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広島・長崎における原子爆弾の効果(1946)米視点の原爆記録

原題:The Effects of the Atomic Bomb on Hiroshima and Nagasaki(文部省がつけた題名は「広島・長崎における原子爆弾の影響」でDVDもこの題名になっている、だがUSSBSの同名の訓練映画の題名は「効果」以外訳しようがない)
本編 2時間44分(広島編81分、長崎編83分)ナレーション:英語・字幕なし(現在DVD化されたものは後年日本語字幕がつけられたもの、又独自に入手した「平和博物館を作る会」が日本語ナレーションをつけたバージョンもある)
入手方法→http://www.nichiei-eizo.jp/dvd_effect.html
映画の製作公開経緯→http://www.nichiei-eizo.jp/genbaku.html

以下のクレジットは映画製作の経緯を反映して筆者がつけたもの、製作資金・物資は日映が出し、GHQが資金援助している、
製作:日本映画社 監修:文部省(原子爆弾災害調査研究特別委員会)管理:GHQ(USSBS:米国戦略爆撃調査団 United States Strategic Bombing Survey)
製作・撮影:日本映画社 プロデューサー加納竜一、演出:奥山大六郎(生物編)、相原秀二(物理編)、伊東壽惠男(寿恵男)(土木建築編)

アメリカ側関係者:
ダニエル・マクガヴァン(USSBS、空襲記録映画制作者):製作禁止からGHQ管理下での製作に導き、映画の管理をする、完成した映画を米国内で公開を検討、軍隊用訓練映画を製作、米軍映画「メンフィスベル」の撮影担当経験あり
ダン・ダイヤー(USSBS)それ以前には空襲目標選定に関わる
アヴェリル・リーバー(GHQ軍医総監室・原子爆弾の効果研究のための日米合同委員会)日映フィルムを知り医学関係部分を奪取、没収に関わる

日映製作関係者で記録を残した者;岩崎昶(日映、社長)→本を執筆、鈴木喜代治(撮影)→記録映画、関口敏雄(撮影助手・GHQに拘束される)、菊地周(撮影助手)、菊池俊吉(スチール)、

科学者で記録を残した者:中根良平(理化学研究所、長崎での放射線測定担当→測定論文、カットに関する体験手記を残す)

類似の映画

下記は全てマクヴァガンらが被爆地で撮影したカラーフィルムから製作したもの、撮影者はハリー・ミムラ(三村明)ら

  • 1947年 USSBS訓練映画「広島に対する原爆の効果」The Effect of the Atomic Bomb Against Hiroshima
  • 1947年 USSBS訓練映画「長崎に対する原爆の効果」The Effect of the Atomic Bomb Against Nagasaki
  • 1947年 USSBS訓練映画「原爆の医学的側面」The Medical Aspects of the Atomic Bomb
  • 1947年 USSBS訓練映画「日本に対する戦略爆撃の効果」The Effect of Strategic Air Attack Against Japan
  • 1947年 USSBS訓練映画「投下爆弾計画の効果」The Effect of th Aerial Mining Program

転用された映画

  • 1946年夏「パラマウントニュース」ビキニ環礁での原爆実験を伝えるニュース映画に一部が転用、広告惹句「かたわになって焦げた犠牲者 映像は恐るべき苦痛を描き出した」
  • 1952年8月15日「朝日ニュース」第363号原爆特集号 「原爆犠牲第一号」
  • 1952年 日映新社「原爆の長崎」全2巻 一般公開
  • 1954年 日映新社「永遠なる平和を〜原水爆の惨禍」
  • 1954年? ミネルヴァインターナショナル・日映新社「The face of War」監督:トーレ・シューベリ
  • 1956年 「生きていてよかった」亀井文夫
  • 1959年 「二十四時間の情事アラン・レネ
  • 1967年 文部省が16mm版を米国より返還されるが医学編など削除・検閲して一度だけテレビ公開し、その後は一般公開を禁止した
  • 1970年 「Hiroshima-Nagasaki:August 1945」監督:エリック・バーナウErik Barnouw 脚本:ポール・ロンダー Paul Ronder、文部省が削除した医学編を中心に作成
  • 1982年 「にんげんをかえせ」橘祐典(10フィート運動で独自に米国から入手したものから作成)
  • 1982年 「予言」羽仁進(同上)
  • 1983年 「歴史〜核狂乱の時代」羽仁進(同上)
  • 1982年 「幻の全原爆フィルム 日本人の手へ!」日本テレビ放送(同上)
  • 2009年 広島市映像文化ライブラリーが米国より入手、フィルムセンターと日映映像の協力で日本語字幕を製作、DVDを一般販売へ

