飼育(1961)醜い戦時下の日本人
105分 日本 配給:大宝 公開:1961/11/22
監督:大島渚 原作:大江健三郎「飼育」 脚本:田村孟 音楽:真鍋理一郎
感想
戦時下の醜い日本人の姿を黒人兵を触媒に描いたもの。多人数の場面はロングで撮られ誰が喋っているかわからず判りづらい面がある、登場人物も多く名前で識別できない。
本家と呼ばれる村の有力者の好色の醜さ、黒人兵を化け物と呼び人間扱いしない日本人の醜さ、自分の出費だけを気にして黒人兵の世話を拒否する醜さ、そしてそれらの苦しみを黒人兵を殺す事で発散させようとする普通の村人の醜さ、など日本人の醜い面が厳しく描かれる。東京が空襲で燃えているのをもっと燃えろとはやす子供や、徴兵を忌避し逃げてしまう若者、軍への協力より自分の出費だけを気にする村人など、非常に無秩序で破壊的な世界だ。これらは単に戦争批判、政府批判ではなく、もっと根源的な日本人への批判だろう、それはよく理解できる。ただそれが本当に観客の心に届くような深みに達しているかは難しい所だろう。
あらすじ(キネ旬):
昭和二十年の初夏。或る山村へ米軍の飛行機が落ちた。百姓達の山狩りで黒人兵が捕まった。黒人兵は両足首に猪罠の鉄鎖をはめられ、地主鷹野一正の穴倉へ閉じこめられた。県庁の指令があるまで百姓達は、輪番制で黒人兵を飼うことになった。こんな頃に、鷹野の姪の幹子がこの村に疎開して来た。地主の一正は、豚のように貪欲で好色な男だ。息子の嫁の久子とも関係を結び、疎開もんの弘子にも野心を持っていた。村の少年達はクロンボが珍らしくてしょうがない。いつも倉にやって来ては黒人兵をみつめている。少年達と黒人兵はいつしか親しさを持つようになっていった。そこへ、余一の息子次郎が召集令をうけて村に帰って来た。出征祝いの酒盛りの夜、次郎は暴力で幹子を犯した。そして、翌日次郎は逃亡した。兄が非国民となって、弟の八郎は怒った。幹子のせいだ。幹子を責めた八郎は、皆に取押さえられて鷹野家の松に吊された。クロンボが八郎を慰めるように歌をうたった。八郎はクロンボも憎かった。こいつのために村中が狂ってしまったのだ。縄を切った八郎は、ナタを持ってクロンボに飛びかかった。その時、そばにいた桃子は突き飛ばされて崖下に転落、そして死んだ。伝松の息子が戦死したという公報が入った。みんなあのクロンボが厄病神なのだ。村の総意は、クロンボをぶち殺してしまえということになった。そうと知った少年達は、クロンボを逃がそうと図った。だが、飛びこんで来た一正が、ナタでクロンボを殺してしまった。それから数日して、書記が慌ててみんなに発表した。戦争が終ったのだ。みんなはあおくなった。もし進駐軍に知れたら。一正の発案でなにも起らなかったことにした。みんななにも見ないしなにもしなかったのだ。そのかための酒盛りの晩、次郎がかえって来た。もし発かくしたら、次郎が犯人ということで……。ところが次郎は書記と争ってあやまって死んでしまった。その火葬の火をバックに秋祭りの相談が行われた。何ごともなかったように。それはあたかも戦争そのものがなかったようでさえあった。その炎をじっとみつめている八郎の目には無限の悲しみと、怒りがこみあげていた。……大人たちは忘れ去ったとしても、この少年には戦争は決して消し去ることのできない心のキズであった。
出演:
三國連太郎(鷹野一正)村の有力者、本家と呼ばれる、女に汚く息子の嫁、塚田の妻、疎開してきた女を犯して自分のものにしている、また黒人兵を殺し罪を次郎に押しつける
沢村貞子(かつ)一正の妻、病弱で寝たきり、一正を憎む
中村雅子(久子)本家の嫁
大島瑛子(幹子)本家の姪、自由奔放な娘
山茶花究(塚田伝松)本家にたかる村の男、妻を一正に犯され子を産む、これをネタにたかっている
岸輝子(ます)塚田の妻
三原葉子(幸子)
加藤嘉(小久保余一)本家の妻に思いをよせる村の男
石堂淑朗(次郎)小久保の長男、大男で出征するが途中で逃げだし行方不明になる
入住寿男(八郎)小久保の次男、兄を慕い、兄を殺した黒人を殺そうとする
小山明子(石井弘子)疎開してきた女、一正に犯される、子供らが飢えても何もできない
戸浦六宏(役場の書記)役人、国の立場を代弁し憲兵の命令を伝える
小松方正(巡査)傍観者
槙伸子(気違い女)村のきちがい、秘所を男に見せて喜ぶ
ヒュー・ハード(黒人兵士)B-29搭乗員で墜落後村人に捕獲され飼育されるが殺される