zames_makiのブログ

はてなダイアリーより移行

狂熱の果て(78分・35mm・白黒)
2018年10月24日4:00 PM@小ホール 2018年12月5日4:00 PM@小ホール
1961(佐川プロ)(監・脚)山際永三(原・出)秋本マサミ(脚)山田健(撮)岡田公直(美)宮沢計次(音)林光、萩原秀樹(出)星輝美、松原緑郎、藤木孝、奈良あけみ、柏木優子、鳴門洋二、沢村みつ子、利根はる恵中岡慎太郎、大谷くにお

▶「発掘された映画たち2018」より

ジャズと車と痴戯に明け暮れる「六本木族」の若者たちを待ちうける虚無と退廃を、過剰な演出で描破したもう一つのヌーヴェル・ヴァーグ。倒産後の新東宝作品を配給した大宝の第1回配給作品となったが、同社も1年後には解散。本作がデビューとなった山際永三監督による入念な調査により、原版の受贈とプリント作製が可能になった。

のらくら兵
Tire au flanc
(130分・16fps・35mm・無声・白黒)
2018年10月18日6:30 PM@長瀬記念ホール OZU 2018年10月21日11:00 AM@長瀬記念ホール OZU
1928(ネオ・フィルム〔ピエール・ブロンベルジェ〕)(監・脚)ジャン・ルノワール(脚)クロード・エイマン、アンドレ・セール、アルベルト・カヴァルカンティ(撮)ジャン・バシュレ(美)エーリク・オース(出)ジョルジュ・ポミエスミシェル・シモン

軍隊に入れられた詩人と召使が巻き起こすドタバタ騒動を描き、若きトリュフォーに「フランスでつくられた最も愉快な映画の一本」と言わしめた傑作喜劇。怪優ミシェル・シモンが、いやいや兵役につく召使いを熱演。

ぶどう月(1918仏)第一次世界大戦勝利を平和的に

アメリカ・英国軍の参加で勝利を祝う戦勝気分の映画だが、エピソードは全て微温的でドイツ兵が出てきても厳しい敵愾心はない、喜劇的。
(148分・18fps・35mm・無声・白黒)
1918(ゴーモン)(監・脚)ルイ・フイヤード(撮)レオン・クロース、モーリス・シャンプルー(出)ルネ・クレステ、エドゥアール・マテ、ルイ・ルーバス、ガストン・ミシェル、ジョルジュ・ビスコ
第1次世界大戦中のフランス。一人の傷痍軍人が自分のぶどう農園に避難民を受け入れるが、そこへベルギー人に偽装した2人のドイツ軍人が紛れてくる…。連続活劇の王ルイ・フイヤードが、故郷の南仏ラングドック地方を舞台に、祖国愛を訴えた大作。題名は、ぶどうの収穫期を示すフランス革命暦の月の名前。

上映 NFA

2018年10月17日2:30

秘密

1960年(S35)/東映東京/白黒/83分 ○国立映画アーカイブ所蔵作品
■監督・脚本:家城巳代治/原作:早乙女勝元/脚本:内藤保彦/撮影:飯村雅彦/美術:中村修一郎/音楽:池野成
■出演:江原真二郎佐久間良子、南廣、山田五十鈴、大村文武、小林裕子曽根晴美、春丘典子

集金のお金を貸してしまった穴埋めに銀行帰りの女を襲った貧しい臨時工と、その事件の目撃者である美しい娘──。下町を舞台に、犯罪のなかに芽ばえた純愛を描く青春野心作。原作は週刊わかもの連載の早乙女勝元の同名小説。

上映 ラピュタ阿佐ヶ谷
10月14日(日) 〜16日(火)

廣島廿八(1974香港)論理的に加害者日本が反核訴える事を肯定する映画

被爆者の白血病による死を題材にしながらも感情的にならず論理的に平和運動核廃絶の大事さを強く訴えるよく出来た映画だ。原爆の被害と核戦争の危機について映画内で詳しく述べられる。香港俳優が日本人を演じていて不自然な面もあるが原爆に関する議論は実際的かつ刺激的だし真摯である。物語的にもラストに衝撃的事実が飛び出し工夫されている。中国人の視点から原爆と日本による侵略の関係について、日本側立場から言及したものであり、日本人以外の観客が感じる「戦争加害者である日本人が原爆被害を訴えてよいのか」についての映画でもあり、日本人が大事にすべき映画だ。

日本語訳題名:28年後の広島 英語題名:Hiroshima28
香港公開:1974年4月11日(HKMDBによる) 日本未公開、映画祭で上映あり(1997年福岡国際映画祭、2011年広島市映像文化ライブラリー平和のシネマテーク2011」) ビデオ化:なし YouTubeで視聴可能(英語・中国語字幕つき)
広島市映像文化ライブラリーで所有、NFA:所有なし
上映時間:94分 言語:中国語
筆者視聴はYouTubeによる(2018年9月20日)→https://www.youtube.com/watch?v=tZYaBxzTjUo(ただし94分以降は冒頭からの繰り返しによる余分な映像である)

