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プロパガンダと宣伝は違うのか

プロパガンダとは何か(佐藤卓己

以下は「現代メディア史」佐藤卓己 岩波書店 1998よりメモ。
要旨:「プロパガンダ」propaganda=教育=説得=宣伝/煽動=広告=広報(PR)である

宣伝とは何か:現在宣伝propagandaという言葉は否定的な意味で使われることが多い、虚偽、欺瞞、操作、洗脳。不実で不正なニュアンスがある。(略)宣伝とは特定の目的をもって個人あるいは集団の態度と思考に影響を与え、意図した方向に行動を誘う説得コミュニケーション活動の総称である。操作性において教育と組織性において個人的な説得と区別する立場もあるが、大衆社会においてその境界は曖昧である。(略)
 このようにほとんどのマスコミュニケーション活動で想定できる「宣伝」であるが、一般的には政治宣伝の「宣伝/煽動」、商業宣伝の「広告」、公共宣伝の「広報(PR)」と、区別して議論される。

(1)「宣伝/煽動」=propaganda/agitation:第一次世界大戦ソ連レーニンの定義が一般に流布している「宣伝者は1人あるいは数人の者に多くの思想を与える。煽動者は1つあるいは少数の思想を与えるに過ぎないが、その代わり相手とする所は多数である。宣伝者は主に活字で、煽動者は口から出る言葉を使用する」宣伝は論理的内容をエリートに教育することだが、煽動は一般大衆向けに情緒的なスローガンを叩き込むこととされた。

(2)「広告」advertisement:共同体の原理に従う情報操作を宣伝と呼ぶのに対して、市場の原理に従う情報操作を広告と呼ぶ。しかし現代の大衆消費社会においては、共同体と市場の差異は曖昧になっている。

(3)「広報(PR)」publicity(public relation):営利活動である公示行為を「広告」とよぶとき、集団が構成員の共通認識を形成するために行う非営利行為を「広報」とよぶ。広報者は「黒い」宣伝に対して、「白い」啓発活動である事を主張するが、情報の正確さや出所の明示性によっては、宣伝と広報は明確には区別しがたい。(p118)

プロパガンダとは何か(高瀬淳一)

「情報政治学講義」高瀬淳一 新評論, 2005よりメモ
政治宣伝とは特定の政治目的の実現のために、多くの国民を対象にメディアを利用して行われる情報政治活動の総称である。よく使われる政治宣伝関連の用語には、次のようなものがある。
(1)プロパガンダpropaganda:発言者の側の世界観や現状認識を政治的に宣伝すること。世論の作為的形成を示唆している上に、情報の送り手による操作と、情報の受け手の盲信とを含意することから、通常はよい意味、あるいは中立的な意味では用いられない。
(2)キャンペーン(略)
(3)政治広告・政治CM(略)

戦争開始によく用いられるプロパガンダ・メッセージ

「戦争プロパガンダ10の法則」 アンヌ・モレリ 草思社, 2002より、戦争でよく行われるプロパガンダ・メッセージの例
1.われわれは戦争をしたくはない
2.しかし敵側が一方的に戦争を望んだ*1
4.敵の指導者は悪魔のような人間だ*2
5.われわれは領土や覇権の為ではなく、偉大な使命の為に戦う*3
6.われわれも誤って犠牲をだすことはある、だが敵はわざと残虐行為に及んでいる*4
7.敵は卑劣な戦略や兵器を用いている*5
8.芸術家や知識人も正義の戦いを支持している*6
9.われわれの大義は神聖なものである
10.この戦いに疑問を投げかける者は裏切り者である*7


======(注)======

*1:事態の単純化、スローガンによる大衆への説得

*2:敵を絶対悪とする事実を無視したおかしな分類

*3:事実を無視した自己の正当化

*4:論理より効果的な情緒的な訴えかけ

*5:敵の非人間化、それによる自国の殺戮の正当化

*6:歴史性、娯楽性のプロパガンダへの利用

*7:戦争賛成者だけを小集団化するグランファルーン手法を用い、賛同者の結束を高める