zames_makiのブログ

はてなダイアリーより移行

立花隆の検察支持とフリージャーナリスト批判

以下はg2(講談社の雑誌・単行本・ネットが一体となったノンフィクション雑誌)のネット版に掲載された「知の巨人」立花隆氏の小沢一郎批判の文章で、有名な作者による典型的な「検察=正義の味方」という間違った旧来の見方を示した文章。小沢一郎の不起訴によりこの立花の文章がいかに酷いものかは素人でも指摘できるようになった。g2編集部では立花隆と文章中で批判されている上杉隆氏の討論を企画しているとの事であり、是非公開の場で、立花隆がもう「終っている」事を明らかにしてほしいものだ。

g2「立花隆の緊急寄稿・小沢はもう終わりだ」(掲載:2010年2月4日)

■異例の再聴取の裏を読む
小沢はもう終わりだ=小沢は生きのびられるのか?

 小沢は基本的に終わった!*1あと一日、二日は生きのびるかもしれないが、小沢の政治生命はすでに終っている、と私は思っている。一月三十一日、小沢は検察から二度目の事情聴取を受けた。それも三時間余にわたる長時間の事情聴取である。二度目というのも異例だが、それが三時間余にわたったというのも異例である。とりあえずの記者会見*2で、小沢は何でもなかったかのようなコメントをしたが、もちろん小沢は事態がどれほど深刻かがよくわかっている。

 だからこそあわてて記者会見で、もし自分に刑事責任を問われた場合には、どうするこうするという自分の進退問題にまで言及したのである。二度目、三時間余の事情聴取(とはいっても、一回目から被疑者調書を取られているから、むしろ取り調べといったほうがよい)の中で、自分が刑事責任を問われつつあるという感触を得たからこそ、小沢はこんな言及をしたのだ。明後日、秘書処分にともなって小沢が政治責任を取らざるをえない形での小沢処分がある*3と見てまちがいあるまい。

 はっきりいって、小沢はもう終りと見てよいだろう。検察が二度目の事情聴取に踏み切るのは異例のことである。検察が目算なしに有力政治家の事情聴取に踏み切ることもなければ*4、秘書の逮捕(それも前元あわせ一挙に三人もの)に踏み切ることもない。ましてや二度目の本人事情聴取に踏み切ることはない。


■庶民の怒りが「法的妥当性」をただす

 もちろん、嫌疑の筋がただの形式犯にしか問えないような(たとえば交通規則違反とか軽犯罪法違反)事例であればそこまではやらない。今回小沢が問われている事例は、そのようなケースではない。政治資金規正法違反は、形式犯ではない*5。いまや、かつての贈収賄罪と同じような、政治とカネの問題にかかわる中心的な犯罪*6になっている。政治資金規正法違反の性格をそのようなものに変えたのは小沢一郎その人である。金丸信の事件までは、政治資金規正法違反は社会的にも実質的にもそのような(秘書に押しつければすますことができる)形式犯罪とみられていた。


■「小沢不起訴」の先を読む

 小沢不起訴で小沢は助かるのか? とんでもない。不起訴があまりにも不当であるがゆえに、小沢はむしろ大転落への道を大きく踏み出してしまったのだ。問題点ははっきりしている。小沢の三人の秘書は虚偽記載を認めている。彼らの有罪は確定しているといっていい(池田秘書のみ未確定らしいが)。ポイントはその虚偽記載は秘書が勝手にやったことで、小沢の指示・命令・相談・報告・了承などの関与があったのか、なかったのかである。あれば小沢は共犯、なければ秘書の単独犯である。


 常識的に考えれば、小沢の事務所は、いかなるワンマン企業よりも激しいトップダウンの組織で、秘書らは日常奴隷のごとくとまではいわないが、召使いのごとく仕えている組織なのだから、小沢が何も知らない間に秘書が勝手に何億円もの資金を動かすなどということがあるはずはない*7。今回起きたことは、そのあるはずがないことが起きたと、小沢も秘書も口裏を合わせ、その口裏合わせを検察は突き破れなかったということなのだろう。