制作:香港Rong 製作:李嘉恩LEE KIA IN
監督:龍剛(ロン・コン)LUNG KANG
脚本:龍剛LUNG KANG、孟君MENG CHUN 原作:孟君MENG CHUN 撮影:顧愚昴DICK KOO 編集:龍剛LUNG KANG、黄義順HUANG I SHUIN 作曲:王維WANG WEI 音楽:王居仁WANG CHE JEN 美術:英添丁GOH THIAM TENG

出演:

蕭芳芳 SiaoFong=ジョセフィーヌ・シャオJosephine Siao(今井芳子)主人公、被爆2世、静かな性格、自身の生い立ちを知り平和運動に身を投じるが、結婚間際に原爆症で死ぬ
秦祥林 CHING SHUNG LIN=チャールズ・チン(木村真宗)芳子の恋人で結婚を申し込む、医学者で被爆の影響を研究している
焦[女篇に交] CHIAO CHIAO(玉芬:芳子の母)被爆者で体が悪い、時に記憶を失う、中国人であり日本軍の残虐行為の記憶に苦しめられている。日本軍軍人岡田正夫と結婚したが岡田が逮捕された為、友人の今井栄作と結婚し日本で暮す。
關山 KWAN SHAN=クァン・シャン(今井栄作)芳子の現在の父、被爆者、広島の田舎の金持ち、大きな秘密を持っている
李琳琳 Maggie LEE=マギー・リー(今井京子)芳子の妹、被爆2世、大学生、明るい性格で波紋を起こす、右翼団体に入る
金川 CHIN CHUAN(小野義行)京子の友人の大学生、被爆2世、京子にスローモーだと馬鹿にされている、芳子を密かに好いている
龍剛 LUNG KANG=ロン・コン(李克強:香港の記者)原爆について取材にきた作家、芳子のガイドで広島を見物し知り合う
唐菁 TANG CHING(岡田正夫)芳子の実の父親、軍人だが反戦主義者で日本軍により拘束される裁判にかけられ投獄。出所して広島で被爆する。
馮毅(長崎氏)右翼団体の指導者、被爆者に憎しみを煽り戦前回帰を目指す

他の登場人物
木村真宗の父、木村真宗の母、驢教授(医学者)、アレン医師(ABCCの医者)、幽霊

あらすじ(詳細版)

 原爆投下28年後の広島の平和式典に今井家の4人と2人の男性が参列している。今井栄作とその妻、その娘たち(芳子と京子)、芳子の恋人木村、京子の友人小野である。式典中芳子の母は気分が悪くなり倒れ、悪夢を見る。芳子の父今井栄作と妻は被爆者であり、妻は原爆症のため倒れたのだ、しかし娘たちは自分が被爆2世である事を知らない。今井家は広島の田舎の旧家であり京子はこの家には幽霊がいると言う。
 翌日、芳子の恋人木村真宗の両親が東京からくると木村が言いに来る、結婚を申し込みに来るのだ、芳子の母は歓迎する。芳子は夏休みでガイドをしており香港の作家の李に広島を案内する、李は広島平和資料館(原爆資料館)で説明を受け原爆投下直後の悲惨な様子と原爆症により被爆者が今も死の危険がある事を知る。
 木村の両親が今井家を訪れる、今井栄作は木村の父にだけ芳子が被爆2世である事を明かす、木村の父親は芳子の健康を尋ねるが芳子は大学で元気に体操をしており、それを同級生の小野義行がまぶしそうに見ている、小野は被爆2世で覇気がなく野球もできないと子供からも馬鹿にされている。木村の母親は被爆2世との結婚に反対だ。
 突如芳子の母(玉芬)が行方不明になる、実は彼女は中国人で日本軍による強姦殺人など過去の忌まわしい記憶を甦らせたのだ。その騒動の間に京子は父の日記を読み自分が被爆2世である事や姉の出自を知ってしまう。仕方なく今井栄作は娘達に告白、京子は自分がいつ原爆病にかかるかとパニックになる。更に京子は姉にお前は本当は今井の娘ではないと知らせる。芳子の母は、芳子の本当の父親は反戦主義者で日本軍により逮捕拘束され原爆で死んだと木村に語る。
 芳子は絶望し自分には親はおらず出来るのは反核平和運動だけだと家を出る、具合が悪いのに街頭で折り鶴運動をするが、倒れてしまう。一方京子は姉に嫉妬し芳子を慕う小野を体で奪い、被爆2世の自分達から生まれる子供を想像する。更に原爆への憎しみを煽る右翼団体に入り被爆2世への援助を求める運動を始める。入院した芳子は白血病で死が近いが何もせずに病院にいる事は人生の無駄遣いだと言い、平和運動について李と議論になる、結婚を迫る木村にも自分を忘れ平和運動を行って欲しいと言い、最後の手紙を書く、翌朝芳子は死んでいた。
 芳子の死で今井家の幽霊が姿を現す、それは死んだはずの芳子の本当の父親岡田で栄作が密かに匿っていたのだ。幽霊のように顔を隠していたのは顔に醜いケロイドが残るためだ。岡田は軍人だが反戦主義者で逮捕され1年の投獄後出所、別の女性と結婚して芳子を設けたが原爆にあったのだった。岡田は芳子の死でもはや生きる目的はなく、戦争を始めた者のように首を切れと今井栄作に言い割腹自殺をする。これを見ていた芳子の母は狂い入水自殺する。
 芳子の最後の手紙は李に宛てたもので、広島の被爆者は単なる同情や記録物ではなく世界の指導者に核戦争の恐ろしさを教え、核廃絶と核実験停止を進めるものだと訴えていた。

