように午後7時の「NHKニュース7」は、現在の日本における最もベーシックな30分のナショナル・ニュースの番組枠である。NHK一流の「公正・中立」の基準についてはいろいろ議論はあろうが、
 「ニュース7」はわが国における「ニュースの文法」を作り出してきた番組なのである*1 。その特徴は、「一方」「ところで」「そのうえで」、といった表現を頻用して、くっきりとトピック文脈を描く事実確認の発話だけでなく、間接話法、直接話法、推測や伝聞などモダリティ語法を組み合わせた「語り」の構造化映像と語りのきっちりとした対応化トピックの論理的階層化の定型的手続き、などを特徴としている。
 アナウンサーの原稿読み上げによるオーソドックスな客観報道、丁寧な物腰と落ち着いた語りかけ 現在の日本のテレビニュースのなかでも最もスタンダードなニュースとして認知され準拠点となっている


(略)しかし、このニュースでは、事件の当事者である「NHK」が躊躇なく「一人称」で語ってしまっている。アナウンサーの発話は、「NHKは」という集団的一人称の一部になってしまってしまい、ニュートラルな立場からの発話を「放棄」してしまっているのだ。そうでなければ、「NHKが〜調べたり、〜聞いたところ、 〜だったことが確認されました」という発話はあり得ない。ニュース原稿は、「NHKは、〜調べたり、〜聞いたところ、〜だったことが確認された、と発表しました」とでも書くべきである。これは決してささいな差異ではない。それがたとえ自局の、疑う余地のない見解であったとしても、「ニュースの発話」と、「自局の見解発表」とでは、メッセージの作り方がおのずから違うはずなのである。その区別を失ってしまえば、それはもはや「ニュース番組」ではなく、「宣伝」や「プロパガンダ」になってしまう


(略)この日以来、「ニュース7」の報道はますますエスカレートしていった。トピックに充てられる時間も、14日は約3分だったが、18日は約3分半、19日は約13分、20日は約5分が割かれた。30分枠のニュース番組のなかで、ヘッドライン、スポーツ、天気予報などの時間を差し引くと、番組全体の半分近くを、NHKの自己弁護が占めるようになったのである。この項目に付される題名テロップも、「朝日新聞記事」(14日、18日)から、「朝日新聞記事問題」(19日)へと変化し、そして、20日にはついに「朝日新聞虚偽報道問題」というタイトルを打つに至る。


(略)録画して注意ぶかく聞き直さない限り、視聴者は、はめ込まれた語りを聞かされていることには気づかない。「それによりますと」とアナウンサーの発話を引き継いでいるので、視聴者は畠山アナウンサーが続けて語っているかのように錯覚してしまう。いや、錯覚するように作られているのである。


(略)このような構成は、(中略)「事実報道」としての「ニュースの語り」とは明らかに性質が異なる。その日に行われた記者会見の様子を「報道する」といいながら(じっさいニュース原稿は、「それによりますと」と言っているのだから)、「ニュース報道」とは、明らかに異質な構成が持ち込まれたのである。


(略)NHK自己弁護に血道をあげるばかりに、NHKは番組づくりという基本中の基本の部分において、「信用」を失ってしまったように私には思える。

*1:NHKニュース7」の「ニュースの話法」については、『記号の知/メディアの知』第10章「ニュースな世界」の項を参照。