zames_makiのブログ

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「大いなる陰謀」映画評

Variety Japan誌(デレク・エリー)2008/04/17

http://www.varietyjapan.com/review/2k1u7d000000p9ez.html
Variety Japan デレク・エリー2008/04/17『大いなる陰謀』

 台詞が多く、そっくり返るほどリベラルで、かつひどく愛国的な『大いなる陰謀』は、当代きっての売れっ子脚本家マシュー・マイケル・カーナハンが『キングダム/見えざる敵』で省いてしまった極めて深刻な脚注、補足説明だけを集め、詰め込んだような作品になってしまっている。ロバート・レッドフォードの7年ぶりの監督作であり、これまでの彼の作品の中でももっとも直接的に政治的なものとなった本作ではあるが、「アメリカ人よ、深く物事に関与せよ!」という大きな要求を突きつけながら、スター俳優を多数起用した会話劇は、多くの言葉が使われながら何ら新しいことを言っていない、というもので終わってしまっているようだ。オフ・ブロードウェイの舞台劇かと思われるような映画にレッドフォード、メリル・ストリープトム・クルーズといったビッグネームが名を連ねているという珍品としての価値は別として、この新しくよみがえったユナイテッド・アーティスト社が初めて送り出す作品が、米で大きな興行成績を上げることは極めて困難なように見受けられる。

 映画の進行にほぼ同調するように、3つの異なった時間帯で繰り広げられ、互いにそれぞれが影響を与え合う可能性を秘めた3つの異なった出来事。図式としての基本構想は、紙の上では思いきったものであるように見える。しかし問題は、出来事から出来事へと物語が交錯していくうちに、それぞれの話が特定の視点を持ち、それ自体で存在できる上に、そこに道徳と政治の衝突を強調するような本物のヒューマンドラマがまったく存在しないということが次第に明らかになってしまうという点にある。

3カ所で起こる出来事が巧妙につむがれる前半部分
 処はワシントンDC。ベテランTVジャーナリスト、ジャニーン・ロス(メリル・ストリープ)は、共和党の若手のホープ、ジャスパー・アーヴィング上院議員トム・クルーズ)との単独インタビューに乗り込む。彼女に特ダネを掴ませてやろうということだが、実際には彼自身のための目論見があるようだ。同じ日の早朝、カリフォルニアのある大学では、クラスをサボってばかりの学生トッド・ヘイズ(アンドリュー・ガーフィールド)は、担当教授スティーヴン・マレー(ロバート・レッドフォード)にこっぴどくやられている。そしてまた同じ頃、米軍精鋭部隊がタリバンの行動を阻止するため、アフガニスタン山岳地帯に飛行機で運ばれていく。

 映画前半、3本の縦糸は巧妙につむがれていく。アーヴィング上院議員アフガニスタンでのこう着状態を打開する「新しい計画」があることをロスに伝える。春の雪解け時期を前に優位な立場を確保しようと、精鋭部隊を送るという計画。その計画が実行されるのはいつか、というロスの質問に対し、アーヴィングは答える。「10分前だった」と。

 山岳地帯に送られた最初の部隊に属する2人の歩兵、アーネスト・ロドリゲス(マイケル・ペーニャ)とアリアン・フィンチ(デレック・ルーク)は、以前マレー教授の教え子であった。授業だけでなく人生全般に対するヘイズのやる気のない態度に業を煮やしたマレー教授は、彼のかつての教え子ロドリゲスとフィンチの話をヘイズに聞かせる。自分たちの国が抱える外交問題に関わるため、机の後ろという優位な立場をとるのではなく軍隊に身を置くことを選んだ2人の話を。

完璧な配役、しかし議論の内容は新しい論旨を持たず
 アメリカが果たす世界警察的役割や、正義という名目での戦力が持つ問題点を扱う上で、カーナハンの脚本がとったアプローチの方法は、はっきりと定義された以下の3つになっている。ひとつには実践的なアプローチ(ロドリゲスとフィンチ)、またひとつには政治的なもの(アーヴィングとロス)、そしてもうひとつは哲学的なもの(マレーとヘイズ)。しかしながら、この3つの方法全てが、物語をこれといってどこにも誘導してくれない。ひとつ目のアプローチは、複雑に絡む軍事問題を解決するために猛烈に職務を遂行しようという姿から、個人的で無益な犠牲へと移行してしまう。2つ目は、ひとつひとつの対立から最終的な辞任へと、そして3つ目は、希望の光を少しだけ見せながらあいまいな終結へと向かってしまうという具合である。