感想

はっきりした説明の視点を持たず、それゆえ酷く残酷な長大な記録映画、1945年9月から1946年2月の被爆直後の広島・長崎の悲惨な状態が克明に記録されている。冒頭原爆投下の経緯、町の紹介に始まり、死亡者・傷ついた者の概数が示される。後は延々と各担当の視点でどれだけ破壊されたかを示す。物理編(放射線量と爆心地推定)、土木建築編(建物の破壊程度)、生物編(植物の異常)、医学編(人間の火傷の様子、脱毛や異常なだるさなどの原爆症の報告)に厳格に別れそれぞれ破壊の様子を淡々と述べる。広島・長崎の両編に機械的に別れそれぞれの町について同じ視点で結果を繰り返し示す。最後にはおざなりな平和の言葉を述べ映画は終る。

 注目は火傷を負い、死の危険性の高い、病院に横たわる被曝者の映像だが、合計35分程度で「ひどく」長くはない。だがまるで警察の鑑識記録の如く患部を子細に取り出してみせるやり方は正視に耐えない、更には死亡した被曝者から取り出した臓器の顕微鏡写真を見せられば、被曝者は実験対象であると考えざるのが普通の観客の受け取り方である(広島編での医学編)。同じ視点は土木建築編でも同様で、映画の関心は爆弾にどれだけの威力があり、投下地点からどれだけ離れた場所で何を破壊できたかを記録している。制作者が誰でどのような意図であろうと、この映画、新型爆弾の実証実験の試験結果であり、被曝者がその特異な破壊行為の様相を示すモルモットの記録であるのは、映像から見て間違いない。これは製作管理者がUSSBSという戦略爆撃=敵基地への攻撃ではなく敵民間人や都市への破壊を目的とした軍隊の記録であることからも裏付けられる。また題名は戦略爆撃を行うパイロットへの訓練教育映画の題名と同じであり、これが不特定の観客向けへの記録映画ではなく、特定の軍人への教育映画と同じ意味を持つのは明らかである。

 全体としてUSSBSの爆弾の効果を示す記録だが、米軍の記録映画にも製作意図がありそれなりの演出意図があり、爆弾の効果を強調したり、注意点を喚起するが、この映画にはそれが感じられない。それは製作経緯による妥協の産物だからだろう。即ち当初日映は原爆の被害を訴える映画として製作を開始、だが途中で文部省の介入で科学者の調査の記録という科学映画の側面が入り、更に米国USSBSの管理下で編集やナレーションをする段階では爆弾の効果提示、という役割が与えられたと想われる。マーク・ノーネスは米国の介入はないとしているが、当初の2つの製作目的に応じた編集では、USSBSの管理下では受け取りさえ拒否(それはその前の米国の介入であるリーバーらのフィルムの没収を意味しただろう)されるのは想像に難くない。

 想像される編集経緯は以下だ、1日映のスタッフでの荒廃した風景の撮影、2文部省の調査に付随した細かい撮影、3撮影した素材の編集段階でUSSBSの管理下にあり「新型爆弾の破壊効果の調査記録」の側面を無視できなくなり、撮影した素材をそのテーマで編集、4その段階で未使用の撮影素材の没収も予想され出来るだけ全ての撮影フィルムを本編として使用するよう編集、5USSBSの視点に沿った地図・解説・ナレーション・音楽の添付、だろう。USSBSの記録としての演出を行うだけの経験がなく意図もなかった(無意識の抵抗)ため、現在見るような、何の演出意図も示さない映画になったのだろう。ノーネスの言うような当時の科学映画がこのような平板なものとは言えないだろう。
 ここで問題なのは広島の医学編の瀕死の被曝者にポーズを取らせる異様な映像であり、これを日本人スタッフが被曝者に要求できたとは思えない。理研の中根良平が言うように撮影段階でGHQの米兵(日本語を話す)が同行しており、米兵が指示する形で強制性が働いたと推測するのが通常だろう、事実USSBSが(日本人スタッフを使用して)自分で撮影した原爆被曝者のカラー映像でもそうしたポーズを取らせている。そこで医学編の日映のスタッフ(吉田庄太郎ら)がまったく談話を残していないのが気になる、拙い事には口をつぐむ(小津安二郎が典型だが)のが戦争に関する映画関係者の習性だからだ。
 そうした理解の下この映画を鑑賞すれば、広島編と長崎編でほとんど同じ内容が繰り返される事、爆心地の決定に大きな時間を割いていること(爆弾の効果は爆心地からの距離で決まる)、には納得がいく。また脱毛など明らかに放射能による病気(原爆症)とそれによる死がナレーションでは示されるが映画としては関心が薄い事だ。戦争では爆弾による敵国兵士の即時の行動停止(死や負傷)が目的であり、死亡時期の不明な病気には関心が薄いのだろう。
 同時に広島編と長崎編の微妙な差異も理解できる、即ち長崎編では爆心地決定は丁寧だがもはや被曝者の傷の映像への関心は薄い、病気での死にはそれ以上の関心はないのだろう、又長崎編では数秒だが被爆地に人骨が散乱する様子が撮影され非常に痛々しい(見方によっては原爆の非人道性を訴えているように見える映像も、爆弾の効果=結果として当然のカットとして許容されたと推測できる。
 全体としてこの映画は、控えめな演出で原爆の効果・成果を語るもので、日本人はそれをある種の誤解(中立的な記録、科学的な関心、秘めた反戦反核への意図)を元に見る為、非常に見せられた物への衝撃がかえって大きくなるように思える。予見をもって丁寧に原爆の傷を見せるのではなく、なんの手順もなくあからさま傷を見せつけられるからだ。それは映画本来の意図ではないかもしれないが、かえって原爆の残酷さを見せつける結果になったいるかもしれない。