■検察は思いこみを捨てろ*8

 だが、それは「これこれのことを小沢先生から命令されてやりました」というような秘書の百%の自白調書でガチガチに固めないと、立件できない(そこまでやらないと裁判で負ける)という従来の検察の固定観念がそう思わせているのである。その思いこみを捨てて、このようなケースでは、まず事務所の日常の金の動きと日常の小沢と秘書の関係を一般的に立証した上で、あとは間接証拠の積み重ねで、他の可能性(秘書の横領、泥棒など)をひとつひとつつぶしていけば小沢の関与は自然に浮かびあがってくるはずだから、それで充分と発想を転換していけばいいのである。

 あとは裁判官の常識的な当り前の判断力にことをゆだねてしまえばよいのである。本来裁判とはそういうものだと考えればよいのである。ガチガチの自白証拠で二百%固めなければこういうケースは立件できないなどと思うからつい自白を求めて無理な取り調べをすることになる。そして、検察憎しの立場に立つ一部マスコミにバカバカしい批判――たとえば、つい最近起きたと伝えられる(検察は事実無根と抗議)、子供を持つ石川の女性秘書を一〇時間も無理な取り調べをして保育園に通う子供を迎えにいけなくしたなど――を許してしまうことになる。


■筋の通らない小沢の弁明

 私にいわせれば、もう小沢関与の立証に充分すぎるほど充分な間接証拠の山を検察はすでに持っているはずである*9。あとはガチガチの自白証拠がないと立証に充分でないという固定観念を捨てて、早く法廷での立証合戦に持ち込むことだ。法廷での勝負に持ち込み、腕ききの立ち会い検事にすでに集めた証拠の数々を存分に使った立証をやらせれば、小沢有罪に持ち込むことは苦もないことだと私は思う。

 だいたい誰がどう考えたって、小沢の弁明は筋が通っていない*10。小沢の関与・了解なしに、四億円もの虚偽記載が小沢事務所で秘書の独断で行われるわけがない。法廷での立証は、通常の判断力を持った通常人(裁判官)を充分納得させられればいいのであって、そうむずかしいことではない。

 すでに、各種の世論調査で、小沢の弁明をそのまま信じている人など*11ほとんどいないという事実の中に、裁判になったらどっちが勝つかがすでにあらわれているといってよいのである。こういう状況の中で、伝えられているように、検察はすでに小沢不起訴の腹を決めたというのがホントなら、それは検察が石橋を金づちやハンマーで叩きに叩き、ついにはショベルカーまでもってきてガンガン叩いた上で、結局渡るのをやめてしまったというくらいの度胸なしの決断をしたことになる。


■腕力ではなく頭の勝負

 思い出すのは、ロッキード裁判の立ち会い検事だった堀田力*12検事である。あの人は、法廷ドラマの検事役のような芝居がかったところは全くない人で、それこそ淡々というほかないような、静かに立証を詰めていくだけの人だった。しかし、しばらく時間が経過して振り返ってみると、実に見事に弁護側の逃げ道をふさいでおり、いつのまにか詰め将棋と同じように弁護側は雪隠詰めになっているのだった。ときどきチラリチラリとはさんでいく「あなた、その段ボールをどこかでちがう段ボールとすりかえてしまったとか、そういうことはなかったですか」などといった、一見バカげた質問が、あとからみんなきいてくるのだった。それを見ながらいつも「ああ、法廷立証というのは、数学みたいだ」と思った。いかなる推理小説よりも面白いと思った。

 いまの検察首脳にそういう頭の勝負ができる検事がいれば、「ガチガチの自白調書をちゃんと集めて来い」というような腕力勝負を挑まず、とっくに立件に踏み切って法廷勝負にもちこんでいたはずである。そして、すでに法廷で何度も尋問で小沢をキリキリ舞いさせ、誰の目にも小沢の敗北が明きらかになるという名場面を演出できていたはずである。ロッキード裁判は、そういう名場面が幾つも幾つも連続して出てきたからこそ、文句なしの検察側勝利に終ったのである。


