zames_makiのブログ

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青葉学園物語(1981)大澤豊

公開:1981.04.26(にっかつ児童映画) 製作=映像企画 配給=にっかつ児童映画 100分
監督:大澤豊 脚本:吉田栄子 原作:吉本直志郎  音楽:森田公一
出演:市毛良枝 鈴木瑞穂 赤塚真人 長内美那子 加藤嘉
…敗戦後の貧しい境遇にもめげず、やさしさや思いやりといった人間として一番大切なことを体得していく子どもたちの姿を描いていく。
…戦争で身寄りをなくした六十人の子供たちが生活する「青葉学園」。“なつめ寮”のメンバーのうち、ガキ大将の和彦をリーダーに、ボータン、清、まこと、タダシの五人の小学生は、今日も川魚捕りに懸命だった。夏休みに入って、“なつめ寮”に幸子と真治という姉弟の新入園児がやってきた。学園内では、自分たちで飼っている豚を売って、そのお金で何を買おうかという話題で持ちきりだった。和彦たちは野球道具を買ってもらおうと作戦を練るが、女子たちの反対にあい、こうなったら自分たちの手で稼いで野球道具を買おうと、「したむき会社」を作る。毎日下を向いて歩き回り、鉄屑や古釘を拾い集めて利益をあげようというわけだ。そんなある日、寮生の進を訪ねて母親のよし江がやってきた。だが進は、四年前に病気の父と自分を残して家を出た母を恨み、会おうとしなかった。そんな進に、同じ六年生の幸子は、白血病で療養している自分の母のことを話す。夏休みも終わりに近いある日、和彦たちは貯まったお金でごちそうを食べようと、街へ繰り出した。ひょんなことから薄汚いバラック建てのうどん屋に入り込んだ和彦たちは、そこで戦争で息子や孫をなくした老夫婦と出会う。老夫婦の身の上話を聞いて同情した彼らは、有り金を残らず置いてきてしまう。「ええことをしたのう、和彦ちゃん!」と、ボータンは喜ぶのだった。

http://hpcgi2.nifty.com/JCPH/cg/supp.cgi?mode=mes&set=12&no=18

 1980、広島在住の児童文学者・吉本直志郎原作の「青葉学園物語」が大沢豊監督によって映画化されることになり、地元広島でオールロケーションが組まれました。
 この映画は原爆孤児たちの施設を舞台に、子どもたちが異年齢集団の中で思いやりやたくましさを培ってゆく姿を描いたものです。原爆の悲惨さを直接的に描いた映画とは一味ちがい、辛い人生のスタートを強いられた子どもたちの健気な姿を通して原爆がもたらした悲劇を浮き上がらせ、高い評価を得る作品となりました。これが素人の子どもたちかと思わせるほどの名場面がこの映画には数々登場しますが、広島で生まれ育った子どもでなければ、きっとあの味は出せなかったのではないだろうかと思っています。センターは製作資金の調達、さらには子どものオーディション、宿舎やエキストラの手配など、多岐にわたって協力しました。(共産党広島県委員会)