若者観客の「永遠の0」の受容はここが問題
2014年1月14日の毎日新聞に特攻に関する解説記事が載っている、当たり前すぎて、見過ごされがちな記事だが、映画「永遠の0」の観客の理解や感動の仕方を知れば、こうした「特攻に関する当たり前」の事が、本当に大事だと気づかされる。
以下列挙(毎日新聞部分は記事記載まま)
●特攻は志願なのか
- 毎日新聞:隊員は建前は志願制だったが断ることは難しかった
- 永遠の0:隊員は諾・否の回答を求められる志願である。ある観客は、古参の特攻隊ではない者に自由に志願する権限・作戦に関与する力があり、主人公が特攻する分だけ若い隊員を救えるのだと受け取り、主人公の特攻突撃は若い未熟な特攻隊員を救いたいから自ら命を捨てる、より一層勇敢で崇高な行為だと受け取った。
●特攻はどんな作戦なのか
- 毎日新聞:推進者の一人だった大西滝治郎海軍中将さえ「外道」と断じた”作戦”だ(軍による組織的・日常的作戦だがまともでないの意味)
- 永遠の0:隊員の個別の思惑・意思による、特別で個人的な行為。なので、飛行機の故障などで一度失敗すれば再度特攻はしなくてよいと解釈する観客もいる。
●特攻護衛機の乗員はどう感じるものか
- 毎日新聞:野口さんは何度も護衛のため出撃した。こうした特攻隊員を見ても感傷は沸かなかった。「いずれ自分も死ぬ」と思っていたからだ。
- 永遠の0:主人公は特攻護衛機の乗員だが、この任務で大変なショックを受け、その感傷から心変わりし、それまでの信条を180度逆転させ自ら特攻に志願する(志願する自由があるとされている)。映画の最も重要な部分となっている。
●特攻機が故障するとどうなるのか
- 毎日新聞:搭乗機のエンジンが不調で引き返した。5月に再出撃するもまたもエンジントラブルで一命を取り留めた。(故障があっても死ぬまで何回でも特攻出撃させられる)
- 永遠の0:故障は決定的で一度故障すると絶対的に命が助かると印象づけられる。主人公は耳がよく故障を発見するが臆病者と言われるのを恐れて言い出さない、それほど故障は特別な事とされる。
●特攻隊員をどう考えるべきなのか
●特攻隊員を英雄と呼ぶとどうなるか
- 毎日新聞:(特攻隊員を英雄に祭り上げると)非人間的な命令を下した組織や個人の責任がぼやけてしまう。冷静に史実を追うべきだ(保阪正康氏談)
- 永遠の0:命を大事にする特攻隊員という非現実的だが共感を得やすい設定で、より一層英雄性を強調し、泣かせ、観客を感情的に批判不可能状態にして、特攻そのものへの批判、特攻をさせた軍への批評・批判を一切できなくさせる。ひいては日本の犯した戦争全体を肯定するように導く。
上記のように、本当に映画「永遠の0」は酷い映画だ、少しでもこれを誉めるような人は、やはり戦争で何があったか歴史の事実を勉強しなおすべきだと思う。特に自分が知ったつもりになっている人が危ない。