 最も魅力的な瞬間といえば、若き上院議員とシニカルな記者の間で繰り広げられる、まるでテニスのラリーのような政治的な会話と探りあいの中で生まれたものであろう。演じる2人の配役は完璧なものであり、彼らもその瞬間を完全に支配しきっている。クルーズは、アメリカの威信(「正義を推進する力として」の意味)が脅かされていると信じる血気盛んな青年議員を説得力のある演技で演じており、一方のストリープも、過去の過ちや中東の歴史を掘り起こすことに、より興味を持つベテラン記者を好演している。

 行きつ戻りつする政治的な議論を展開することで、2人の俳優は、その力を十分に発揮しており、作品における存在感もぐっと増している。しかしカーナハンの脚本が律儀にも、その問題を後半でもう済んだものとして扱ってしまうので、彼らの会話はどこにも行き着かないという具合であり、これまでに世界中のメディアで幾度となく交わされてきた議論の単なる再演という範疇を出ないものになってしまっている。ロスは新しく提示する論旨を持たず、アーヴィングにしても解決方法はひとつ、より肯定的な行動を起こすだけというものなのである。

登場人物は、あらゆる種類の考え方を代表する象徴となっているのみ
 同じ頃、カリフォルニアでも、交わされる会話もますます不鮮明なものになってしまっている。自国の政治に懐疑的であり、さらには無関心であり続けるヘイズに、マレー教授はついには、「ローマは燃えているんだ」という言葉を持ってヘイズを責めたてる。「じゃあ、先生は何もしないでいるよりは、何かを試して失敗するほうが良いと言っているんですか?」とヘイズは聞き返す。「少なくとも、何かした(と言える)ということになる」と応えるマレー教授。まあ、そうではあるが……。

 さまざまな考え方をする集団を代表しているだけに留まり、なんらそれ以上の背景を与えられていないような登場人物を演じることになった俳優たちは、ほぼそのスクリーン上のカリスマ性だけでその場を乗り切ろうとしているように見える。クルーズとストリープは火花を散らし、レッドフォードは年老いた教授の役に多少人を見下したようでありながら、リラックスした年長の政治家然としたオーラを与え、若きイギリスの俳優ガーフィールドは、将来を決めていない南カリフォルニアの大学生を説得力のある演技で演じている。しかし、彼の役柄も最後まで謎めいたものに始終してしまっている。

3つの場面それぞれに独特の外観をもらたす
プロダクション・デザインと撮影術
 製作技術面の価値はまずまずのものである。フィリップ・ルースロのワイドスクリーンを巧みに使った撮影術とヤン・ロールフスのプロダクション・デザインが、3つの出来事それぞれに、独特の外観をもたらしている。磨き上げられ、堅苦しい雰囲気を出すアーヴィングの事務所の内装、さんさんと太陽が照りつけ、リラックスした大学キャンパス、そして砂と雪に覆われたアフガニスタンの山岳地帯などである。マーク・アイシャムが担当したスコアも、ほどよく控えめに流れていくのだが、軍事行動が混乱しきったフィナーレに突入する段になると突然、下品なほどに(その上、意味もなく)愛国心丸出しの大げさなものに変身してしまう。

 カーナハンが手がけた2つの脚本が互いに関連付けられていることをことさら強調しようとしたのだろうか、『キングダム/見えざる敵』の監督ピーター・バーグがちょっとした脇役で本作品に登場している。

前田有一(超映画批評)レッドフォードらしい社会派政治ドラマ(70点)

http://movie.maeda-y.com/movie/01092.htm
ロバート・レッドフォードらしい社会派政治ドラマ

ここ最近、政治的なアメリカ映画が多いのは、ひとえに今年が大統領選挙の年だから。その意味では、それらの政治映画がことごとくプロパガンダであるという見方は決して間違ってはいない。

将来の大統領候補と目される共和党上院議員トム・クルーズ)は、執務室に旧知のジャーナリスト(メリル・ストリープ)を呼び、アフガンにおける対テロ戦争の新作戦について極秘情報を交え語り始める。彼女に独占スクープをプレゼントしようというのだ。おなじ頃、あるリベラルな大学教授(ロバート・レッドフォード)は、最近授業に出ない優等生に、その理由を問いただしている。さらに同時刻、教授のかつての教え子二人が、いままさにアフガンで新作戦に出撃しようとしていた。

時差のある三箇所での物語が、絶妙に絡み合いながら同時進行する政治ドラマ。きわめて会話量の多い社会派ものだ。ハリウッドきってのリベラル映画作家で俳優のロバート・レッドフォード7年ぶりの監督作品で、かなり露骨に自身の政治的立場を表明したものになっている。

このサイトを毎週読んでいる方ならご存知のとおり、ここ最近の戦争を扱ったアメリカ映画としては定番の自己反省ゴメンナサイもの。あの国では、大きな戦争の合間には、かならずこうした内容の映画が連発される。今がまさにその時期で、やがてそのうち米軍バンザイ映画が目立つようになると、次の戦争がおきる(あるいは起きている)。ハリウッドの作品傾向とアメリカの政治は密接に連動している。だからアメリカの政治映画は面白い。

