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民主党政権誕生までのテレビの政治番組はどんなものだったか(4)

この記事の、前半は、前前前日前前日前日のブログにあります。

メディア批判者の意見は正しいのか(1)=植草一秀氏のブログ

 2008年10月〜2009年9月末までの自民党政権末期、民主党政権誕生の時期に最もメディア批判を行ったのは植草一秀氏だろう。氏はそのブログ「植草一秀の知られざる真実」で随時かつ大量の政治批評を行い、その中でも「悪徳ペンタゴン=政官業3者が共同して従来の利権を守ろうとしており、その中の一員としてメディアが民主党政権誕生を阻止しようと偏った報道をしている」として、主にテレビメディアを焦点に詳細で厳しい批判を行っている。私はこれらの批判はおおむね正しいと思う。
 メディア批判でもテレビメディアを対象にするのは珍しく、植草氏がこうした批判を行えたのは、(1)植草氏が有能な経済評論家で政治の大きな焦点になった郵政改革にも専門家として大手メディアにない見解をもっていたこと、(2)植草氏がかつてはNHK日曜討論」などに何回も出演したテレビでのコメンテーターだったとこと、(3)その後冤罪事件でメディアから攻撃された経験を持っているから、だろう。


 植草氏は主に「日曜討論」「サンデープロジェクト」「TVタックル」「サキヨミ」などの具体的な放送内容を挙げて厳しく批判しており、NHK解説委員の島田敏男、影山日出夫、テレ朝司会者の田原総一朗、北野たけしなどが厳しく批判されており、中には非常に鋭い分析がなされているものもあり傾聴に値する。
 それらの番組の多くを私は視聴してきたが、個別の内容は基本的に全て正しいものと思う。ただし中には言いすぎと思えるものもあるし、植草氏はほぼ全てのテレビを偏向した「御用メディア」だとしているがそれは、私の評価とは異なる。これは植草氏が政治批評・政治的意見として、民主党支持の立場から読者の認識を改めさせるため、厳しく批判しているのに対し、私はメディアの全体性(批判対象・賞賛対象両方に言及する)、望ましい報道のありかたや中立性(何が中立なのかという問いかけの視点)、視聴者へのアピール度合い(視聴者が見ている番組を中心に記述する)の点から見ているからだ。


 特に中立性の問題は難しく、(1)専門性の問題:植草氏のように郵政民営化で本来あるべき議論がはっきりしている場合、それとかけ離れたテレビの状況を厳しく批判するのは当然だ。しかし私のような非専門家にはテレビをそう断定するだけの知識に欠け勢い評価は甘くなる。(2)その上でテレビの政治番組がどうあるべきか、という視点は大変むずかしい。例えば「TVタックル」のような娯楽的な討論番組が視聴者に正しい結論をはっきり示さない事をどう評価すべきかは、論者によって大きく分かれるだろう。私は植草氏の「TVタックル」への評価は行き過ぎだと思うが、そうした意見が出てくるのは自然な事だし日本人の多数が賛成するなら、それが規範としても正しい事になると思う。しかし「TVタックル」は今でも視聴率が高く日本人の多数が植草氏に賛成する状況にないのも確かだろう。


 そして植草氏のブログでは批判だけが掲載されるが、政治ニュースを扱うテレビ全体を見た場合、「サタズバッ!」や「報道ステーション」は視聴率も高いし多くの場合は望ましい報道をしていた、それらは賞賛されるべき番組だろう。また植草氏の触れていないテレ朝の報道ワイドショーでは多くの政治討論が行われたし、その内容も望ましい姿に近かった。逆に植草氏は政治ニュースの提供媒体としては最も視聴率の高く影響力のあるNHKの7時のニュースを当初批判していたがあまり触れなくなった。それが与党自民党に偏向していたのは明らかだったのであり、その大きな悪い影響こそをより問題にすべきなのではないか。また逆にNHKの「日曜討論」は看板番組であっても多くの視聴者、特に政治に関し背景知識や関心のない一般的な日本人が見た場合、何かを得られるようなつくりになっていないように見える。それは自民党の逃げの答弁のため実質的には議論になっていない国会での問答と同じで「与野党でやり合っているな」という曖昧な印象しか与えずあまり論じても意味のないもののように思える。
 一方、「サンデープロジェクト」や「サキヨミ」が政治的に偏った印象をはっきり与えるおかしな番組であるのにはまったく同感だ。田原総一朗氏が一般的に人気があるのも理解できるが番組は彼の為に望ましいあり方から相当かけはなれてしまっている。田原は早く引退すべきだと思う。


