zames_makiのブログ

はてなダイアリーより移行

シンポジウム歴史和解のために

2008年4月19日(土)東京国際フォーラム
主催者あいさつ:外岡秀俊朝日新聞編集委員
【第1部】基調報告:山室信一氏「真実と権利回復の要求」
討論:「何が起きているのか」 (1) (2) (3) (4) (5) (6)
【第2部】基調報告:ジモーネ・レシッヒ氏 「独仏教科書 半世紀かけ」
討論:「何が 私たちにできるのか」
質疑応答(1)(2)
http://www.asahi.com/sympo/080505/index.html
討論参加者:山室信一(京大・法思想)
三谷博(東大・歴史学
北岡伸一(東大大学院・歴史学
君島和彦東京学芸大・教科書問題)
歩平(ブー・ピン、中国社会科学院近代史研究所長・歴史学
鄭在貞(チョン・ジェジョン、ソウル市立大教授・歴史学
朴裕河(パク・ユハ、世宗大副教授・文学)
周婉窈(チョウ・ワンヤオ、台湾大教授・歴史学
ジモーネ・レシッヒ(ゲオルク・エッカート国際教科書研究所長・歴史学
司会=外岡秀俊朝日新聞編集委員(香港駐在)

【主催者挨拶】外岡秀俊

司会(糸永)
皆様、こんにちは。お待たせいたしました。ただいまより朝日新聞社が主催いたしますシンポジウム「歴史和解のために」を始めます。私は、本日のアナウンスを担当いたします糸永直美と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、初めに主催者を代表いたしまして、朝日新聞東京本社編集局長の横井正彦が皆様にごあいさつを申し上げます。
横井
ご紹介をいただきました横井です。本日は、土曜日の午後、たくさんの方にお集まりいただき、心よりお礼申し上げます。主催者を代表して、一言だけごあいさつ申し上げます。
ここにお集まりの方々はもうご存じかと思いますけれども、朝日新聞は一昨年、2006年から「歴史と向き合う」、「歴史は生きている」という2つの連載企画を始めました。本日のシンポジウムは、その締めくくりとして企画したものです。
2つの連載企画は、私の前任のゼネラルエディター、東京編集局長である外岡秀俊の発案によるものです。外岡は現在、アジア担当の編集委員として香港を拠点に取材しておりますが、本日、この企画の責任者として司会を務めさせていただきます。
今回のシンポジウムは、私ども朝日新聞社が行うものとしては、ちょっと珍しい形をとっています。それはフロアの皆さんを公募するのではなく、取材でお世話になった研究者、関係者の皆さんにお集まりいただき、そのご紹介で大学生、大学院生、留学生の方々に来ていただきました。できるだけ若い方々にこの歴史問題をともに考え、語り合いたいと願ったからです。
また、このフロアの配置も、パネリストの方々に真ん中の円卓に座っていただきました。それを取り囲むようにお客様、皆さんに座っていただいています。フロアとパネリストの距離をできるだけ縮め、活発な議論をしていただきたいと願ったからです。どうぞよろしくお願いいたします。
パネリストの方々については、後に詳しいご紹介があると思いますけれども、それぞれ忙しい時間を割いて来ていただきました。お1人だけ紹介させていただくとすれば、ドイツからいらっしゃったジモーネ・レシッヒさん。ご存じのように、独仏共通教科書づくりに携わっていらっしゃった方です。そのご経験を語っていただくため、このシンポジウムに出席していただくために、きのうお着きになりまして、そして、きょうのシンポジウムを終えて、あすのお昼には、またドイツに戻っていかれます。じっくり腰を据えて話すべき、このテーマですけれども、慌ただしい旅になったことをおわびするとともに、心から感謝いたします。ありがとうございました。
それから、この会場には、この問題に関心をお寄せいただくたくさんの方々に来ていただきました。お1人紹介いたします。韓国の東亜日報系のニュースサイト、東亜ドットコムの鄭求宗(チョン・グジョン)社長でいらっしゃいます。あそこに座っていただいています。ソウルからわざわざ来ていただきました。
東亜ドットコムには、私どもの「歴史は生きている」「東アジアの150年」、この韓国語版と中国語版をずっと長く掲載していただきました。日本の新聞の記事を、そのままこうしたニュースサイトに載せるというのには、少なからぬリスクがあったかと思いますが、鄭社長の英断によって、それをなし遂げることができました。改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。
歴史問題は、1990年代以降、東アジアに住む私たちにとって新しい姿となって立ちはだかっています。それはなぜなのか。また、それと向き合い、新しき和解につなげるために、私たちはどういう考え方、方法をとればいいのか、それを皆さんとともに考えていきたいと思います。
本日、お集まりいただいたパネリストの方は、国境を越えた歴史の共同研究、歴史教科書・教材づくりに携わった方々、また歴史和解への提言を積極的になさってきた方々です。皆さんのこうした経験を踏まえたご意見をお伺いし、歴史和解のために私たちは何ができるのか、皆さんとともに考えていきたいと思っております。
では、お願いいたします。ありがとうございました。
司会(糸永)
それでは、早速、パネリストの方々をご紹介させていただきます。詳しくは、お手元のプログラムをごらんくださいませ。
ドイツからお越しいただきましたゲオルク・エッカート国際教科書研究所長のジモーネ・レシッヒさんです。