■出発点となった「週刊現代」の記事

 小沢裁判だってそういうことは充分可能なはずだ。たとえば、一部の人にはよく知られている「確認書」の一件である。
 二〇〇七年二月二〇日、小沢は自ら記者を呼び集めて、不思議な「確認書」なるものを公開した。これは、「政治家小沢一郎」と「陸山会の代表者としての小沢一郎」の間にとりかわされたというおかしな「確認書」で、政治家小沢一郎は、陸山会所有の一連の不動産に対して、いかなる権利も保有していないことを、陸山会代表小沢一郎との間で確認するという内容になっていた。どういうことかというと、政治家小沢一郎は一連の不動産(いま問題の世田谷の土地から、都心部のマンションなど一時は合計一一件、一〇億円超の物件。現在は六件)の名義人になっているが、これは政治資金団体陸山会は法律的に「権利能力無き社団」であるため不動産の登記ができないので、その代表者の小沢一郎個人が個人名で登記しているというだけのことであって、政治家小沢一郎が登記したからといって、「政治家小沢一郎はこの物件に対して何の権利ももっていないことを確認する」とした「確認書」なのだった。

 なぜこのような奇怪な「確認書」が出されたのかというと、二〇〇六年五月に、「週刊現代」(六月三日号)にジャーナリストの長谷川学氏が、「民主党代表小沢一郎の“隠し資産”を暴く」という記事を書き、小沢がとてつもない一群の不動産物件をあちこちに隠し持っているという事実を詳細にあげたことに怒り狂い、長谷川氏と発行元の講談社名誉毀損で訴えるという事件が起きたからだ――考えてみると、今回の事件は結局、この暴露記事から出発しているのだ。


■偽造された「確認書」
 小沢の署名が二つ並ぶ「確認書」。この記事は、これら不動産は陸山会のものということになっているが、真実は小沢個人の隠し資産ではないのかと追及していた。それに対して、小沢が、いやそれら不動産はあくまで政治団体陸山会のもので、小沢個人とは関係ないのだということを示そうとして、この「確認書」を得意気に記者たちに示したのだった。そして、名誉毀損の訴訟では、この「確認書」を問題不動産が政治家小沢とは無関係であることを示す証拠物件として、東京地裁に提出したのだった。

 ここでいっておけば、このような証拠にはしかるべき証拠力がないとして裁判所の取るところとはならず、この名誉毀損裁判では、講談社側が勝訴、小沢側が敗訴している。さて、ここで私がいいたいのは、今回の事件の捜査過程でこの「確認書」が、小沢側が偽造したものであることが明らかとなってしまった*13ということである。

 最近発行された「文藝春秋」二月号に載った小沢の石川秘書の地元秘書をしていた金沢敬氏の告発(「消えた五箱の段ボール」田村建雄著)によれば、昨年三月三日の小沢の秘書大久保隆規が逮捕されたときに、北海道から急ぎ上京して、大久保逮捕後の一連の証拠隠滅工作にまきこまれた経緯を次のように語っている。「(石川は)『パソコンをどうするかも地検が来る前にみんなで話し合ったけど、さすがに今時パソコンがない事務所はおかしいので、残しておいた』などとも言っていました」このとき彼らが事務所に残してしまったコンピュータが検察に押収され、そのハードディスクの中身を解析していったところ、このコンピュータで例の「確認書」が作られたということがバレてしまったのである。

 そして驚くことには、その「確認書」の製作年月日が、実は問題の記者会見の直前であることがわかってしまったのである。さてここで注目していただきたいのは、上の「確認書」の小沢の署名部分である。ごらんの通り、もっともらしいものに見せるために、小沢は政治家個人の小沢一郎陸山会代表小沢一郎を区別するために、印鑑を押している。
 これは裁判所に提出した証拠物件の偽造であるから、法治国家の根幹をなす重大問題である。