以下は植草一秀氏のブログからメディア批判の上で特に注目すべきだと思ったものをいくつか取り上げ注意喚起をしておきたい。

植草一秀氏の分析の優れている点
1政治討論番組での出演者構成比を問題にしている事:

 植草氏はある問題を論じる上で出演者が2つの論点の内ある論点の側(多くは自民党側)に立つ者の数がずっと多くなっている事を問題視している。例えばNHK日曜討論」や「TVタックル」など(2009年X月X日記事参照)。
 テレビの討論番組では出演者の発言時間を均等にする場合が多い、例えば3:1などど自民党側の論者が多いと視聴者は自民党側支持の意見ばかり聞かされる、その結果本来の論理的優劣に関係なく自民党側の言い分が正しいという印象を視聴者は受けやすい。視聴者が積極的に問題点に注目しそれに関する議論の行方を番組から拾いあげるのであれば、たとえ発言が少なくても議論結果を彼なりに正しく判断できるだろう。しかし視聴者がその問題に詳しくなく注目すべき論点を持っていない場合(これは一般的な状態だろう)、あの意見に時間的に長く晒され繰り返しその意見が提示されれば、それを正しいと考えるのが自然な成り行きである。見方を換えればテレビの政治番組は<宣伝>であり、複数の番組でより多く提示された意見が、国民の間により多くの支持者を得ることになると考えられる。
 一般に政治では与野党の数の差などから論者の数を完全に合わせるのは困難だが、討論番組でしばしば起きるのは、ある側の立場の意見の論者がまったく登場しないまま討論が行われる事だ。その場合でも問題に詳しくない普通の視聴者は、そこで甲乙の意見が戦わされその結果が一般的な意味での議論結果だと受け取りがちだ。それは実際には片側の意見の中での差異でしかないのだが多くの視聴者はこれに気づかないだろう。


2並行比較の発想

小沢一郎秘書逮捕事件で世論調査から、小沢一郎は辞任すべきだ、との論を春メディアに対して、同じように
森田健作知事の事件、西川日本郵政社長の辞職要求事件、第1回党首討論の勝敗で、なぜ世論調査をしないのか?と問う並行移動の発想。この中で世論調査の行われたのは、西川日本郵政社長への辞職を求めるか否か、だけで他は世論調査は行われていない。行われていれば当時もメディアの潮流と異なった結果が出ていた可能性は大きい。


2植草氏がメディアの状況がおかしいと問題視したメディア事件(2009年3月〜8月)

(1)自民党総裁選を各メディアが大騒ぎで取り上げたこと、特にNHKへの批判
(2)麻生の支持率急落後、麻生も駄目だが小沢も駄目というメディアの論調への批判
(3)郵政民営化に賛成ではなかったと言った麻生を批判した小泉へのメディアの異常な支持
(4)かんぽの宿不正売却に関連して、郵政民営化の見直しを回避するメディアへの批判
(5)小沢一郎秘書逮捕時の小沢は収賄罪というイメージつくり
(6)小沢一郎秘書が罪を認めたという、NHK捏造報道
(7)森田健作知事の無所属という虚偽を扱わないメディア
(8)かんぽの宿問題で正しく問題を解説提示しないメディア
(9)日本郵政西川社長の辞任要求において、世論調査をしないメディア批判
(10)郵政改革の問題を隠蔽しつづけるテレ朝への糾弾
(11)郵政改革を擁護し竹中平蔵を出演させ続けるテレ朝への批判
(12)桑田佳祐の歌の不当な政治性の指摘
(13)民主党代表戦での世論の名を借りた自民党応援(岡田応援)
(14)鳩山民主党新代表への世論の名を借りた攻撃
(15)第1回党首討論での鳩山勝利を伝えないメディア
(16)党首討論報道でNHKが重要な鳩山の回答部分をカット
(17)党首討論の結果を世論調査で問わない
(18)選挙目前に、偽装CHANGE=民主党支持者散逸目的の新党と指摘
(19)マニフェストの比較で自民側で解説


(以下、続きは執筆中)

メディア批判者の意見は正しいのか(2)=ニューヨークタイムズの記事

メディア批判者の意見は正しいのか(3)=現代産業情報(2009.9.15記事)

メディア批判者の意見は正しいのか(4)=天木直人氏のブログ

メディア批判者の意見は正しいのか(5)=神保太郎氏の連載記事「メディア批評」

メディア批判者の意見は正しいのか(6)=宮台真二×神保太郎のニュースコメンタリー