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ドイツの戦後の戦争映画(ハーケ&シェーンベルナー)

ハーケおよびシェーンベルナー氏の論文からドイツの戦後の戦争映画の概要がわかる。以下メモ

  • 出典:「ドイツ映画」ザビーネ・ハーケ、鳥影社, 2010、「過去の駆逐から啓蒙へ:第二次世界大戦後のドイツ映画」ゲルハルト・シェーンベルナー(所収:過ぎ去らぬ過去との取り組み 岩波書店 2011)
  • ドイツでも戦後早期に戦前体制に批判的な映画が製作されたがすぐにナチへの政治的反省を回避し、逃避的なアクション主体の戦争映画が多く製作された。しかし1962年以降はそうした戦争映画は製作されていない様子。
  • 1962年以降は、ナチ時代を政治的に反省したドラマ(劇映画)が製作されたが、限定された条件のものだけで、全体性・包括性・徹底性・戦争の悲惨さなどの点で十分なものではない。1990年代以降特に2004年の「ヒトラー最期の12日間」以降、被害者としてのドイツ人を含めた表現が可能になった。
  • 1990年代以降テレビ局が映画制作に参加し、ドイツの歴史を語るようになっている。(日本と同じ現象)
  • 日本ではドイツの戦争映画はほとんど紹介されていないが、数少ないそれは「08/15」「橋」「Uボート」など代表的なものであり、大まかな傾向は表していると推測される。即ち、1950年代にはアクション主体で政治的には沈黙・無反省の戦場映画、戦場でのエピソードを主体に反戦厭戦・平和主義を訴えたドイツ映画はほとんど存在しない。東部戦線、ユダヤ人大量虐殺など最も悲惨な戦場や、最もドイツ国家の凶悪さが現れた主題はほとんど映画化されていない。
  • シェーンベルナー氏は1962年以降は「新しい」監督により、正しい歴史を描く映画が製作されているとまとめているが、その全員がハーケ氏の包括的なドイツ映画史では取り上げられておらず、それらは非常に影響力の小さい映画と推測される。
  • WW2の戦争開始に誰に責任があるか(戦争責任問題)やどのように語るのが正しいのか(正しい歴史/修正主義)については、少なくともドイツの映画は十分に解決できない。1950年代までナチに責任があり国防軍や一般市民は責任はないと描写された模様。1990年代以降でも明確ではない。一方常に数少ないナチ抵抗者は繰り返し映画の題材になっている。また20世紀を通してドイツの歴史を反省した上での物語映画は存在しない模様。ナチは否定しても帝国主義や軍事国家そのものを反省する姿勢はない。
  • ドイツは多くの都市で激しい空襲を経験しているがそれを語る事はタブー視されている。またゲルニカやロンドン空襲を反省した映画も存在しない。市民への無差別攻撃である空襲について沈黙する事でその違法性・非人道性を語る手段を自ら禁じている。
  • 英米で数多く製作されているホロコースト映画はドイツでは数少ない。また1978年の米TVドラマ「ホロコースト戦争と家族」がドイツ人に認識に決定的変化をもたらした事から、それまではホロコーストへの理解が十分でなかった事がわかる。
  • 政治性を回避した大規模戦争スペクタクル映画は非常に少ないと思われる。電撃作戦、アフリカ戦線、バトルオブブリテン、戦車戦、UボートV2ロケット開発、など華々しいドイツ勝利の戦場も映画化されていないと思われる。Uボートや少年兵など日本の特攻映画と同様に政治性を回避し戦争アクションとして通用する題材はあると推測されるがドイツでは1962年以降は製作されていないと思われる。