zames_makiのブログ

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トリアージ論争について(fuku33氏批判)

以下はid:kanose氏のブログコメント欄に書いたものだが、Apeman氏のように歴史を語るのはファッショだとか言う人のため、関心のある人へのアピールのため、そして必要なら議論の公明さのためにエントリとして書いておきます。私のブログコメント欄は誰でも書けるし、そういう形なら情報の交換はスムーズだろうという事です。

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http://d.hatena.ne.jp/kanose/20080826/triage#cでのコメント)
昨晩この話題を目にしたので論争の発端を教えてくれたkanose氏に感謝します。しかし、このネタがもとで一部の人間に「Apeman氏のように歴史を語るのは一種のファッショだ」にまで発展したのは非常に残念です。
 私は医療の場のトリアージも知らないし経営学でそれをどう利用しているかもしらない。しかし歴史と精神医学の場から言うなら、id:fuku33氏の議論はそれこそ綺麗ごとの「ただの理念」にすぎず、「トリアージはかわいそう」と感じた女学生の心あるいは人間の本質を無視した(医療行為を一手に握る)権力の乱暴に見える。


なぜか?一般にはあまり知られていないが原爆爆発直後は恐ろしいトリアージの場であり、戦後の人権概念などまったく持ちあわせない人でさえも、60年以上も経った今もトリアージをひどく悔いている事実があるからです。原爆爆発直後に動けて逃げた被爆者は、動けず助けを求める多くの被害者を見殺しにしている。それは動けずとても助かりようもない他者より、自分や自分に連なる者を救いたいというひどく当たり前のトリアージだったと言えるでしょう。
 しかしそんな誰でも了解可能なトリアージでさえ、人はその為に60年たってもひどい心の傷に苦しみ続けていることが、体験者の語りだけでなく、精神科医の報告として昨年本が出ています。「ヒバクシャの心の傷を追って」中澤正夫 岩波書店http://book.asahi.com/review/TKY200709180240.html)です。著者は多くの被爆者が誰とも知らぬ道端の赤の他人に何もしなかったことを悔いていることを報告しています。


こうした事を知れば女学生の「トリアージはかわいそう」は幼稚な感情論や後づけの人権論ではなく、人間が生得的に持っている傾向、すなわち人間性というべきものだと分るでしょう。ネットの掲示板の議論ではしばしば感情からの発言は唾棄すべきものされ、論理だけが追求されやすい、しかし精神医学や心理学から言えば、人間というものは論理だけで動くものではなく感情や環境は無視し得ない大切な要素です。こうした事から私にはfuku33氏の講義はこうした人間性を上っ面の論理で押しつぶす行為に見えます。


再度、歴史の観点から言えば戦争は多くの犠牲者を出すひどいトリアージ強制の繰り返しで、それによる被害の様子つまりトリアージの残酷さは体験者の罪悪感や社会的に発言力が低いため伝えられてこなかったと言えるのではないでしょうか。伝えられたのは、むしろ戦争を遂行した国家の論理、すなわち「国全体の利益のために個人を見殺しにする」ことが当たり前のこととして、何気なく伝えられてきました。これは国家と個人の関係でおきることで日本に限らないと思います。平和運動団体が時にスローガンで言う「たった一人でも紛争で死者をだすべきではない」という言い方はこうした事への意識が現れているのでしょう。


患者に対し医者や薬が限られれば救われる人が選別されるのは、現実問題としていつでも起きることです。それは鳥を起源にしたH5N1インフルエンザの流行という形でこの日本で明日にも起きるかも知れません。致死率が非常に高い新型インフルエンザがはやれば、薬、人工呼吸器、そしてベッドそのものが、絶対的に不足し医療を受けられる者の選別が起きると考えられています。我々はそれを受け入れざるを得ない。しかしその時に、救命の可能性の低い者にも医療をお願いする者、それを単に感情的でわかっていない者、などと言ってほしくないと思います。

(追記)
本件に関する明治学院稲葉振一郎氏のコメント
http://b.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080523
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2008年05月23日 至極常識的な話でなぜこんなに盛り上がるのかが分からない。「あたまがわるい」タグがいろいろな意味で使われているのが壮観。でも学生たちを責めないで。若くて経験不足な彼らが「あたまがわるい」のは当たり前。
=少壮の学者のひどい物言い、こういう権力側にたった見方をする人が著書では平等を論じている。それはどれだけ有効で実際的なのだろうか?ちなみに同じ大学講師でも心理学であれば教える側はけしてこういう見方をしないだろう。

amazonでの書評子の見方
「彼(稲葉)を左翼と勘違いしてる人がいるがそれは間違いだ 彼は、かつて旧体制に権力の分配を求めたブルジョアに理論を与えた啓蒙思想家達の末裔である。」