批評・分析

 日本以外の監督による珍しい原爆映画、結婚を間近に控えた女性のドラマを軸に、被爆2世による平和運動を論理的に強く訴えるもの。香港作家との間に平和運動の実効性や被爆者としてできる事について論理的議論があり説得力がある。同時に戦争を始めた日本人が原爆被害を訴える資格があるのか、日本による中国侵略の傷跡、強姦虐殺などへの謝罪などが扱われている。これらには侵略戦争を反省し平和を望む日本人の考え方が反映されており、いわば香港の映画人が日本人を代弁している。被爆2世についての健康不安や原爆症による死が物語の推進力になっているが、ドラマチックな悲恋(純愛もの)ではなく、感涙を誘い観客動員を促す道具になっていない。
 日本人役を香港の俳優陣が演じ、彼らが全編で中国語(広東語?)で話す(これは米国映画では通常の方法)ため多少の違和感があるが物語の進行上障害になる程度ではない、多くの広島ロケがされ映画として日本らしさは保たれている。また被爆者の哀しみを描く為及び中国人の日本の侵略への深い恨みを描く為、謎の人物(幽霊)を設定したショッキングなシーンがあり、その効果は受け手により議論を呼ぶだろう。だがこれも全体の構成を壊すものではない。
 被爆2世を主人公としその死が扱われても感情的でなく大変珍しい、主人公らは過去の戦争での怨念を越え、自分たち被爆者は世界の指導者が過ちを起こさない為にあると平和運動の意味を強く訴える。強いメッセージを論理的に発するもので素晴しい。「原爆の子」など日本で見られる多くの原爆映画が感情的であり、一部評者から批判されているが、そうした批評家からの良い反応が期待できる作品だ。日本人観客から見れば過去の戦争への態度などは言うまでもない事だが、逆に欧米含む日本以外の観客には理解しやすいのではないだろうか。
 香港映画であり香港で上映された時には、日本の戦争を弁護するのか?という視点で強い批判を受け、まったく理解されなかった事が佐藤忠男氏の著作(?要確認)で述べられており。同様に「香港映評庫」(上記URL参照)にある蒲鋒による批評でも厳しく批判されている。だが映画の内容と蒲鋒の批評を照らし合わせると批判の焦点は、日本の戦争を主人公が謝罪する部分や、日本軍の反戦兵士が登場する不自然さ、それが重要な役割を担う点、中国人女性が登場するのに表立って名乗らぬ点などであり、平和運動そのものや原爆被害の描写を批判している訳ではない。批判の最大の動機は日本の戦争を正当化するか否かであり原爆の是非ではない。
 また佐藤忠男は最近、過去にこの映画を批判した人の関係者から過去の批判は過ちだったとの言葉を聞いたとしている(「原爆と銀幕」キネマ旬報 2016年6月下旬号)。
 この映画では被爆2世にも遺伝的影響があり原爆症が現れ死の危険性があると描写している、これは議論を呼ぶだろう。現在では被爆2世への原爆症の遺伝的影響は否定されている。ABCCとその後継の放影研による調査から被爆2世には遺伝的影響はないと、研究者は報告している。しかし被爆2世の間に健康不安があり国による健康保持への援助を要請している姿もNHKドキュメンタリー(2018年8月6日放送「広島 残された問い〜被爆二世たちの戦後」)で報じられている。映画の主題としていささか強調しすぎの面(白血病での急激な死など)があっても1974年の時点では間違いだと完全に否定する事はできないだろう。実際1972年に被爆者であり白血病で急に死んだ教師の実話(「夾竹桃の花咲くたびに」坂口便 長崎県職員組合 1982年)をベースにした映画「せんせい」(1983年)が制作されている。
 
