zames_makiのブログ

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テレビ政治とは何か、その中で田原総一朗がした事は何か

「テレビ国家」のクーデター(石田英敬、雑誌『論座』、2005年11月号、http://www.nulptyx.com/pub_coupdetat.html)より抜粋
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現在の日本のテレビは、報道番組の編成において「ワイドショー」や「情報バラエティー」などのバラエティーを主流とした、社会的コミュニケーションである。そして、バラエティー化したテレビにおいて、「ネオリベラリズム」は、水のなかの魚なのだ。じじつ、「ジャーナリズム」という職業的・倫理的「規制」をはずされてしまえば、テレビとは「ネオリベラルな市場」そのものであるとさえ言ってもいい。


テレビ・コミュニケーションにおいては、「トピック設定能力」こそが、「資本」である


冒頭、歴史スペクタクル映画の予告編を擬した「郵政大乱」の題字、つづいて「監督・脚本・主演 小泉純一郎」のタイトル、衆議院解散の場面の映像の挿入、「今回の解散は郵政解散であります」という記者会見映像、「郵政国会はついに解散へ、それがすべての始まりだった」というナレーションの開始、「まさに国会は戦国時代」、「9.11総選挙」というタイトル、国会議事堂のヘリコプター映像、「郵政民営化に賛成してくれるのか、反対なのか、これをはっきりと国民の皆さまに問いたいと思います」という首相記者会見映像、そして、番組タイトルへ……、衆議院解散直後第一回目の日曜日8月14日放送のテレビ朝日田原総一朗による政治討論番組「サンデープロジェクト」(テレビ朝日サンデープロジェクト」、2005年8月14日)の冒頭である。これこそまさに、コイズミが仕掛けた「物語」の戦略を忠実に受けとめて映像化して見せたテレビ映像なのである


田原とは、バラエティー化したテレビの世界と、バラエティー化しようとやってくる政治の世界との間を「仕切って」いる、スフィンクスのようなテレビ・パーソナリティである。


今回これらの番組に特徴的だったことは、「コイズミ劇場」が仕掛けたプロデュースに、じっさいのテレビが、番組の「バラエティー的自由」を奪われた姿だったのである。


このヘゲモニー戦略に掛けられていた争点は極めて深刻であり、選挙において示された一見自明な対立には重大な詐術が仕掛けられていた。例えば、(1) 「官から民へ」というスローガンにおいて、「民」とは、「私企業」、「民営化」のことであって、「国家」か「市場」か、という選択の強制は、「市民」、「市民社会」を消去するオペレーションだった。


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