論点

  • この映画の成り立ちや性質については阿部・マーク・ノーネス「中心にあるかたまり」(所収「ヒバクシャシネマ、1999,現代書館)に負うところが大きいがノーネスの結論には賛成できない
  • ノーネスは(1)日本側は自由に撮影・編集できた、(2)演出意図の見えない形になったのは、当時の科学映画の作風に従ったものにすぎず特別でない、(3)伊東壽惠男への聞き取りでGHQからの介入はなかった、としたが、(1)日本側の意図であれば被害を訴える映画=戦後羽仁進が作ったような映画、か単なる記録映像になっただろう、日本軍が敗戦まで原爆被害の甚大さを隠した事から、後者は一般映画としては成立すると思えない、(2)演出は米側要求との妥協の結果、(3)伊東壽惠男は土木建築班であり被害の大きさを記録する上でGHQの介入がある訳がない、介入の有無はナレーションなどの最終編集段階での様子で判断すべきだ
  • この映画の編集方針は爆弾の結果を記録するUSSBSの意図そのものだ
  • 映画が原爆症に関心がないのは即座に行動を奪う爆弾の目的に関係ないと見なしたからだ
  • 都市の説明は明らかに米側視点だ、広島は軍司令部がある町、長崎は造船所がある町としている、しかし長崎で原爆が落ちたのは内陸部で造船所は破壊されていない。映画はあれだけ爆心地の同定に熱心だがなぜその都市に投下されたかはまったく語っていない
  • 映画結末で被爆地の復興が映像とナレーションで示されるが1946年時点では完全な嘘だ、映像は別の都市の様子以外ありえない。
  • 映画結末は原子力の平和利用も言及しているが、これも原発利用を目指す米国視点ではないか?
  • 長崎編は広島編と多少異なる、被曝者の傷の映像が警察鑑識スタイルではなく、アップではなく治療風景になり通常の映像。大地に散らばる人骨のカットがある、又長崎の方が爆発力大であり(死傷者数は少ないのに)、中性子線の影響を調査科学者が語る場面がある、これらは皆米国の都合か?
  • 冒頭のRシュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」は原爆の強力さを示す物で日映で恒常的に使う音楽の使用法で、格別の意図はない?
  • 本編で映画の使用は控えめだが場所により差はあり、深刻な場面は暗く調査結果説明などでは明るい、その中で最も残酷な広島の医学編には音楽はない、これの意味するものは何か?日本側が「非常に残酷だ」を示すため控え目な演出をしたと解釈すべきか?

関連文献

  • 加納竜一・水野肇「ヒロシマ二十年:原爆記録映画製作者の証言」弘文堂 1965年
  • 岩崎昶「占領されたスクリーン」新日本出版社 1975年
  • 阿部・マーク・ノーネス「中心にあるかたまり」(所収「ヒバクシャ・シネマ」ミック・ブロデリック編 現代書館 1999年)
  • 鶴見俊介・粉川哲夫「人間が去ったあとに」(所収「日米映画戦」青弓社 1991年)
  • 宇野真佐夫、幻の原爆映画を撮った男:三木茂 映画に描けた生涯」共栄書房 1982年
  • 伊東壽惠男(井上壽惠男)「わすれな草」自費出版
  • 加納竜一「ようやく手に入れた原爆映画」キネマ旬報、1968年1月下旬号
  • 伊東壽惠男の「米の介入はまったくなかた」の談話、福嶋行雄「編者あとがき」(所収「日米映画戦」青弓社 1991年)
  • 中根良平「原爆被爆調査と原爆映画 Ⅱ原爆映画はなぜ全面公開されなかったか」isotopeNews 2000年8月号(pdf公開)=文部省の検閲は正当だと主張するもの
  • 鈴木喜代治:能勢氏が「祖父が残した貴重な撮影メモと映像を紹介しながら、広島の惨状と鈴木さんの苦悩を浮かび上がらせ、平和の尊さを訴えた」2017年 DVD「広島原爆 魂の撮影メモ〜映画カメラマン 鈴木喜代治の記した広島」http://www.iw-eizo.co.jp/sell/movie/03/mo_03_tamasiinomemo.html