 米国社会の原爆否認の非合理性を明らかにした「スミソニアン事件」や、オバマ大統領の広島訪問により今ではテーマである原爆への批判、核兵器廃止、核実験停止などには外国人の映画観客からも表だった反対はおきないのではないだろうか?この映画は日本では公開されず世界的にもまったく知られていない(例えば「ヒバクシャシネマ」では扱われていない)作品だが、その論理性とショッキングな物語など再評価されてしかるべき映画に思われる。

注意すべき台詞(映画中で印象的な台詞を書き出した)

  • 日本の過去の戦争について

・李:Many people consider that their present survival was granted by the atomic bomb dropped on Hiroshima. What do you think of it ?
・芳子:As for the past war We feel very sorry about it
・李(香港人)「多くの人は広島の被爆者は日本の戦争の結果にすぎないと考えています、そうでは?」
・芳子(日本人)「過去の戦争について言えば私たち日本人は大変すまない事をしたと思っています」

  • 原爆投下について

・母:Do you think that it was we who made those people to drop the bomb on this land ?
・京子:Would they have bombed you if you had not started the war ?
・母:To start a war it is not necessary people's decision. Your father and an uncle of yours is imprisoned because their anti-war actions
・母「私たちがこの広島に原爆を落とすようにさせたと言うの?」
・京子「大人達(日本人)が戦争を始めなければ原爆は落とされなかったでしょ!」
・母「戦争を始めるのに国民の同意は必要ではなかったの、あなたのお父さんやおじさんは戦争に反対したから投獄されたのよ。」

  • 原爆への憎しみを煽り戦前に帰ろうと説く右翼団体の指導者に対して

・李:He is making second Hiroshia
・李「あなたは第二の被爆地広島を作ろうとしている」

  • かつての日本軍人であり今まさに自殺しようとしている被爆者の台詞

・幽霊:Kill me like I was the one who started the war. Strike now ! Cut now !
・幽霊:俺を戦争を始めた者のように殺してくれ、今やれ! 首を落としてくれ!

  • 平和運動に関する香港の記者(李)と死を覚悟した被爆者(芳子)の議論

・李:You are wasting your life
・芳子:To lie in bed awaiting death is really a waste of life
・李:Do you think those who have the right to use nuclear weapons will care for you ? Do you think they are capable of feeling ?
・芳子:Who gave them the right to kill and to destroy ?
・李:Miss Imai, Do you really believe those paper apeal will bring the permanent peace ? Do you really believe that they oppose the atomic weapons
・芳子:If we Hiroshima citizens stop the appeal. If we do not oppose the appeal. Who else stop the war? Who else appeal the misery of atomic bomb .
・李:These appeals cannot even stop the nuclear testings. Do you think that you have the strength to refrain them from using nuclear weapons ?
・芳子:Yes. If only those who want peace in the world unite together in action . We will. We can oppose those nuclear weapons

・李(香港の記者)「(原爆症で死の迫った芳子に対し)あなたは自分の時間を無駄にしている」
・芳子(被爆者)「死を待ってただベッドに寝ている事こそ命の無駄遣いよ」
・李「核兵器を使う権力を持った指導者があなたを気にかけると思うのですか?彼らが感情に左右されると思うのですか?」
・芳子「誰が彼らに人を殺し街を破壊する権利を与えたと言うの?」
・李(NO NUKESプラカードを見て)「芳子さん、あなたは本当に紙に書いたメッセージが平和をもたらすと思っているのですか?本当に核兵器を止められると思っているのですか?」
・芳子「もし私たち広島市民が主張をやめたら誰が戦争を止めると言うの?私達以外の誰が広島の惨禍を伝えるというの?」
・李「そうしたメッセージは核実験さえ止められなかった。あなたはそれに核兵器を使うのを止める力があると思っているのか?
・芳子「そうです。もし平和を望む人たちが世界中で一緒になって行動をおこせば、私達はできる。私たちは核兵器を阻止できる。そう思っている。」