特にこの作品では「責任を取ること」の大事さと覚悟の重さについて、繰り返し述べられる。劇中、保守派の代議士に論破されるメリル・ストリープの姿は、911後に"過ち"を犯したリベラル派言論人および国民の立場をそのまま表している。このシーンで思わず絶句したメリルが、最後に墓地を見ながら見せる表情(とその意味)は必見ポイントである。

その上で「さて、君たちはドーする?」といわんばかりのラストシーンは、まさにレッドフォードからの問いかけそのもの。じゃあとりあえず選挙にでもいくか、となればまずはオッケーだ。

派手な見せ場が少なくとも、登場人物同士の論戦は見ごたえがあり、個人的には大いに満足した。アメリカ人が今何を考えているのか。どこへ行こうとしているのか。どちらもこういう社会派ドラマに私が期待する要素だが、なかなかに伝わってきたと思う。3人の主演スターも期待通りの存在感と演技を見せ、ファンを喜ばせる。

あらゆる局面において、「何を考えてこんな場面、台詞を作ったのか」物語の背後を考えながら見ると、相当に楽しめるだろう。アメリカに興味のある方にオススメの一本だ。

渡まち子(映画ジャッジ)<無関心こそが罪。 (70点)>

http://www.cinemaonline.jp/review/kou/2353.html

 無関心こそが罪。これが映画のテーマだ。政治、報道、教育という異なる世界の人間を通して、対テロ戦争を会話で検証する。クルーズとストリープの攻防が見せ場の一つだが、大学教授と生徒のやりとりこそ注目すべき。ただ、作品の志の高さは理解できても素直に評価できない。なぜなら善意も悪意も結局は若者を戦場に駆り立てるから。そして“10分前に始まった戦闘作戦”に対してなす術などないと判るから。映画は問題を提起するだけで結論は出していない。観客に考えさせる意図なのだが、大統領選挙前のこの時期、レッドフォードならはっきりと意見を述べてもいいはずでは。この映画の歯切れの悪さは厭世観を誘う。質は高いが困った作品だ。

福本次郎(映画ジャッジ)ご高説を垂れる(40点)

http://www.cinemaonline.jp/review/ken/2408.html
星条旗を掲げて戦場で闘うのは下層マイノリティという現実と、国が間違った方向に進もうとしていることに無関心の罪。ロバート・レッドフォードは自ら教授に扮し、若い学生、つまり観客に向かってたいそうなご高説を垂れる。 (40点)

 泥沼の中東情勢の中で起死回生の一発を狙う上院議員、彼の立案した作戦を実行に移すべくアフガンに派遣された特殊部隊、そして敵地に取り残された特殊部隊員の恩師。自分たちの利益を安全保障にすりかえるネオコン政治家の指揮の下、不確かな情報で戦争が起こされて若い命が散っていく。いまや星条旗を掲げて戦場で闘うのは下層階級のマイノリティという現実と、その陰で国が間違った方向に進もうとしていることに無関心でいる罪。ロバート・レッドフォードは自ら教授に扮し、若い学生、つまり観客に向かってたいそうなご高説を垂れる。しかし、守られるべきはあくまで米国民の命のみで、非米国民から見ればこの教授もネオコン議員と五十歩百歩にしかみえない。

 アーヴィング上院議員はジャニーンというジャーナリストのインタビューを受け、米軍が新たに展開するアフガン侵攻作戦の意義を訴える。アフガンでは敵の反撃を受けた特殊部隊員のロドリゲスとフィンチが雪山で孤立、包囲されてしまう。カリフォルニアの大学ではマレー教授がトッドという学生の成績について話すうちにかつての教え子だったロドリゲスとフィンチの向上心を語る。

 エリート中のエリートであるアーヴィングと学費稼ぎのために入隊した貧困層出身のロドリゲスとフィンチが好対象だ。自由かつ平等であるべきはずが、その出自だけで差別される。もちろんアーヴィングも才能の他に人並みはずれた努力をしただろうが、その成果を野心の実現に利用するのに対し、ロドリゲスらは社会の貧困層に教育の機会を与えようという目標を持っている。まるで負の比例のように、地位と理想は前者が高くなるほど後者はエゴにまみれていくのだ。

 ジャニーンはスクープを手にしたにもかかわらず、放送をためらう。それはかつてイラク戦争を支持し、政権を監視するというジャーナリストの役目を怠った過去への反省。またトッドはロドリゲスらの戦死の報に触れ、世界に広く目を向け不正義を感じ取る意識に目覚める。ただその過程で「レッドフォード大先生のお説教を拝聴する」という映画のトーンは鼻に付いた。