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<最上敏樹氏の核廃絶への道>

2009年08月06日 NHK教育 視点・論点核廃絶への道」最上敏樹国際基督教大学教授)

 きょうは広島に原爆が投下されてから64回目の記念日。広島市民にとっては深い祈りの日、核廃絶への思いを新たにする日。広島市の秋葉市長も今日の平和宣言で「64年前の放射線が未だに体をむしばみ、64年前の記憶が機能のことのように甦り続ける」、と。

しかし、8月6日も、長崎の記念日である8月9日も、核軍縮が64年間停滞したままであったことを確認する日でもある。ひと頃に比べれば少し減ったとはいえ、世界にはなお、2万発に上る核弾頭がある。7月には米ロ首脳会議で弾頭数の削減について合意が見られたが、その内容は、向こう7年間でそれぞれ1500発ほどの削減を目ざすというもので、7年かけて現状の3分の1ほどを削減するにとどまる。・・・一定の成果ではあるが、大きな躍進とまでは言えない。
 日本の近辺に目を転ずると、5月に北朝鮮が2度目の核実験を行うなど、別の不安材料も。このように核兵器をもてあそぶかのような行動は全く肯定できないし、北朝鮮にとっても得るところはないもの。この国が暴走しないように、周辺の国々も細心の注意を払わなければならない。
 この北朝鮮にせよ、同様に核保有のおそれがあるイランにせよ、いわば「核の幻想」とでも呼ぶべきものがあるように思う。つまり、核兵器さえあれば、自分と敵対する国々との関係をが悪化しても、さらにはたとえ戦争になっても、「一発逆転できる」という幻想。わずかな核兵器を持っても、それを使いさえすれば米国との核戦争に勝てるわけでもなく、自分たちが核攻撃されないという保証が得られるわけでもない。
 核を持ちさえすれば安全とか、競争に勝てるとかいう問題ではない・・・その意味で「幻想」


 しかし、この幻想に関しては、60年以上もの核軍縮の停滞をもたらしてきた、核保有国の側にも責任がある。少なくとも、核拡散防止条約が発効した1970年からは、核軍縮の義務を負ったはずなのに、それをして来なかったことへの大きな責任がある、と言わねばならない。
 いまから13年前の1996年、国際司法裁判所が、核兵器使用が合法かどうかの法的な判断を下した。「勧告的意見」と呼ばれるもので、判決とは異なるが、法的な問題についての権威ある判断。それは、核の使用は一般的に言って国際法に反する、というもの。その勧告的意見の中で、裁判所は重要な指摘:それは核拡散防止条約第6条に言及したこと。この第6条とは、核保有国が核軍縮のための交渉を誠実に行う義務がある、という規定。裁判所はそれが、単に交渉するだけでなく、具体的な成果を出す義務がある、という判断を示した。これは画期的な判断。核保有国は核軍縮をしなければならない、と言われた。同時にそれは、核保有国がその義務を果たさないと、非核保有国に核保有への絶好の口実を与えることになるものでもある。現実の事態は、ある意味でその方向に。
 つまり、核軍縮については「13年間の停滞」だけが残り、その間、インドやパキスタンが核保有するだけでなく、北朝鮮もそうなり、さらにイランにもその可能性がある、と。軍縮NGOの中には、この事態に業を煮やし、核拡散防止条約の再検討会議が開かれる来年、2010年に、もう一度国際司法裁判所に勧告的意見を求める運動を起こそう、と唱えているものもある。つまり、1996年の勧告的意見で明確にされた「核軍縮の義務」を、核保有国は果たしていると言えるかどうか、それを諮問し直そう、というもの。


 このように、全般には停滞が目立つが、明るい材料も。アメリカのオバマ大統領が、4月にプラハで行なった演説で、核のない世界を目ざす、と述べたこと。演説でオバマ大統領は、アメリカが「核兵器のない世界の平和と安全に向かって邁進する」と述べ、そのためにアメリカがまず可能な限りの核兵器削減を行い、他の核保有国にも同じことをするよう呼びかける、と述べた。核超大国が、歴史上初めて、「核のない世界」の追求を口にした、大きな出来事。むろん、すぐには成果が出ないかもしれない。しかし、この政策表明には期待すべき理由も大いにある。
 =核を十分以上に持っている国が自ら減らすと言い、他の核保有国にもそれに呼応して減らすように呼びかけた点。これは「軍縮の一方的イニシャティブ」と呼ばれる方法で、1980年代には平和研究者などによってしばしば唱えられたもの。核保有国同士がお互いに均衡を取りながら軍縮しようとしてもさっぱり事態が進展しない、進展させるためには、まずどちらか一方が余分な核兵器を削減するという行動を起こすのが最も現実的、という意見。反対する人々からは非現実的な理想論、という批判もあったが、こうして一つの核超大国の最高指導者が実際にそれを始めることによって、このあと、実際にも「最も現実的な方法」になっていくかもしれない。


世界には、一方で、被爆者のように、全面核軍縮を求める人たちがあり、他方で軍縮を進めない核保有国や、新たに核を求める国々がある。その両者の間には、ほとんど無限と言ってよいほどの距離がある。しかし、これまでは単に「核軍縮を進める気のない核超大国」であった国から、核のない世界を目ざそうという指導者が現れた。それが持続すれば、そのことの意味は非常に大きなものがある。
 それに加えて更に、NGOが推進力となって、核軍縮に賛同する国々を巻き込む、という方式が組み合わされれば、核軍縮への動きはもっと現実味のあるものになるかも。NGOが主体になる方式とは、対人地雷禁止条約を生んだオタワ方式とか、クラスター爆弾禁止条約を生んだオスロ方式などを指す。核兵器の場合も、有力な反核NGOはあるのだが、地雷やクラスター爆弾などと違って、当の兵器を保有する国がなかなか賛同してくれないだろうという悲観的な展望も手伝って、オタワ方式やオスロ方式が本格的には起こされずに来た。

 しかし、一気に核廃絶に持っていくことは無理としても、本気で核軍縮に取り組むかもしれない国が登場してきたわけだから、一定の展望が開けてきた、とは言えるのではないか。核超大国による一方的イニシャティブの可能性と、オタワ・オスロ方式の本格化と・・・この2点が揃って動き出すならば、核軍縮にも展望が開けるかも。いや、この好機を生かさなければ、また数十年は展望が開けないのではないか。この好機を生かすべき。