zames_makiのブログ

はてなダイアリーより移行

メディア批判を行うために必要なもの

私のメディアに関する認識はネットで見つけた下記コメントに共感するもの
(1)

>マス・メディア批判もいいんだけど、その前に自分の胸に手を置いて考えろ
>全員が満足できるマス・メディアは存在しない
仮にもメディアを研究している知識人がこんな事しか書けないのか?と少々驚いた。これでは上杉隆(フリージャーナリスト)やTBSの金平茂紀を教授に連れて来た方がメディア論としてはずっといい教授になる。少なくとも彼らは「ジャーナリズムはどうあるべきか」に自分の結論を持って行動している。しかし知識人といえどもこれに明確な回答を持っていない場合も多い。


●一方2010年の今もメディアのおかしさはとまらないように思える。
1:小沢一郎に関して検察は2009年に続いてリーク情報を大量に流し、メディアはそれをそのまま、あたかも確認された事実のように伝える。
2:普天間基地の移設問題に関して日本のメディアはまるでアメリカの手先のようにジャパンハンドラーズ(口先の意見で日本に影響を与え操作する人達)の声を大きく伝え続ける、彼らは実は政府要人でもないのに。そこでは「日本の益を考えるべきである日本のメディアはどうあるべきか」「そもそも問題は何なのか」などの根本的な視点が完全に置き去られているように見える。これは左派・右派といった程度のメディアの政治性の問題ではなく、より根本的な問題だろう。
3:普天間に関してはそもそも「沖縄の海兵隊は何をするための部隊か?」という基礎的な情報が日本のメディアから欠如している。それが何をするものかわからないままでは、移設先の検討も、安全保障上の可否も議論しようもないのに、国民はそれを欠いたままただ結論だけをメディアから迫られている訳だ。
4:記者クラブ問題はまさにメディア自身の罪悪なのだが、どうなるのか?それを大手メディアは完全に隠しているのこの方は容認しているらしい。
5:小泉進次郎自衛隊を政党宣伝のために使ったという件はどうなったのだろう?それは完全に自衛隊法に違反するという(こうした条項は他の国家機関にはないという)。ああいった件はメディアの信頼性を決定的に失わせる。
6:天皇会見問題でも朝日新聞産経新聞と違う意味でひどかった。


●一般に知識人と言われる人でもメディア批判が理解できない理由は、(1)メディアはどうあるべきかの像がない、(2)各政治的事件に関して自分の背景知識が不足しており、それを報ずるメディアの有り方を判断できない(より根本的で深刻な理由)からだろう。要は何も知らない人は何を言われても「そんなもの」としか判断できないという事だろう。新聞&テレビを資本で結合した日本の主要メディア5社は一斉に同じ論調で報ずるからそれらのメディアだけを聞いていては、その間の多少の差異(例えば読売と朝日の)の分析しかできず、まあまあ正しいとしか言い様がない。しかし例えば普天間基地移設の問題を背景知識を持って眺めれば「駐留海兵隊はそもそも何をするのか?」をまったく報じないまま、アメリカに逆らうと日米同盟の危機だとする主要メディアが根本的におかしいと判断できるだろう。メディア批判には政治・社会・経済・歴史などの多くの背景知識が必要であり、それがなければ可否の判断もできないのだ。


●政治に関しては、「何も知らずメディアに容易に操作される一般国民」はテレビを介して政治を理解している。それは主婦であり老人だ。彼らは新聞よりテレビからより強く影響されているだろう。みのもんた(TBS「朝ズバッ」司会者)は注意深く見ないと分析できない話し方のテクニックを使って、自分は言葉では明確な政治的立場を示さないまま(つまり建前の放送の公平性を保ちつつ)視聴者には、はっきりした政治的メッセージを与えている。このみの氏の影響力は舛添厚生労働大臣が認めている所だ。みのもんたがその番組で年金問題で3年以上も自民党をひどく批判し続けた事はテレビが政治を大きく動かした歴史的な例と言えるだろう。


