zames_makiのブログ

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チェチェンへ アレクサンドラの旅(2007)

初公開年月 2008/12/20 公開 渋谷ユーロスペース
ALEXANDRA 製作国 ロシア/フランス  92分
監督+脚本:アレクサンドル・ソクーロフ/撮影監督:アレクサンドル・ブーロフ/音楽:アンドレイ・シグレ/演奏:マリーンスキー歌劇場管弦楽団音楽監督ワレリー・ゲルギエフ 製作:Prolin-film(ロシア)Rezo Productions(フランス)
主演:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(ロシアが世界に誇るオペラ歌手)夫ロストロポーヴィチ(2007年死去)と共に、旧ソ連政府に国籍を剥奪され、20年間以上アメリカで亡命生活を送った気骨ある女性。


主人公=ロシア人老女+ロシア兵士
対向者=チェチェン人女性
世界的なソプラノ歌手を主演に、報道統制下にあるチェチェンの最前線でオールロケを敢行。戦闘シーンのない戦争映画を通して、平和への願いを描く。
 チェチェン共和国、グロズヌイのロシア軍駐屯地に大尉として勤務する孫のデニスに会いたくて、チェチェンの最前線までやって来た80才のアレクサンドラ。彼女は兵士と同じテントに泊まりながら、ゆったりと兵士や現地の人々と親しくなってゆく。だが、職業軍人である彼は“人を殺す”ことが仕事だ。「破壊ばかりで、建設はいつ学ぶの?」と深い溜息と共に上官に問うアレクサンドラ。そんな彼女は近くの市場に出かけた時、ロシア語の堪能なチェチェン人女性マリカと親しくなる…。
http://www.chechen.jp/
http://www.pan-dora.co.jp

映画評(読売新聞 2008年12月12日)

戦争の意味問い直す旅

 ふくよかな80歳の女性アレクサンドラ(ガリーナ・ヴィシネフスカヤ=写真)が、ロシア軍の駐屯地で将校をしている孫を訪ねる。ただそれだけの筋立てだが、そこには戦争と人間、生と死、出会いと別れといった根源的な問題がぎっしりと詰まっている。ロシア軍と戦うチェチェンという名も、戦闘シーンも出てこない。そこで描かれるのは、孫との7年ぶりの再会劇であり、駐屯地の町で出会うチェチェン人女性との心の交流である。
 もちろん戦場だから戦車や装甲車が行き交い、町も砲弾のあとが生々しいが、すべてが疲弊し荒廃している。動きの止まった廃墟のように。駐屯地を、町を、ゆらゆらと泳ぐように歩き回り、ぶつぶつと独り言をいうアレクサンドラを、カメラはひたすら追う。これは現実なのか夢なのか。その境目が判然としない世界で、戦争の意味を問い直し、敵味方を超えた友情と連帯の絆を確かめ合うのだ。

 きれいごとに過ぎるとの批判が出るかもしれない。しかし、戦場が廃墟と化した過酷な現実があるからこそ、女性たちは互いの身の上を嘆くことなく、力を合わせて生き続けるしかない。終幕、祖母が帰途につく別れのシーン、続いて画面を横切る流れ星のような光跡。アレクサンドル・ソクーロフ監督の反戦の祈りが聞こえてくる。(映画評論家・土屋好生

映画評価(毎日新聞 2008年12月25日)

戦争というテーマの中に「おばあちゃん力」も盛り込む

 おばあちゃんが列車から降り立つ。アレクサンドル・ソクーロフ監督らしいセピアがかった色彩の中、ふくよかな体、まとめ髪の老いた女性の姿がある。マトリョーシカの外側の部分のような、いかにもロシアのお母さんといった風情だ。彼女の名はアレクサンドラ。ロシア軍駐屯地まで、愛しい孫・デニスに会いに来た。7年ぶりの再会だ。

 デニスがアレクサンドラを案内するのにしたがって、こちらも導かれるように自然に映画の中へ入り込んでいく。駐屯地のテントの中を、カメラは縫うような映像で見せる。銃を磨く兵士が映し出される。顔や手元。それから、「エッ!」と思うくらい古びた戦車。さながら、おばあちゃんの社会科見学につき合っているような気分だ。アレクサンドラは、装甲車の中に入って小銃を構えてみる。そして、深い一言を漏らす。「なんて単純なの」……と。


戦争について語った映画に間違いない。しかしソクーロフ監督は、直接的な戦闘シーンなどは無意味だと知っている。それよりも、このお年寄りのゆったりとした動作をていねいに映し出していく。それから、兵士たちの顔のアップを次々と映し出す。あどけない、少年の美しい顔を。ゆっくりと低く、静かな声で話すアレクサンドラ。どの兵士にも母のように接し、兵士たちも、誰もが年老いたこの女性を大事に扱う。絶対的な母性と兵士たちの無邪気な表情が、「戦争」と「死」との対比となって響いてくる。

 アレクサンドラの社会科見学はさらに続く。なにせ、じっとしていないのだ。駐屯地の外にも、ずんずんと進んでいく。市場がある。砲撃でボロボロになったアパートがある。そこは、まるで対岸の別世界。ソクーロフ映画の持つ独特の“疲れたリズム”が、このシーンでは見事にマッチしている。ソクーロフ監督が対岸に用意したのも、おばあちゃんと青年だった。2人のふれあいのシーンは、大仰な映画を好む人から見ればそっけないかもしれないが、実に的確で印象深いシーンになっている。

 本作は、実際のロシア駐屯地で撮影され、実際のロシア軍将校も出演しているという。アレクサンドラを演じるのは、ロシアの世界的ソプラノ歌手ガリーナ・ビシネフスカヤ。チェリストで指揮者やピアニストでもあった亡きロストロポービチの夫人としても知られている。ガリーナはソクーロフ監督のあこがれの人だそう。彼女を主人公に据えて監督自身が脚本を書き上げた。「アレクサンドラ」は、監督の名「アレクサンドル」の女性名だから、主人公は監督の分身なのかもしれないと想像できる。

 それにしても、おばちゃん(おばあちゃん)の態度って、世界共通だ。主婦同士すぐに仲良くなるし、思ったことはつい口に出して言ってしまう(この、アレクサンドラのブツクサ加減は結構笑える)。そして極め付けは、大阪のオカンがバッグから「アメ」を出すように、手提げからロシア的なある食べものが出てくる! これにはびっくりした。

もちろん、映画には深いテーマがある。アレクサンドラの一言は戦争の真実を突いているし、最初から最後まで、シーンの隅々までに意味があって、夢の中のような美しいシーンもたくさん出てくる芸術的な作品だ。でも、アレクサンドラの「おばあちゃん力」を見たいという気持ちで見ても単純に楽しめそう。ソクーロフ監督が日本の天皇を描いた映画「太陽」でも、テーマの難しさに対して、どこかコミカルな要素があったように、この映画にもまた、そんな面を持っている。

 とはいえ、人は生まれ、いつか死んでいくという普遍性(ソクーロフ作品共通のテーマ)と、人間の負の連鎖、そこに向ける監督の目は深くて厳しい。(文・イラスト、キョーコ)