  • 原爆症で死んだ芳子の李への最後の手紙

芳子:Our Annual Atomic Bomb Memorial Ceremony is not meant to remember the hatred nor to beg for sympathy but to mourn for the dead and especially to remind the whole world and the powerful ones who have the power to use nuclear weapons to remind them of the atomic bomb disaster that happened 28 years before.
The super powers of today have been forced by differences of principles, ideology and economic interests mutual suspicion and lack of trust to join that endless contest in nuclear armaments.
If people must depend on nuclear weapons to maintain their so-called peace, how long will that 'Peace' last ?
Recent history has proved that there has been the danger of using nuclear weapons among the super powers.
We have suffered from the atomic bomb these twenty eight years.
We have suffered from its damage and threat .
We want appeal continuously so that history will not repeat itself.
The mankind wish that mankind will not have to suffer from atomic disaster again.
・芳子「私達の毎年の原爆記念式典は憎しみの継続や、同情を求めるためのものではありません、死者を悼み世界中の人に思い出して貰うためのものです。
そして核兵器を使う権力をもつ人たちに、28年前の原爆の惨禍を胸に刻んでもらうためのものです。
今日の超大国は、主張やイデオロギーや経済力の違いによって、相互不信や信頼の欠如を強いられ、終わりなき核武装競争へ追い込まれています。
もし人々が核兵器による平和の維持に頼らなければならないとしたら、その「平和」はどれだけ続くというのでしょう?
超大国の間で核兵器が使われる危険があった事を、ごく最近の歴史が証明しています。私たちは、この28年間、原爆にとりつかれてきました。
私たちは、原爆による人々の苦しみと更なる脅威に苦しんできました。
私たちは、歴史が繰り返されないように、いつまでも訴え続けるべきと思っています。
人類が再び原爆の惨禍に苦しむ必要がないことを願うのです。



メモ

  • 芳子の出生の事情はわかりにくい、筆者は以下のように受容した。

戦時中岡田正夫は、日本軍将校だったが中国人玉芬と結婚する。しかし反戦を主張し中国人への虐殺に反対するなどした為、逮捕・裁判を経て1年間投獄され出所し広島で暮す、玉芬とも別れている。広島で別の日本人女性と結婚する。1945年原爆が投下され岡田も妻も被爆するが、妻は1年後芳子を生み、その2年後に死亡する。一方岡田の友人今井栄作も軍人であり、一人になった玉芬と結婚する。1945年に今井と玉芬は広島で被爆する。戦後今井は重傷の岡田に代り芳子を自分の子として育て、岡田は今井の家で芳子を見守り秘密裏に暮していた。芳子と今井栄作と玉芬の間には血縁関係はない、また芳子は胎内被爆者であり被爆2世ではない。一方京子は今井栄作と玉芬の子であり戦後10年頃に生まれた被爆2世となる。

  • 芳子の手紙中の核戦争の危険性を証明する最近の歴史とはキューバ危機(1962年)などを指すと思われる。
  • 筆者の広島原爆への認識は、

1原爆は無差別に民間人を殺害する兵器で民間人虐殺にあたる戦争犯罪だ、2更にその殺害の残酷さからも毒ガスが国際的合意で禁止されたように禁止されるべき兵器だ、3上記は第二次世界大戦での日本の戦争責任(侵略行為)とは関係なく成り立つものだ、4日本が侵略行為を行ったから結果として広島への原爆投下が起きたという指摘は正しい、しかしだから原爆の被害を訴えてはいけない訳ではない、その理由は、4a上記の1による、4bその戦争が自国の侵略であろうとなかろうと、勝利か敗北かに関係なく、被害者や被害国の国民にはその惨事を訴える自由と権利がある、5敗戦国・侵略国は自国の被害を訴えてはならないという考え方は、戦勝国が法律(国際法)や人権を越えて、敗戦国を左右できるという考え方であり、20世紀以前の非常に野蛮なもの、戦勝国は何をしてもよいという古代の野蛮な戦争観による幼稚なものだ。、

  • 原爆投下直後の惨状は映画「ひろしま」(1953年)の場面を赤く着色して使用している
  • 木村が乗ってくる自動車はトヨタ・マーク2初代(1968年〜1974年)

原爆映画への若者の感想(若林良)

若林良氏の事実誤認の感想文

http://tokidesign.jp/screen/story04.html

「広島で何もかも見たわ」と言う女に対して、「君は何も見ていない」と答える男。『ヒロシマ・モナムール』における、冒頭のこのやり取りは、認識そのものの多義性を考える上で興味深い。1959年の日本公開時には『二十四時間の情事』という邦題がつけられた本作では、反戦映画のロケのために日本を訪れたフランス人女優と、広島在住の日本人技師との間の一日の恋が描かれる。先述の台詞は、ふたりが肌を重ねる中で発せられたものであり、女が広島において被爆者たちの治療風景、原爆資料館に所蔵される焦げた鉄や焼け残った石、またキノコ雲の模型などの、原爆が残した傷跡を見たことがその論拠となっている。

 それに対する「何も見ていない」という男の返答には、少なくとも3つの解釈が考えられる。まず、女がフランス人であり、現在まで唯一の被爆国である日本の「特権性」を理解できるはずがないという認識である。「フランス人である我々が、日本人が体験した原爆被害をどこまで知ることができるのか」と監督であるアラン・レネが本作の着想について述べているように、こうした概念は、他国の人間が原爆を理解する過程において、最初に直面する壁ではあるだろう。