時計回りにご紹介してまいります。韓国の世宗大学副教授の朴裕河(パク・ユハ)さん。お隣りが、中国社会科学院近代史研究所長の歩平(ブー・ピン)さん。ソウル市立大学教授の鄭在貞(チョン・ジェジョン)さん。台湾大学教授の周婉窈(チョウ・ワンヤオ)さん。東京学芸大学教授の君島(きみじま)和彦さん。席を1つあけまして、東京大学教授の三谷博さん。京都大学人文科学研究所教授の山室信一さんです。
そして、中央におりますのが、本日のコーディネーターを務めます、朝日新聞編集委員外岡秀俊でございます。
なお、東京大学大学院教授の北岡伸一さんは、第2部からご参加いただく予定です。
この後の進行は外岡さんにお願いいたします。どうぞよろしくお願いいたします。
外岡
きょうは土曜日にもかかわらず、会場に駆けつけていただいて、ほんとうにありがとうございます。
今回、このシンポジウムを開くことになりましたのは、先ほど横井からごあいさつがありましたように、2つの企画が朝日の新聞に掲載されたからです。2006年に「歴史と向き合う」、そして07年、「歴史は生きている 東アジアの150年」。
この2つを発案した理由は、05年に韓日、中日との間に、大きな歴史をめぐる摩擦が起きました。その問題をきっかけに、グローバル化時代の中で、ナショナリズムが消えるどころか、ますます盛んになり、しかも大きな摩擦を引き起こすであろうという危機意識を持ったわけです。
そういう中で私どもが考えたのは、まず、記憶というものをみずからが掘り下げる、そして他者と共有することでした。その中で初めて記憶が記録になり、歴史になっていくだろうと。その形成の過程を2つの段階で、まず日本の戦争責任をめぐる問題、そして、去年1年から今年にかけて、韓国、あるいは中国から見た場合に、近代の東アジア史がどうだったのか、それを含めてとらえようということで連載を進めてきたわけです。
本日は、その2つの企画の締めくくりとして、「和解を求めてどういう手法でアプローチをしたらいいのか」ということで、その取材に協力していただいた方を含め、お集まりいただいて、議論をすることになりました。
それで、今度の企画は、いろいろな意味で型破りだったわけですけれども、1つ、特に申し上げたいのは、日本語以外に、ハングルと中国語、そして英語で発信するということをしてまいりました。それについて、ちょっと取材班を代表して、佐藤和雄のほうから簡単なご説明を申し上げたいと思います。
佐藤
朝日新聞の佐藤です。先ほども説明がありましたので長くは申し上げませんが、東アジアの近現代史150年を描き、説明するときに、新しい視点から、観点からとらえ直そうと思い、それをなるべく多くの東アジアに住む方々に読んでもらいたいと思いまして、朝日新聞アサヒ・コムには日本語、中国語、韓国語、英語の4カ国語で、それから先ほどご紹介のあった東亜ドットコムには韓国語と中国語で原稿を載せていただきました。
鄭求宗社長が、どれぐらい韓国語版のページビューがあったのかというデータを持ってきてくださいましたので紹介しますと、特に多かったのが、3月に掲載しました第8章の「朝鮮戦争ベトナム戦争」で、約25万のページビューがあり、132の書き込みがありました。トータルでは第8章まで84万のページビューがありました。なかなかインターネットで見るコンテンツとしては歴史物というのは地味ではありますが、そういう中では高い関心を呼んだのではないかと思っております。連載が終わりましたら、やはり日本語、韓国語、できれば中国語でも本として出版し、広く世の中の方に読んでいただこうと思っております。
外岡
先ほど横井のごあいさつにもありましたけれども、今回は、この会場をごらんになればわかるように、通例のシンポジウムと違いまして、研究者の方々を中心に、特に若手、若い研究者の方に集まっていただくということで、できるだけ距離の少ない、密度の高い議論を、これからしていきたいと思います。
この「東アジアの歴史150年」の中で、冒頭に20人の歴史家、識者の方に、150年の歴史の中で、10の出来事を挙げていただきたいということで、それを紙面に掲載したわけですけれども、きょう、パネリストとして参加してくださっている方以外に、会場には、そのときにお世話になった毛里和子先生、劉傑先生、あるいは小倉紀蔵先生といった研究者の方々にもお越しいただいています。先ほどちょっと冗談で言ってたんですが、ここの会場にいらしている方だけでも3つぐらいシンポジウムが開けるんじゃないかという、そのぐらい、きょうは歴史界の研究者の重鎮の方々もお見えになっています。
ということで、まず冒頭、1部に山室信一先生にきょうの基調講演をしていただいて、それを受けて、パネリストの方々一人ひとりにご発言いただきます。休憩を挟んで、第2部で、それぞれのパネリストの方に、歴史和解をめぐる今のご所見、それから提言といったものをいただき、その後、皆さんとの間で質疑に入りたいというふうに思います。非常にたくさんの方々においでいただいていますので、発言を時間で区切らせていただくかもしれませんけれども、よろしくお願いします。
最初に山室先生に、きょうの提言をいただきたいと思います。
先生は、『思想課題としてのアジア』、この非常に大部の著書で、東アジアをめぐる戦前から戦後にかけての座標軸を見事に描いておられますけれども、今回の企画も、最初の案をつくる段階から先生のお世話になっています。
それでは、先生、よろしくお願いいたします。