zames_makiのブログ

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原爆映画への若者の感想(若林良)

若林良氏の事実誤認の感想文

http://tokidesign.jp/screen/story04.html

「広島で何もかも見たわ」と言う女に対して、「君は何も見ていない」と答える男。『ヒロシマ・モナムール』における、冒頭のこのやり取りは、認識そのものの多義性を考える上で興味深い。1959年の日本公開時には『二十四時間の情事』という邦題がつけられた本作では、反戦映画のロケのために日本を訪れたフランス人女優と、広島在住の日本人技師との間の一日の恋が描かれる。先述の台詞は、ふたりが肌を重ねる中で発せられたものであり、女が広島において被爆者たちの治療風景、原爆資料館に所蔵される焦げた鉄や焼け残った石、またキノコ雲の模型などの、原爆が残した傷跡を見たことがその論拠となっている。

 それに対する「何も見ていない」という男の返答には、少なくとも3つの解釈が考えられる。まず、女がフランス人であり、現在まで唯一の被爆国である日本の「特権性」を理解できるはずがないという認識である。「フランス人である我々が、日本人が体験した原爆被害をどこまで知ることができるのか」と監督であるアラン・レネが本作の着想について述べているように、こうした概念は、他国の人間が原爆を理解する過程において、最初に直面する壁ではあるだろう。

 2つ目は、これは現在の観客の多くに通底することではあるだろうが、そもそも「原爆を見ること」自体が、不可能であるということだ。端的に、それはすべての影を消し去ってしまう「光」である。そしてそれを見たものは、『鏡の女たち』(2003)の制作時における吉田喜重の弁を借りれば、一瞬のうちにこの世から消え去った死者であるのだから、それ以外のいかなる人間にも、自身の体験として語ることはできないのだ。
後世のわたしたちが資料館の展示品などを見たとしても、それらは「原爆」ではなく、「原爆がもたらしたもの」、つまり原爆から二次的に派生したものに過ぎない。それらを見て何かを感じたとしても、そこから本質的な理解へ到達をすることはありえない。

 そして3つ目は、前提として女に原爆そのものを見ようとする意志が欠落しているのではないか、という点である。すなわち、女が自身のトラウマティックな記憶を、原爆の被害に投影しているに過ぎない、と思われることだ。
女は戦時中、本来なら敵であるナチスの将校と恋仲になり、戦後はその「裏切り」に対し、周囲から非難や糾弾を受けた過去を背負っていた。一方、男は原爆の被害で家族をすべて失っており、ふたりはいわば、同じ戦争による傷を持つものとして、精神の根底におけるつながりを得るのである。つまり、ふたりがつながる鍵となる存在が、原爆でなければならない必然性はなかった。そもそも、女がたまたま日本を訪れることがなければ、このふたりが接触の機会を得ることもなかったのだ。

 しかしながら、「何も見ていない」ということは、必ずしも無を意味しない。本作においては、女が偶然に原爆に出会ったこと――それは男との出会いもむろん含まれる――と、女が持つ記憶の混在こそが、原爆という存在から派生した新しい世界を彼女の、ひいては彼女を見るわたしたちの内面に生み出すことに奏功している。それは原爆について異なった経験、また考えをもつ男との会話のなかで、さらに深化がすすんでいく。

 <かつてあった>ことは、もはや失われた存在にすぎず、「不確かさ」の波に押し流されていくことを、わたしたちが留めることはできない。ここで重要であったのは、お互いの原爆に対する認識を、ずれのないものとして共有することではない。むしろ「ずれ」そのものを認識すること、お互いの経験を「不確か」なもの――言いかえれば普遍的なものではなく、固有のものとして受容することであったのだ。その「ずれ」とは、原爆にかかわらず、すべての歴史の継承において存在している。

 中盤、ふたりが「あなたは本当に日本人なの」「君の目は青なのか」と交互に問いかけるシークエンスを思い返そう。答えそのものは自明ではある。しかし、この問いは実は、「相手のことを本当に理解しているのか」と、自分自身に向けられたものであるのだ。そしてこの瞬間、確かにお互いのもつ「不確かさ」は共有可能なものとなりうる。