■予算があがった当日に逮捕された金丸

 昨日の小沢不起訴のニュースで、街の声を拾うと、釈然としない人々の顔が目立った。小沢にかけられた疑惑は何も解明されていないのに、小沢が早々と不起訴になってしまうのか、という感じの不満顔でいっぱいだった。それを見て、これは金丸信の佐川急便事件のときの黄色ペンキ事件寸前だなと思った。それはそうだろう。誰が見たって、小沢不起訴はおかしいのである。もし、本当に、これが「これで小沢は真っ白です」の不起訴なら、私だって、黄色いペンキを投げに行きたい。
 だけど皆さん早まってはいけない。これは「小沢真っ白」の不起訴ではない。検察はやろうと思えばあとを法廷勝負に賭けて、すぐにでも小沢を逮捕できるような材料をいろいろ手持ちしていながら、それをいま行使しないだけなのだ。法廷勝負に賭けたりせず百%の勝利を確信できるところまで一件を仕上げるための時間稼ぎ戦略に転じたというにすぎない。

 なぜか。消息通が解説してくれた。「検察が政治家を捕まえる場合、検察は政治を混乱させることをきらいますから、時機を充分に見はからいます。基本的に国会の開会中は逮捕許諾請求が必要になることもあるし、政治的混乱が避けられないからなるべく避ける。検察が特にきらうのは、予算審議を混乱させることです。だから、これまでもいくつも例がありますが、予算がかかっている場合は、予算があがるのを待ってからやるのが普通です」そうなのである。金丸逮捕にしてもそうで、予算があがったら、その日にやられた*14


■幹事長辞任か議員辞職

 いまから予言してもよいが、小沢はもう終りなのである。小沢が不起訴で枕を高くして寝られるようになったと思ったら大間違いである。逆にこれから一歩一歩逮捕の日に向けて詰めの動きが着実にはじまったのである。それが水谷建設の一件でくるか、税金の問題でくるか、あるいは政党交付金の問題でくるか入り口はまだ定かでないし、多分幾つかの「合わせ技」でくるのだろうがどれとどれを合わせてくるかなど、まだまだ定かでない点が多い。逮捕の日も予算があがる日か、別の重要法案があがるのを待つのか、あるいは別の重要政治スケジュールがあがるのを待つのか、その辺もまだわからない。しかし、事件は、金丸事件になぞらえていえば、「黄色いペンキ事件の日」から「突然の金丸逮捕の日」の間の「いつ何が起こるかわからない危険地帯」に入ったのである。

 そして、小沢にもそれがわかっているのだろうから、そして小沢もバカではないから、おそらく予算があがる直前など、いよいよヤバイことがわかった時点で、あるいは自分のマイナスイメージが民主党支持率をどんどん下げだすのが明きらかになるなどの時点で、小沢は幹事長を辞任するだろう。あるいはさらに議員まで辞職して、それを代償に逮捕だけはまぬがれさせてくださいというような、検察の慈悲を乞うための検察との駆け引きに出るだろう。民主党の政治家の方々はそのときをにらんで、いまから身の処し方を考えておくことだ。これからすべての政治家が一瞬たりとも気が抜けない、そしてすべての政治家がその政治家としての器の大きさを問われる日が間もなく連続してやってくる。


■小沢と検察、両者の会見から読み取れるもの
 小沢不起訴の背景に何があったのか。表面的には「嫌疑不十分」、すなわち犯罪(政治資金規正法違反)の疑いはあるが、起訴しても公判を維持するに足る十分な証拠が集められなかったということになっている。とはいえ、検察の処分決定に際しては、最後の最後まで、すでに集めた証拠でも十分とする積極派と、これだけでは不十分とする消極派の間で争いがあったとされる。証拠評価は、証拠評価メーターのようなものがあってそれに載せればすぐに評価値が客観的に示されるというものではなくて、主観的な部分が大きいからどうしても積極派と消極派が出ることになる。裁判はやってみなければわからないという部分が結構大きいから、裁判をやらないと決まった以上、どちらが正しかったかの判定もつかないことになる。

