zames_makiのブログ

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オン・ザ・ミルキー・ロード(2016)ドタバタ劇

原題:ON THE MILKY ROAD 125分 セルビア/イギリス/アメリカ 日本公開:2017/09/15
監督:エミール・クストリッツァ 脚本:エミール・クストリッツァ 音楽:ストリボール・クストリッツァ
出演:
エミール・クストリッツァ(コスタ)主人公のセルビアの男、紛争で母を失いおかしい、軍隊に牛乳を届ける仕事をしている、ミレナとモニカを両方取りする
スロボダ・ミチャロヴィッチ(ミレナ)セルビアの女、紛争があっても楽しく暮らす、兄のジャガと同時に自分の結婚式をあげるのが夢
モニカ・ベルッチ(ジャガの花嫁)イタリアからセルビアに来た女でジャガの花嫁、多少おかしい、ミレナの世話になりコスタに愛される、しかしクロアチア?の特殊部隊に命を狙われる
プレドラグ・マノイロヴィッチ(ジャガ)セルビアの戦争の英雄、軍人?将軍?片目、停戦で故郷に戻りモニカと結婚式をあげるが、クロアチア?の特殊部隊に殺される

感想

戦争による人の死を騒がしく描いた寓話劇、独特のタッチだが「アンダーグラウンド」の二番煎じで意味合いや面白さに欠け、ただ騒がしいだけだ、星2.5(これが処女作なら星4つだろうが)。
 冒頭「クロアチアとの紛争」との台詞があるがその他は一切具体的な社会的背景のない物語が展開し、含意や象徴性は見受けられない、なののでつまらぬ。同時に全編戦闘による大きな爆発音と騒がしい音楽が交互に繰り返され、その意味のない騒々しさに辟易する。物語は「少しおかしい男が戦争にまけず暮らしており、女を得るるが、戦争で女を失う」と要約でき、戦争の悲しさを描いているが、具体性はまったくない。逆に象徴性や何かの事件を思わせるエピソードなどもなく観客が受け取れるものは表面的なもの以外何もない。動物が多く登場し、「血のプールに飛び込むアヒル」「牛乳を飲んで逃亡者に巻き付く大蛇」「逃亡者をかくまうように群れ次々に爆死する羊」「主人公に終始まとわりつく鷲」などいかにも象徴的意味があるように見えるが、映画の最後まで結局あるとは思えず、単なる目先を変えるための賑やかしのための小道具と思われる。
 監督は名作「アンダーグラウンド」で類似の映画を作っているが、あちらの方が、物語がより複雑で豊かであり、対象となる紛争も多く、登場人物も多く、描かれる事件も多く、演出もより工夫されており少なくとも今作ほど一本調子ではない、なので「アンダーグラウンド」を見た者にはとてもつまらない映画だ。正直筆者は冒頭30分で飽きた。一方クストリッツァ監督作品を初めて見る観客には驚きをもって迎えられ、より肯定的な評価を得るかもしれない。
 映画の最後は主人公の恋人が地雷で死に、主人公が10年たってもそれを追悼し石を並べ続けるというもので、いくらか戦争の悲しみが出ているが、そこまではドタバタ劇である。またこの映画が戦争にまじめに反対し異議を唱えているとは到底思えない。人々は戦闘をごく日常のように生きておりなんの不満もなさそうだ。戦争の英雄ジャガが帰郷しても主人公も含め、反対や疑問を唱える者はいない、ジャガは最初から英雄と設定されており映画内では、それは賞賛も反対もされない。主人公の恋人を殺す特殊部隊もただ殺人する者であり、なんらかの感情を覚える要素は一切ない。この映画の中の戦争は「既に過ぎ去り固定された記憶」であり、監督はそれに対してほとんどなんの意見も持たないように見える。結末も監督の意図は悲しさよりも喜劇かもしれない。
 こうした映画の中の戦争の中味のなさの一方、とても単純で具体性がないため寓話的見える物語は、戦争以外の物語的要素はほとんどない(主人公の動物との交歓、恋愛や嫉妬劇、村での平和な生活への礼賛や懐かしみ、などなどの普通の物語的要素はない)。
 結局、この映画では戦争を寓話的に描きながらもその中味が非常に希薄で、表面的な演出スタイル以外見るものがないのだ。観客から見て最初(「アンダーグラウンド」の時)はそのスタイル故におもしろみを感じ喝采を送ったが、二度目では感心する部分を見いだせないのだ。
 最後に不思議になるのは、結局エミール・クストリッツァ監督はあのユーゴ紛争についてどう思っているのだろうという事。紛争が終わり15年近くたつ今、少しでも何かを深く考えた事があるのだろうか?例えば、なぜそれが起き、なぜ続いたか、自分は当時何をしていたか、紛争について自分はどう思うか、である。時間がたてばそういった深みがない映画はただのドタバタコントにすぎないのではないだろうか。