こうした問題を見れば、メディア批判はそれを理解するための背景知識がないとできない。又政治的知識やおきた事件に関する知識がないと、メディア批判として提示された意見もその重要性や意味を理解できない。こうしたハードルの高さからか歴史の浅さからか残念ながらメディア論で明確な意見を述べる学者は日本ではごく少数である。

(2)

>(ネットなど巷のメディア批判は)特定の政治的立場から「あるべきジャーナリズム」を語っている
>(今までの)日本のジャーナリズム論では自分自身のイデオロギー立場を深く省みることなく、それに沿ってジャーナリズムを断罪する

この方は昨日のニュースも見ていないらしい。小沢一郎事務所に検察の強制捜査が入りテレビ・新聞が未だ公式会見のない検察の意図を詳しく報じている。これに対してTheJournalやJanJanなどのネットメディア、テレ朝に出た郷原信郎氏などは検察の小沢一郎への容疑そのものが成り立たないと批判している。ネットのブログや掲示板ではこれらを受け検察のリーク情報垂れ流しへ厳しい批判があがっている。またこれに限らず朝日ニュースター愛川欽也ニュースの深層では継続的に大手メディアの批判を行っている。それらは政権交代のある前も後もでありある時は民主党に有利であり、ある時は不利だ。今のネットのメディア批判はこうした情報をその大きな動力源にしている。

 それらはある政治を推進したくて言っているのではなく、メディアのあり方自体を批判している。これらのどこに特定の政治的立場やイデオロギーがあるというのだろう?


●振り返れば2001年の田中真紀子+小泉の登場以来、政治がメディア(特にテレビ)で大きく動くことが証明され、当事者もメディアも、そして受け取り手の国民の側もその機能を意識し分析するようになった。メディアを利用した小泉のやったことを国民は当初歓迎したが今ではそれがとんでもない間違いだった事に気づいてしまった。しかし結局全てのテレビは自らのテレビ政治を正面からは批判せず今も機会さえあれば再び繰り広げようとしている。また政権交代により民主主義そのものとそれを機能させるメディアのあり方が見直されているのに全ての大手新聞はまったく以前の感覚ままで記事を作成している。

 結局小泉劇場の後も大手メディアは自らの有り方反省していないしまったく改めていない、その現れが記者クラブの解放拒否だろう。だから2010年の今では国民の側からメディアに対し批判の声があがるのであり、それらは民主党支持でも自民党支持でもない。

 おそらくこの方は実際には2001年以降の最近のメディアを読んでいないし見ていないのだろう。その上でずっと昔の(おそらく学生時代に先生から聞かされた話に基ずく)先入観だけで今のネットのメディア批判投稿を見ているのだろう、あれは左翼の偏った見方だ、、あれは天皇崇拝の国家主義者がごく普通の新聞を批判しているのだけだと。しかし今起きているのはそうではない。


たしかに研究者による近年のメディアに関する分析は非常に少なく、上杉隆氏や金平茂紀氏など現場の経験者からの声の方が多い、しかし少ないながら研究結果もある。例えば
輿論と世論 佐藤卓己 新潮選書 2008=今新聞がやっている輿論調査は多くは気分調査であって輿論ではないとの指摘。これについては朝日新聞が他の論者も交えて議論したものを長文掲載している。しかし全てのテレビ・新聞は今もそれを輿論調査だとし「国民は冷静に思慮した結果この政策をこう判断している」と報じている。
◆ソフトニュースと外交―視聴者の拡大と政策の変化(マシュー・バウム)(所収:政治空間の変容と政策革新 東京大学出版会 2008)=テレビの政治ワイドショーが視聴者に与える影響に関する統計に基ずく分析。小泉劇場の危うさを基礎づける。

今でも調べればこうした結果を日本国民は手にできる。