 わたしたちは、原爆そのもの――すべての影を消す「光」へと到達することはついにできない。しかし、原爆への認識をめぐる「不確かさ」を知り、次世代へ継承するすべは残されている。そのいささか逆説的な幸福を、わたしたちは『ヒロシマ・モナムール』という一本の映画から噛みしめることができるだろう。

若林良のとんちんかんな感想

http://webneo.org/archives/14455
2014/03/06→映画が公開され評判になりすでに新聞などで批判が行われている時期
とんちんかん→なぜ平和指向者が特攻に行くのか?が解決されぬ物語のおかしさ、歴史的事実の酷い逸脱&歪曲に気づかず、演技の問題とだけ見る、

「戦争」を語り継ぐために―映画『永遠の0』に寄せて text 若林良
近年の太平洋戦争を題材にした映画には、少しずつ、しかし確実に増えつつある視点が存在する。それは、戦争の記憶をいかに伝えるか、また現在の人々がそれをどう受け止め、生きていくかという視点である。

例としてまず挙げられるものとしては、2007年の『夕凪の街 桜の国』(監督:佐々部清)がある。ここで語られるのは原爆投下から10年後のヒロシマと、現在のヒロシマに生きるそれぞれ若い女性のエピソードである。物語の中心となるのは現代であり、後者の女性=七波が、前者の女性=皆実の記憶に触れることで、「原爆の子」であることに積極的な意義を見出し、今後の人生の糧にしようとする。こうした「非体験者による想像」という観点からの映画は、これまで『ヒロシマ・モナムール』(1959 監督:アラン・レネ、邦題:『二十四時間の情事』)のような前例がないわけではないが、「記憶の継承」を中心的なテーマとした劇映画としては本作がその先駆けであり、それだけに今までの戦争映画の中に新たな風を吹き込むことにもなった。こうした視点は『爆心 長崎の空』(2013 監督:日向寺太郎)などの複数の作品に受け継がれ、ひとつの描き方としてすでに定着しつつある。

ドキュメンタリーの場合は、該当する作品として『ヒロシマナガサキ』(2007 監督:スティーブン・オカザキ)、『TOKKO-特攻-』(2007 監督:リサ・モリモト)の二作品がまず挙げられる。前者はヒロシマナガサキの原爆の記憶、後者は特攻隊の記憶について問う作品であるが、両者に共通することとして、日系とはいえ外国人の監督によるものであるということと、また「知らないからこそ」という視点から発想をスタートさせていることがある。いわば、第三者の視点から客観的にあの時代を見据えようという意志がここには作用しているのであり、そこには私たち日本人が、「あたりまえ」であると思っていた概念が見事に覆されるような、訴求力に満ちた衝撃が存在する。作品の完成度もさることながら、この二作は歴史検証の意味でも意義のある作品に仕上がっていた。

ここで紹介する『永遠の0』も、基本的にはこうした流れを受け継ぐ作品である。舞台は現代の東京であり、特に目的もなく日々をぶらぶらと過ごす若者・健太郎が、特攻隊で命を落とした祖父、宮部久蔵の謎を解き明かそうとする。宮部は当初は「海軍一の臆病者」といった不名誉なレッテルを貼られていたが、やがて生前の宮部を知る人々への聞き込みを続けるうちに、彼が稀有な平和的理念の持ち主であったこと、妻子のために何としても生き続けようとした信念に満ちた人間であったことが明らかになる。健太郎はそうした祖父の生き方に触れ、自分の姿勢にも次第に変化が現れたことを感じる。そして全てを知った健太郎の前に、ゼロ戦に乗り込んだ宮部が幻影のように現れるのである。

