zames_makiのブログ

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精霊流し(2003)母の死因が原爆

109分 配給:日活=東北新社 公開:2003/12/13
監督:田中光敏 原作:さだまさし精霊流し』(幻冬舎刊) 翻案:近藤晋 脚本:横田与志 主題歌:さだまさし精霊流し

出演:
内田朝陽(櫻井雅彦=まさひこ)主人公、バイオリン弾く気弱な若者、1966年の出来事、叔母さんに預けられる
松坂慶子(石田節子)横浜の叔母さん、雅彦を預かるが、後半では長崎へ帰ってしまう
高島礼子(櫻井喜代子)母親、長崎で病気で早くに死ぬ
田中邦衛(父親)長崎にいる、存在感なし
池内博之(石田春人)叔母さんの息子、共にバイオリン習う、酷いマザコン
酒井美紀(木下徳恵)主人公らの幼なじみ、ひそかに雅彦を愛すが成就しない
山本太郎(自動車修理工場の若者)雅彦の同僚
椎名桔平(自動車修理工場の社長)金を使い込む

感想

有名な歌手の曲に想を得た親子因縁話、歌から連想される親子のしんみりした別れが焦点だが、背景となる人物描写、エピソード描写が薄く説得力がない、雰囲気のみで中味がなく感動はない、下の中。主人公の母親は長崎で入市被爆した被爆者であり、それが遠因で白血病で死ぬ、また我が子を被曝していない姉にあずけ親子の名乗りをしない。原爆によるスティグマ(被曝者である事を隠す、被曝二世である事を隠す)が背景になっていると思われるが明確な提示も、心理的ドラマもなく、雰囲気のみでまったく中味のないドラマになっている。「被曝による突然の死」は少なくない映画で悲劇のテーマになっているが、その中でも感興の低さ、説明のなさで最低である。中味のなさからこれを原爆をテーマとする映画とは呼べない。
 おそらく歌の歌詞が先にあり、映画の企画が立ち上がり、物語が書かれたと思われるが、脚本が拙く説明がなく出来事が不明のまま進む。時制は1966年とされているが、原爆との関係からであり、物語的にも、画面構成でも、人物の設定でも1966年ではなく2003年の雰囲気であり、不自然でおかしい。

映画は非常に説明不足だが、推測する物語は以下。

 長崎に暮らす主人公はバイオリンを習うが、母親は貧しくバイオリンを習うため横浜にいる叔母(母親の妹)に預けられる。叔母には息子(春人)がおり共に仲良くバイオリンを習う。しかしバイオリンは物にならず、また母親は早くに病気で亡くなる。結局、主人公は横浜で金の為自動車修理工場で働きつつ大学へ行く生活をしている。
 優しい母親に比べ叔母は自由奔放な生活で、主人公は嫌う、又春人は嫌うが実は酷いマザコンである。ある日叔母は息子や主人公と別れ、長崎へ帰ると言いだし、春人は混乱し、あげくの果て幼なじみの徳恵を犯す。徳恵は本当は密かに主人公を好いていたが、この事件で別れる。春人は、結局母親を追い長崎へついていくが、徳恵が妊娠したとの電話に混乱し自殺する。
 葬式で長崎へ来た主人公は叔母を責めるが、実は叔母は白血病で入院しており、父親から実はお前の実の母親だと知らされる。死の迫った叔母(実の母親)の世話を主人公は一所懸命する。やがて長崎の精霊流しの季節、主人公は大金をかけ、叔母と春人の追悼の精霊船をつくり大々的に送るのだった。