 2つ目は、これは現在の観客の多くに通底することではあるだろうが、そもそも「原爆を見ること」自体が、不可能であるということだ。端的に、それはすべての影を消し去ってしまう「光」である。そしてそれを見たものは、『鏡の女たち』(2003)の制作時における吉田喜重の弁を借りれば、一瞬のうちにこの世から消え去った死者であるのだから、それ以外のいかなる人間にも、自身の体験として語ることはできないのだ。
後世のわたしたちが資料館の展示品などを見たとしても、それらは「原爆」ではなく、「原爆がもたらしたもの」、つまり原爆から二次的に派生したものに過ぎない。それらを見て何かを感じたとしても、そこから本質的な理解へ到達をすることはありえない。

 そして3つ目は、前提として女に原爆そのものを見ようとする意志が欠落しているのではないか、という点である。すなわち、女が自身のトラウマティックな記憶を、原爆の被害に投影しているに過ぎない、と思われることだ。
女は戦時中、本来なら敵であるナチスの将校と恋仲になり、戦後はその「裏切り」に対し、周囲から非難や糾弾を受けた過去を背負っていた。一方、男は原爆の被害で家族をすべて失っており、ふたりはいわば、同じ戦争による傷を持つものとして、精神の根底におけるつながりを得るのである。つまり、ふたりがつながる鍵となる存在が、原爆でなければならない必然性はなかった。そもそも、女がたまたま日本を訪れることがなければ、このふたりが接触の機会を得ることもなかったのだ。

 しかしながら、「何も見ていない」ということは、必ずしも無を意味しない。本作においては、女が偶然に原爆に出会ったこと――それは男との出会いもむろん含まれる――と、女が持つ記憶の混在こそが、原爆という存在から派生した新しい世界を彼女の、ひいては彼女を見るわたしたちの内面に生み出すことに奏功している。それは原爆について異なった経験、また考えをもつ男との会話のなかで、さらに深化がすすんでいく。

 <かつてあった>ことは、もはや失われた存在にすぎず、「不確かさ」の波に押し流されていくことを、わたしたちが留めることはできない。ここで重要であったのは、お互いの原爆に対する認識を、ずれのないものとして共有することではない。むしろ「ずれ」そのものを認識すること、お互いの経験を「不確か」なもの――言いかえれば普遍的なものではなく、固有のものとして受容することであったのだ。その「ずれ」とは、原爆にかかわらず、すべての歴史の継承において存在している。

 中盤、ふたりが「あなたは本当に日本人なの」「君の目は青なのか」と交互に問いかけるシークエンスを思い返そう。答えそのものは自明ではある。しかし、この問いは実は、「相手のことを本当に理解しているのか」と、自分自身に向けられたものであるのだ。そしてこの瞬間、確かにお互いのもつ「不確かさ」は共有可能なものとなりうる。

 わたしたちは、原爆そのもの――すべての影を消す「光」へと到達することはついにできない。しかし、原爆への認識をめぐる「不確かさ」を知り、次世代へ継承するすべは残されている。そのいささか逆説的な幸福を、わたしたちは『ヒロシマ・モナムール』という一本の映画から噛みしめることができるだろう。

若林良のとんちんかんな感想

http://webneo.org/archives/14455
2014/03/06→映画が公開され評判になりすでに新聞などで批判が行われている時期
とんちんかん→なぜ平和指向者が特攻に行くのか?が解決されぬ物語のおかしさ、歴史的事実の酷い逸脱&歪曲に気づかず、演技の問題とだけ見る、

「戦争」を語り継ぐために―映画『永遠の0』に寄せて text 若林良
近年の太平洋戦争を題材にした映画には、少しずつ、しかし確実に増えつつある視点が存在する。それは、戦争の記憶をいかに伝えるか、また現在の人々がそれをどう受け止め、生きていくかという視点である。

例としてまず挙げられるものとしては、2007年の『夕凪の街 桜の国』(監督:佐々部清)がある。ここで語られるのは原爆投下から10年後のヒロシマと、現在のヒロシマに生きるそれぞれ若い女性のエピソードである。物語の中心となるのは現代であり、後者の女性=七波が、前者の女性=皆実の記憶に触れることで、「原爆の子」であることに積極的な意義を見出し、今後の人生の糧にしようとする。こうした「非体験者による想像」という観点からの映画は、これまで『ヒロシマ・モナムール』(1959 監督:アラン・レネ、邦題:『二十四時間の情事』)のような前例がないわけではないが、「記憶の継承」を中心的なテーマとした劇映画としては本作がその先駆けであり、それだけに今までの戦争映画の中に新たな風を吹き込むことにもなった。こうした視点は『爆心 長崎の空』(2013 監督:日向寺太郎)などの複数の作品に受け継がれ、ひとつの描き方としてすでに定着しつつある。

