zames_makiのブログ

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肉体の門 (1948)マキノ正博

02/22(金) 1:00pm 03/12(水) 7:00pm 03/30(日) 5:00pm
肉体の門 (87分・35mm・白黒)
1947年に出版、舞台化もされたベストセラー小説を最初に映画化した作品で、鈴木清順監督をはじめ、3度に渡ってリメイクされている。敗戦直後の荒廃した街で、肉体を武器に必死に生きる娼婦たちの姿を描く。映画製作に乗り出したばかりの吉本興業がマキノに依頼し製作された。当初、辞退したマキノの代わりに小崎政房が監督に配されたが、吉本側からのたっての要望で、途中から、マキノが撮りなおすことになったという。

'48(吉本映画)(共同監督)小崎政房(原)田村泰次郎(脚)小澤不二夫(撮)山崎一雄(美)田辺達(音)大久保徳二郎(出)轟夕起子、月丘千秋、逢初夢子、小夜福子、水島道太郎、田崎潤、清川莊司、田端義夫、春名薫、水町京子

肉体の門 1948年 マキノ正博小崎政房
売春婦の更正をテーマにした説教くさいドラマ。
現在ではよく知られている鈴木清順版映画にある目玉、売春婦たちの肉体、女たちを物の様に買うだけの米兵、未だ戦争を連想させる不発弾、牛を1匹丸ごと食べる豪快さ、そして戦争を引きずった米国への恨み、などはない。

現在の視点で見ると葛藤のない説教くさいドラマで面白みに欠ける。せんたちの商売を描
写する場面はなく、ほとんどビル内の対話に限られる。せんは罪深い娼婦というよりヤク
ザに憧れ、強がっているだけの女にしか見えない。マヤは少女というには大きすぎで、犯
されて女になる場面もあまりに描写に遠慮がありすぎて意味不明である。強盗はすぐに改
心し哀れな身の上を語るだけの力のない存在にすぎない。女たちが更正を目指す動機も曖
昧だが、更正が単に十字架との類似でしか示せないのも映画として魅力に欠ける。

1948年現在形の問題であった娼婦や孤児を主人公にすえ、その注目すべき生活を描い
たが具体的な内容が乏しく迫力も説得力もない。当時は深刻な問題であり注目を集めたは
ずだがだが描写があまりに遠慮しすぎだ。原作の不発弾も登場せず米国への恨みという大
きなテーマがないのはGHQの検閲を先取りした自己規制のためなのは仕方がないだろう。
しかし日本映画ではこれ以前にもこうした虐げられた女(娼婦)の実態をある程度の実感
をもって描いてきた訳で、売春婦の実態を描けなかったのもそれが占領軍批判、米国批判
につながる事を恐れた自主規制のためである可能性が高いだろう。

この映画で興味深いのは轟由紀子の姉御ぶりと、三船敏郎を思わせる田崎潤の虚無的な
青年ぶりだろう。また冒頭華やかな銀座の様子からカメラがパンするだけで、廃墟とな
っ たビルとそこに巣食う娼婦に視点が移る同時性も恐ろしい。壊れたビルの周辺には英語で
GINZAのサインさえある。少女に自分たちの商売を「アレ」としか言わず、それを繰り返
した後、観客が十分了解した頃に「パンパン」と言わせる辺りも視点によっては悲しみを
引き出す演出と言えるかもしれない。同じように少女になぜ身寄りが誰もいないのかとい
う理由を、あえて女が聞かないのも、当時の観客には印象深く感じた可能性はあろう。面
白いのは廃墟のビルがセットで後のリメイク作と同じような作り物くささに溢れているこ
とだ。