zames_makiのブログ

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忘却の海峡(1978)樺太に置き去りにされた朝鮮人

製作=中日映画社・「忘却の海峡」製作委員会 公開1978.02.01 日消ホール 80分 カラー ワイド
製作:前田一夫 監督:日下部水棹 脚本:松山善三鈴木章友・工藤芳郎 撮影:浅川敬三 音楽:木下忠司
出演:高塚行男、崔相鉉、李貞愛、金鎮海 唱:「望郷の歌」作詞:韓雲史 曲・唱:曹相鉉
…強制連行され樺太に取り残され今なお帰ることの出来ない朝鮮人の悲劇。在日朝鮮人?が主体になって製作した自主製作映画?井上光晴豊田有恒白石一郎が視聴。


http://homepage2.nifty.com/taejeon/kaiho/kaiho-60a.htm
(映画ちらしより)
戦争を見つめなおそうと、戦後世代が企画/日本の戦争責任を、他民族支配の実態を鋭く追求したドキュメント/第二次世界大戦中、国家総動員法の名の下に朝鮮半島から強制連行されて三十数年、今も、樺太に残された四万三千人の望郷の詩

 この映画は、韓国内の留守家族インタビューはもとより日本全土にロケ、美しい風物や祭り、華やかな繁栄のかげに今なお残る、凍てつくような民族の悲しみを描くヒューマン・セミ・ドキュメントです。
◇あらすじ
 雑誌記者三田村は、文化遺産や祭りの取材で韓国を訪れる。食事をするために入った焼肉店。そこで彼は、三十数年ぶりに再会する母と息子のテレビニュースに出会う。
 かつての日本領樺太から帰還した男の話であることを聞かされ、信じられない思いの三田村。「戦争が終わってから三十年以上も経つというのに何故……。」 心に焼き付いて離れないテレビニュース。
 三田村は、同行の韓国人記者・車に頼み、この疑問を解こうと放送局や関係者を訪ね歩く。そして、まだ帰還できない人々が四万三千人もいる事実、これらの人々が着のみ着のまま強制連行された事実を知り、驚く。

 彼は、留守家族を探し訪ねていく。それらの人々の淡々とした表情、悲しみをこらえた心から呟きのようにもれる言葉。「父を返して欲しい。ただそれだけです。」三田村の心は揺れ動く。美しい田園風景も、祭りも三田村の眼には映らない。「終わったと思っていた戦争が終わっていない」会う家族がそれぞれ口にする証言は、重く、凍るような現実であった。
 東京に戻った三田村は、樺太から引揚げてきた同胞がいることを知りおもむく。そこで、彼の知らなかった戦争の一断面を知る。あらゆる手がかりを求めて、彼は九州へ、そして北海道へ。強制連行の悲しい現実だけが眼の前に拡がる。何故、今なお帰れないのか。疑問は深まるばかり。三十余年、過ぎた年月だけが暗く、重い。いつか、季節は移り初冬。旅の果て、宗谷岬に立つ三田村。横たわる海峡の向うに茫漠として見える樺太。立ちつくす三田村。初雪。宗谷地方に初雪は、吹雪となって吹きつける。今、吹雪は悲しい叫びとなって吹きつける。

〔試写会アンケートから〕
・戦争はどんなことがあってもしてはならない証明である。 〔東京29才男性〕
・序章の日本人の大量引き揚げと対照的な朝鮮・韓国人の悲劇をよく表現していてとても感動的でした。〔札幌45才男性〕
・美しい、かなしい映画でした。日本人の一人でも多くの人にみてもらいたいと思います。〔東京30才女性〕
・またひとつの戦後史を知り、日本人全体の犯した大きな犯罪を見て胸をつかれた。もう言葉では言い表せないほど私の心に響きわたっている。〔京都32才男性〕
天皇制の下で、人間として無視され続けてきた朝鮮人。それがサハリンを極点に日本中に現として在る事実を更に認識させられた。映像の持つ力で知ることができたことをありがたく思う。〔京都50才女性〕
・このような悲惨が、今なお続いている事実にやりきれない思いがした。衝撃だった。留守家族の待つ朝鮮半島の風物が美しいだけによけいに堪らない。沈黙しかなさそうだ。井上光晴(作家)
・肉親の血の叫びが画面に溢れている。日本人が責任をもって解決にあたるべき原点のひとつを鋭く衝いた問題作といえる。豊田有恒(作家)
・不幸な過去を、忘れようと逃げてはいけない。忘却が決して許されない過去もあるのだ
この映画は、私たちにそれを改めて教えてくれる。白石一郎(作家)