zames_makiのブログ

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イソップ物語と尖閣・竹島問題

 昨年新聞を整理していたらPISA(国際学力度到達調査)で使われた以下のイソップ物語を見つけた。この「けちんぼうと黄金」という教訓話は人々の読解力や理解度を測る物差しとして使われ、その教訓は持っているものを使わないのは持っていないのと同じだ、と出題者は解釈している。

 しかし大人に試せば様々な回答をする。特に他人に自分は頭が良いと見せたい人には多様な意味を持つ物語にとれるようだ。


 私には、この物語は尖閣竹島の領土問題への日本人への教訓に感じられる。すなわち、尖閣竹島が盗まれたといって嘆くのではなく、自分のものだと勝手に思っている方がずっとましではないか、という事だ。尖閣竹島は日本にとってほとんど価値のない島だ、尖閣周辺で石油がとれると言うがその価値はたかがしれたものだ。竹島に至っては自尊心を満足させるという意味以外なんの価値もない。

 尖閣竹島も日本はながらくそれを穴に埋めたまま「放置」してきた。竹島は1950年代に韓国に盗まれても日本は長らく「自分のもののように振る舞ってきた」。尖閣も戦後アメリカに「盗まれ」、アメリカ軍の演習用射爆場として長く、そして今も、使用されてきて日本はなんの文句も言ってこなかった。それが中国に新たに盗まれたとして、いったいどんな意味があるのだろう?

 領土問題は人間の最も原始的な欲望を刺激する下世話な問題だ。知性や思考力のあるまともな人間としてそれに対処し前に進むには、イソップの教訓の言っている事をまともに受け取るべきではないだろうか?考え方を変える事が必要なのではないだろうか?と、分別臭い大人としてこの教訓話を読んで思った。

イソップ物語「けちんぼうと黄金」

けちんぼうが持ちものを全て売り払って黄金の塊を買いました。そして、古い壁の近くに穴を掘り、その黄金を地面に埋めたのです。けちんぼうは毎日、黄金を見に行きました。しょっちゅうその場所に出かけるものですから、けちんぼうのもとで働いている職人がそれに目をつけ、けちんぼうの行動を観察することにしました。職人は宝物が隠されている事をすぐに知り、地面から黄金を掘りあて、それを盗んでしまったのです。
 例によってその場所にやってきたけちんぼうは、穴が空っぽになっている事に気がつき、髪の毛をかきむしりながら、大声で嘆き悲しみました。となりの家に住んでいる人が、けちんぼうの嘆き悲しんでいる様子を見ていましたが、そのわけを知って、次のように言いました。
 「まあまあ、そんなに嘆き悲しみなさんな。石を持って行って、穴の中に入れて、黄金がまだそこにあると思えばよろしい。あなたにとっては、まったく同じことだろう。黄金があろうとなかろうと、どうせまったく使いやしないんだから」