 だが今回は、検察審査会の制度が変った効果によって、実は不起訴の決定が引っくり返って、小沢起訴になる可能性も結構あるというのはすでに伝えられている通りである。検察審査会の委員はクジによって十一人が選ばれ、うち八人が起訴相当の決議を二度にわたって行えば、検察がいやでも起訴されることになる(裁判所の指定した弁護士が起訴する)。十一人中八人ということはパーセントに直せば、七三%の賛成があればということで、まだ小沢不起訴後の世論調査があるわけではないが、結構引っくり返ることもありうるラインだと思う。

 面白いのは、この検察審査会の審査に、検察側はこれまでの捜査資料を提出して、なぜ不起訴の決定にいたったかを疎明しなければならないということである。不起訴決定後も国会審議を通じてこの問題はまだまだ多くの議論がつづけられることになっているが、それとは別の角度からの議論もつづくということである。


■元検事総長が綴った「指揮権発動」の真実

 ここで、いまひとつ異なる角度からこの一件を見直す必要があるという問題を提起しておきたい。それはこの不起訴決定の裏で、インフォーマルな指揮権発動があったのではないかという問題である。表向き、公然と行使された指揮権発動は、一九五四年の造船疑獄にあたって、検察が佐藤栄作自由党幹事長を収賄容疑で逮捕しようとしたのに対して、ときの犬養健法相がこれにストップをかけるために発動したもの一度きりということになっているが、実はそうではない。実はそうではないということは、指揮権発動問題に関していちばん権威あるとされる、伊藤栄樹元検事総長の『逐条解説 検察庁法』(良書普及会)に、はっきり次のようにある。「いわゆる指揮権発動は、昭和二九年四月、いわゆる造船汚職事件に関して行なわれたそれがもっとも有名であり、一般には、それが唯一の例であるかのようにいわれているが、必ずしもそうではない。」必ずしもそうではないどころか、重要事件については、むしろ、一般的といってもいいくらい行使されているというのだ。伊藤栄樹は次のように書いている。


 「まず、法務大臣は、あらかじめ、特に重要な事件について、捜査の着手または起訴、不起訴の処分について、法務大臣の指揮をうけるべき旨を、一般的に定めており、これにあたる場合には、具体的事件について、検事総長から法務大臣に対して請訓が行なわれ、これにこたえて法務大臣が指揮をすることとなっている。すなわち処分請訓規程(昭和二三年法務庁検務局秘第三六号訓令)および破壊活動防止法違反事件請訓規程(昭和二七年法務府検務局秘第一五七〇号訓令)に定める若干の事件がこれである。」政治資金規正法違反は新しい法律だからこの処分請訓規程に入っていないことは明きらかだが、その後身の現行処分請訓規程に入っているかどうかは不明である。しかし伊藤はさらに次のようにも書いている。「また、検事総長は、国会議員を逮捕する場合(ことに、国会の会期中)その他将来政治問題化することが予想されるような事件については、国会における検察権の代表者である法務大臣に対し、折りにふれて積極的に報告を行なうものと考えるが、そのような時、とくに法務大臣の指揮を仰ぐこともあると考えられる。」

 今回の事件は明きらかにこの範疇に入る事件だから、当然、最終処理にあたって、千葉景子法務大臣のところに処分請訓がなされているはずである。


■態度を一変させた小沢

 問題はそのとき千葉法務大臣が何といったかである。「しかるべく」(「検察がやりたいようにやりなさい」)といったかどうかである。そのような決定を下すにあたって、千葉法務大臣が小沢に連絡して、小沢の指示をあおいだりしなかったかどうかである。今回は、造船疑獄のときとちがって、「小沢不起訴」という方針は民主党政府と小沢の意に沿うものだったから、多分、「秘書三人起訴、小沢不起訴」という最終処分の内容を告げられても、千葉法務大臣は「それで結構です」としかいわなかったろう。