ドキュメンタリーの場合は、該当する作品として『ヒロシマナガサキ』(2007 監督:スティーブン・オカザキ)、『TOKKO-特攻-』(2007 監督:リサ・モリモト)の二作品がまず挙げられる。前者はヒロシマナガサキの原爆の記憶、後者は特攻隊の記憶について問う作品であるが、両者に共通することとして、日系とはいえ外国人の監督によるものであるということと、また「知らないからこそ」という視点から発想をスタートさせていることがある。いわば、第三者の視点から客観的にあの時代を見据えようという意志がここには作用しているのであり、そこには私たち日本人が、「あたりまえ」であると思っていた概念が見事に覆されるような、訴求力に満ちた衝撃が存在する。作品の完成度もさることながら、この二作は歴史検証の意味でも意義のある作品に仕上がっていた。

ここで紹介する『永遠の0』も、基本的にはこうした流れを受け継ぐ作品である。舞台は現代の東京であり、特に目的もなく日々をぶらぶらと過ごす若者・健太郎が、特攻隊で命を落とした祖父、宮部久蔵の謎を解き明かそうとする。宮部は当初は「海軍一の臆病者」といった不名誉なレッテルを貼られていたが、やがて生前の宮部を知る人々への聞き込みを続けるうちに、彼が稀有な平和的理念の持ち主であったこと、妻子のために何としても生き続けようとした信念に満ちた人間であったことが明らかになる。健太郎はそうした祖父の生き方に触れ、自分の姿勢にも次第に変化が現れたことを感じる。そして全てを知った健太郎の前に、ゼロ戦に乗り込んだ宮部が幻影のように現れるのである。

物語としてはだいたい上記のような流れであるが、この映画においてはまず、往年の名優たちの演技に圧倒される。ラバウルで宮部の部下となり、彼から生命の大切さを説かれた橋爪功、特攻の意義をめぐって対立を繰り返しながらも、最後には宮部の高潔さを認める田中泯、そして宮部の予科練での教え子であり、健太郎のもう一人の祖父―宮部の死後に彼の遺志を継ぎ、宮部の妻であった松乃と結ばれる夏八木勲など、彼らの発する言葉にはそれぞれ彼ら自身の、「伝えたい」という想いがひしひしと感じられ、それだけで画面に対峙する私たちは心を揺り動かされる。また戦時中の宮部を演じる岡田准一も、恐らくは名優たちの力演の余波もあるにせよ、ツボを押えた渋めの演技で、史実的に正しいかどうかは別として、「このような人間がいたはずだ」という説得性を私たちに感じさせる。「国家による哀れな犠牲者たち」といった包括的な見方ではなく、あくまで一人の人間に徹底的に向き合うこと。そこから「こういうことがあった」だけではなく、そこに巻き込まれた当事者たちの感覚が私たちには見えてくる。

ただ惜しむらくは、こうした「当事者としての感覚」が現れてさてどうなるのか、その先がこの作品からは見えてこないことである。三浦春馬演じる健太郎は、初めて知る祖父の姿勢に涙し、「良い表情になった」といった賛辞を田中泯から受けるが、彼が祖父を知ってそれをどう自分に繋げるか、そういった能動的な姿勢が彼からは今一つ感じられない。言ってしまえば、健太郎は物語中で老人たちに話を聞くことで宮部のエピソードを結合させる、ただの狂言回しとしての役割しか与えられておらず、彼の人間性の深部などはここでは問題にされていないのである。

これは三浦の責任というより、監督の山崎貴を始めとした制作側の責任が大きい。原作通りと言われればそれまでだが、作中で橋爪や夏八木が発する、「私たちはこの記憶を繋げる責任がある」といった言葉を受けての呼応がなければ、この言葉、ひいては思想が持つ重みは、観客には伝わらず中途半端なままの印象が強まる。例えば、一度は諦めた司法試験に再チャレンジするとか、紛争解決支援を行うNPOでの活動に尽力するとか、はたまた、ここから学んだ考えを小説にするとか、そうした健太郎に関するエピソードを付け加えてもよかったのではないだろうか。そうした未来に生かすような姿勢がなかったため、この映画が持つ意味は、先人たちへの賛歌に終始してしまった感が強い。

また、もう一つ大きな疑問として、ラストシーンを「寸止め」で終わらせたこと、宮部の特攻が“成功”して米艦に損害を与えることができたのか、それがはっきりとわからない状態で映画を終わらせたことがある。原作では、特攻自体は成功したが爆弾は不発に終わり、宮部の遺体は彼の技術を讃えた米軍兵士によって水葬されるというエピソードが付け加えられているが、それが映画内で直接描かれることはない。もう少しで米軍艦に激突、というところでエンドロールに入り、その結末は観客一人ひとりに委ねられることになるのである。