物語としてはだいたい上記のような流れであるが、この映画においてはまず、往年の名優たちの演技に圧倒される。ラバウルで宮部の部下となり、彼から生命の大切さを説かれた橋爪功、特攻の意義をめぐって対立を繰り返しながらも、最後には宮部の高潔さを認める田中泯、そして宮部の予科練での教え子であり、健太郎のもう一人の祖父―宮部の死後に彼の遺志を継ぎ、宮部の妻であった松乃と結ばれる夏八木勲など、彼らの発する言葉にはそれぞれ彼ら自身の、「伝えたい」という想いがひしひしと感じられ、それだけで画面に対峙する私たちは心を揺り動かされる。また戦時中の宮部を演じる岡田准一も、恐らくは名優たちの力演の余波もあるにせよ、ツボを押えた渋めの演技で、史実的に正しいかどうかは別として、「このような人間がいたはずだ」という説得性を私たちに感じさせる。「国家による哀れな犠牲者たち」といった包括的な見方ではなく、あくまで一人の人間に徹底的に向き合うこと。そこから「こういうことがあった」だけではなく、そこに巻き込まれた当事者たちの感覚が私たちには見えてくる。

ただ惜しむらくは、こうした「当事者としての感覚」が現れてさてどうなるのか、その先がこの作品からは見えてこないことである。三浦春馬演じる健太郎は、初めて知る祖父の姿勢に涙し、「良い表情になった」といった賛辞を田中泯から受けるが、彼が祖父を知ってそれをどう自分に繋げるか、そういった能動的な姿勢が彼からは今一つ感じられない。言ってしまえば、健太郎は物語中で老人たちに話を聞くことで宮部のエピソードを結合させる、ただの狂言回しとしての役割しか与えられておらず、彼の人間性の深部などはここでは問題にされていないのである。

これは三浦の責任というより、監督の山崎貴を始めとした制作側の責任が大きい。原作通りと言われればそれまでだが、作中で橋爪や夏八木が発する、「私たちはこの記憶を繋げる責任がある」といった言葉を受けての呼応がなければ、この言葉、ひいては思想が持つ重みは、観客には伝わらず中途半端なままの印象が強まる。例えば、一度は諦めた司法試験に再チャレンジするとか、紛争解決支援を行うNPOでの活動に尽力するとか、はたまた、ここから学んだ考えを小説にするとか、そうした健太郎に関するエピソードを付け加えてもよかったのではないだろうか。そうした未来に生かすような姿勢がなかったため、この映画が持つ意味は、先人たちへの賛歌に終始してしまった感が強い。

また、もう一つ大きな疑問として、ラストシーンを「寸止め」で終わらせたこと、宮部の特攻が“成功”して米艦に損害を与えることができたのか、それがはっきりとわからない状態で映画を終わらせたことがある。原作では、特攻自体は成功したが爆弾は不発に終わり、宮部の遺体は彼の技術を讃えた米軍兵士によって水葬されるというエピソードが付け加えられているが、それが映画内で直接描かれることはない。もう少しで米軍艦に激突、というところでエンドロールに入り、その結末は観客一人ひとりに委ねられることになるのである。

ここには恐らく、特攻が成功してしまうと、平和主義者であった宮部の人間性にブレが出て、観客の彼への共感が難しくなってしまうという判断や、また結末を観客に委ねることで、観客がより戦争を主体的に考えるきっかけにして欲しいという考えが作用したのだろう。しかし、それを踏まえてもラストシーンが結果的に含みのあるものとなったか、正直疑問と言わざるを得ない。なぜなら、宮部の意志とは無関係に、予科練での指導を行ったことなどから、彼はすでに「戦争加害者」としての側面が存在したと言えるし、それに対するボカシを行うことは、ある種のナショナリズムへの耽溺に他ならないからである。

大衆向けの娯楽作という制約上、こうした操作はやむを得ないのかもしれないが、特にラスト近くは感傷的な台詞や音楽が多用され、歴史を批判的に検証するような視点は失われている。そしてそれはまた、名優たちが作品にもたらした品格を貶める結果ともなっている。

ミッドウェー海戦の臨場感など、VFXの技術に定評がある山崎貴らしい良さも光っただけに、上記のような欠点はかえすがえすも残念である。感傷的な方向から歴史を語るのはそれほど難しくはないが、戦争を中心とした人間の罪悪を語り継いでいくためには、私たちは常に歴史に対しての、一種の批判的な姿勢を持ち続ける必要があるのではないか。この映画はそうした教訓を、逆説的に投げかけているかのようだ。