 ここで問題なのは、そのような検察最終処分方針の決定にあたって、検察がそもそも証拠を純粋に客観的に評価してそのような結論に導かれたのかどうかである。むしろ、検察側がいずれ法務大臣の指揮を仰がなければならなくなる事態を見こして、民主党政府と正面衝突しなければならないような最終処分方針(「小沢起訴」)は避けたということではないのかということである。

 私が今回の不起訴処分で注目したのは、当日の小沢の記者団へのコメントである。まず石川秘書の処分に関して問われて、「検察の公正な捜査結果」といった。これまでの検察批判を繰り返し、検察との全面対決姿勢をむきだしにしてきた小沢のあまりの態度の変化にビックリした記者が、「前に検察との対決を宣言していたが、これは、その対決に勝利したということか」と問うと、「勝利とか敗北とかいう問題ではない。検察当局が、公平公正な捜査をやった結果だと、それをそのまま受け止めていきたい」と、公平・公正を繰り返した。あのケンカ腰の対決姿勢はどこに行ってしまったのだろうかとビックリするような態度の変化だった。


■事情聴取は何回行われたのか

 もうひとつ注目したのは、検察の佐久間達哉特捜部長の記者会見の次のやりとりだ。
――小沢氏への聴取は何回行ったのか。
「小沢氏本人が明かしているものは否定しないが、何回だったのかはいわない」
 一般には小沢が自分から明かした二回の事情聴取しか知られていないが、どうやら、二回以上あったらしいのである。

 そういわれてみると、最終処分に向けてことが進行している過程で、小沢が報道陣の眼を逃れて、動静不明になっていた数時間がある。一回目四時間半、二回目三時間の事情聴取も結構長いもので、二回目の聴取の後も小沢の強気の姿勢が大きく変っていてビックリしたが、それ以上に、この最終不起訴決定後の小沢の態度の変化には驚くほど大きなものがあった。

 私はいつだったか、ある検事に、「(マスコミの)皆さんが知らないところで行われ、いまにいたるも誰も知らない検察の政治家の事情聴取なんていくらでもあるんです。私もやったことがありますが、なにか別の用事で国会に行ったときに、その取り調べた政治家から議会の廊下で最敬礼されて困ったことがありました」という話を聞いたことがある。

 今回の事件で、まだ明かるみにでていない、そして今後とも明かるみに出ないことはいろいろあるにちがいないが、その一つが、この小沢不起訴にいたる決定過程だろう。


■阿吽の呼吸

 それがどのようなものであったかは、私も知らないが、あれほど強気だった小沢をもってして、検察を公平公正の権化のようにいわしめるような何かだったのだろう、とはいえる。その態度の変化から推しはかるに、検察は小沢を追いつめる相当の隠し玉を持っていることを小沢にある程度明かした。しかし、それを使わないで不起訴で結着をはかるという形で、小沢に大いなる恩を売ったということではないのだろうか。
 ついこの間まで、検察との対決姿勢を強めた小沢は、検察官人事に手を突っ込み、民間人から検事総長を起用するとか、検察庁の機構改革、取り調べ過程の可視化など、過激な改革策をいろいろ考えていると伝えられていたが、もしそうだとすれば、おそらく、そういう姿勢も含めて、小沢はこれから対検察の姿勢が大きく変っていくにちがいない。

 なにか大きなものを検察につかまれたままで、この事件が完全結着したとはいいがたい状況の中で、検察と小沢の間で阿吽の呼吸の大きな取引が進行したということが小沢不起訴の本当の裏側なのではないだろうか。阿吽というところが大事で、このような取引は決して言葉では明示されないし、いかなる形でも証拠は残さない。だから、後からどちらの側もあったとも、なかったともいうことができる。いってみれば、その後の小沢の大いなる態度の変化がそのような取引を受けたという意思表示といえる。


■小沢も検察も「安泰」か?