ここには恐らく、特攻が成功してしまうと、平和主義者であった宮部の人間性にブレが出て、観客の彼への共感が難しくなってしまうという判断や、また結末を観客に委ねることで、観客がより戦争を主体的に考えるきっかけにして欲しいという考えが作用したのだろう。しかし、それを踏まえてもラストシーンが結果的に含みのあるものとなったか、正直疑問と言わざるを得ない。なぜなら、宮部の意志とは無関係に、予科練での指導を行ったことなどから、彼はすでに「戦争加害者」としての側面が存在したと言えるし、それに対するボカシを行うことは、ある種のナショナリズムへの耽溺に他ならないからである。

大衆向けの娯楽作という制約上、こうした操作はやむを得ないのかもしれないが、特にラスト近くは感傷的な台詞や音楽が多用され、歴史を批判的に検証するような視点は失われている。そしてそれはまた、名優たちが作品にもたらした品格を貶める結果ともなっている。

ミッドウェー海戦の臨場感など、VFXの技術に定評がある山崎貴らしい良さも光っただけに、上記のような欠点はかえすがえすも残念である。感傷的な方向から歴史を語るのはそれほど難しくはないが、戦争を中心とした人間の罪悪を語り継いでいくためには、私たちは常に歴史に対しての、一種の批判的な姿勢を持ち続ける必要があるのではないか。この映画はそうした教訓を、逆説的に投げかけているかのようだ。

黎明八月十五日(1952東映)軍部批判映画

YouTubeで視聴可能 部分 45分/98分
https://www.youtube.com/watch?v=D-YjSjHjGsY
sin pinにより2018/10/08 に公開

=45分の映像とあらすじから見て、戦時中の憲兵や政府、軍部の悪行の批判と降伏にいたる政治的動きをあわせた映画と思われる。記者、放送作家、兵士、女性のエピソードで憲兵や軍人の横暴さ、理不尽さ、を強く批判してる。物語がテーマではなく批判、恨めしさそのものがテーマに見える。

東映 公開:1952/5/1 監督:関川秀雄 脚本:八木保太郎、西沢裕 音楽:高田信
出演:
岡田英次 (佐伯記者)主人公、若い記者で軍人の横暴を苦々しく見る、噂の件で憲兵に虐められる
河野秋武 (吉田順吉:作家)主人公、放送作家、弱気、ビラで憲兵に虐められる、天皇崇拝のラジオドラマで憲兵に誉められ,本土決戦で勝つのドラマ書けと言われ記者を取材
香川京子(佐々木君子:憲兵の被害者)主人公、吉田と同行ビラの件で憲兵に虐められ逃げようとして足を折る怪我で一生直らぬ
丹阿弥谷津子(佐々木つる子)その母、一緒に虐められる
信欣三(山田二等兵)脱走兵、憲兵につかまり銃殺される
岸旗江(山田良子)山田の妻、憲兵に虐められる
松本克平(林記者)竹槍訓練に出ぬ
江見渉 (香山憲兵少尉)香川京子を虐める、悪い奴
花澤徳衛(留さん)
戸田春子(兼さん)
三島雅夫(遠山さん)


あらすじ(キネ旬

昭和二十年七月、その頃の日本は、限りない戦争の災禍と横暴な軍閥の重圧の下に疲れきっていた。その中にあって抗しきれない波涛に身をもまれながら、尚一片の正義を求めんとして苦しむ青年記者の佐伯、いつか暗黒の命令に自分の思想を見失って行く作家吉田、冷酷な憲兵のため傷つけられた娘君子などの姿があった。

山田二等兵は、軍隊を逃れ、その妻良子は非国民の妻の刻印をおされ、あくことを知らない憲兵隊の眼に追いつめられていた。山田はようやく家へたどりついたが、子供の年子は病気の床に横たわっていた。追いすがる子供をふり切ることの出来ない山田を憲兵は荒々しく引き立て、争いの果てに妻の目前で銃殺してしまうのだった。

広島に原子爆弾が投下され、次に来るものは本土決戦といいふくめられ、人々はやせた手に竹槍をにぎりしめるのだった。しかし、やがて八月十五日がやって来て、日本敗戦の事実は人々の前に、明るみのなかに暴露された。

虚脱されたような空ろな人々の眼。その眼には涙があった。しかし、戦いのすんだ焼跡には、無心な子供たちの明るい歌声がひびき、空には雲がゆるやかに流れていた。ようやく黎明はやって来て、街は廃虚のなかから静かに新しい息吹を通わせはじめていた。