 小沢は実は、自民党の最大の実力者の一人として、政界の裏側をたっぷりのぞいてきた。政治と検察の関係の裏側もよく知っており、『小沢一郎 政権奪取論』(朝日新聞出版)の中で、指揮権発動に関して以下のようなことをいっている。伊藤栄樹とは別の意味で、指揮権発動なんて、何度も行われてきたといっているのだ。

小沢 犬養法相の場合は「やるな」というほうの指揮権発動だった。法相が疑獄捜査をとめたから、国民から批判されたのだ。しかし、田中先生と金丸さんについては「捜査をやれ」という指揮権発動だった。
――それでは、大物政治家に対する検察の捜査は、政権の側から「いいよ」という判断がないと、やりたくてもできないのですか。
小沢 検察が政界の大物を対象にした捜査をやるときは、必ず総理にお伺いを立てます。行政ですからね。金丸さんのときに、検察が政権のだれと話したか、僕は詳しくは知りませんけども。だけど、おそらく、あのときに首相だった宮沢喜一さんが、検察の捜査方針に「うん」と言ったんでしょうね。そうでなきゃ検察は捜査をやりっこないですから。そして、竹下派議員は少なくとも半分は、金丸さんの捜査を許容していた。
――竹下さん自身はどうだったのですか。
小沢 許容した側です。

 こういう経験を積んできた人間が、今回は政権中枢に座っており、しかも自分自身の政治生命にかかわる事態におちいったのだから、権限上も許される影響力を存分に行使したはずである。そしてそのような小沢の出方を十分に知っていた検察は、その捜査力を行使して、小沢に対する交渉力のもととなる材料をたっぷり仕込んだ上で、小沢との取引にのぞみ、「不起訴」決定と引きかえに、検察側も取るべきものはたっぷり取った(検察組織安泰)。しかし、そのような取引を表に出すわけにはいかないから、いまは検察の捜査がなぜどのように失敗したかというウラ話をさかんにリークして、それをマスコミがよろこんで書いているという状況ではないのか。

 おそらく、この事件の本当の裏側が外部にもれてくるのは二十年後、三十年後ということになるのではあるまいか。私は過去二回の記事で「小沢はもう終り」と書いてきたが、不測の事態が起きないかぎり(たとえばフリージャーナリストによるバクロ、検察審査会の起訴決定など)小沢の政治生命安泰、検察の組織安泰という日々がつづくのではないか。
 そして、造船疑獄を乗り切った佐藤栄作が、その後、検察主流と最も関係が深い政界実力者となり、政敵追い落としに検察権力を存分に利用し、史上最長の政権をきずくことになったなどという時代がもう一度現出することだけは願い下げにしたい。

*1:小沢一郎はこの後2月4日に不起訴になった

*2:定例記者会見で小沢一郎自ら明かしたのであり、とてもとりあえずとは言えない

*3:検察からは不起訴になり、民主党からはなんの処分もなかった

*4:検察はなんの目算なしに秘書の逮捕に踏み切ったのはこの後明らかになった

*5:石川議員=元秘書が逮捕された今回の事件でも最悪でも形式犯に過ぎないと郷原元検事は述べている

*6:不起訴により不正な金の疑いは晴れたと言ってよかろう

*7:これは立花隆の間違いで金の移動そのものは小沢一郎は報告を受けている。焦点はそれを収支報告書にどう記載するかである

*8:検察応援の立花のこの文章は異様だ

*9:立花隆の思い込みが完全な間違いだったのはこの後証明された

*10:小沢の説明のどこがどう通っていないか示さず常識論・感情論で批判しても何の意味もない

*11:世論調査小沢一郎批判の導入文の後に質問されているのを立花はどう考えているのだろうか?

*12:この堀田も含めて元特捜部検事の推測は全て外れた

*13:この報道は検察リークの典型と言われている。検察に押収された小沢事務所のパソコンHDの解析から文書の作成期日が特定されたが、そんな押収品をマスコミはどうやって自分で解析したのだろうか?

*14:この後予算が上がっても小沢一郎は逮捕されていない