zames_makiのブログ

はてなダイアリーより移行

夢(1990)反原発・反核の重要な警句映画

英語題名:DREAMS 121分 製作国:日本/アメリカ 配給:ワーナー 公開:1990/05/

監督:黒澤明 製作:黒澤久雄、井上芳男 製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ 脚本:黒澤明 衣裳:ワダ・エミ 編集:黒澤明
音楽:池辺晋一郎

出演:
寺尾聰(私)中年男性で監督の分身、各エピソードでの案内役
4「トンネル」
頭師佳孝(野口一等兵)最初に私を追ってトンネルから出てくる亡霊
山下哲生(少尉)第三小隊の亡霊を率いて出てくる
第三小隊(二十騎の会)トンネルから足音高く行進してくる
6「赤富士」
根岸季衣(子供を抱えた女)逃げ惑う女
井川比佐志(発電所の男)原発の事故の様子を語り海に身を投げる
7「鬼哭」
いかりや長介(鬼)一つ角の弱い鬼で鬼世界の様子を語る
二十騎の会(鬼達)血の池の周りで嘆く

エピソード

8つのエピソードからなるオムニバス短編映画集、いずれも冒頭「こんな夢を見た」という字幕で区切られている。いずれも監督とおぼしき中年男性(寺尾聰 :役名は私)が登場し物語に立ち会う事になる

1「日照り雨」:5才の私は狐の嫁入りを見てしまう
2「桃畑」:少年の私は桃の節句に桃の木の精霊を見る、しかし木は切り倒される
3「雪あらし」:私たちは吹雪の雪山で遭難、雪女に会う
4「トンネル」:帰還兵の私は自分の部隊の亡霊に会う
5「鴉」:絵描きの私はゴッホの絵の中に入ってしまう
6「赤富士」:原発が爆発し人々は逃げ放射能の中、死ぬ
7「鬼哭」:原爆で世界は放射能に汚染され人は鬼になり弱肉強食の共食いをしている
8「水車のある村」:美しく静かな村で103歳の老人は穏やかに葬式の列に加わる

感想

オムニバス映画で、各短編は相互にほとんど関係はなく、いかにも夢想的な夢の物語が語られるため物語り的感動は薄い、一方言わんとしている所は明確である。全体としては死につつある老人の幼少期からの大事な夢を語ると見えるがそこに原発への強い反対、核戦争への強い恐怖が挿入されており戸惑う、しかし2018年の今ではそれらは、1世間から疎まれても言うべき事は言うべきとの真実性、独自性の発露であり、2同時に無視すべきでないし、これからも無視すべきでない重要な警告であるとの論は、福島原発事故核兵器廃止条約成立後の今2018年、誰も否定できないだろう。1990年当時は老人の夢の映画化として評価されなかったが、2018年では賢者の鋭い警句として評価するべきだ。

4「トンネル」

日本のアジア太平洋戦争での兵隊の死者への悔悟と鎮魂をテーマとしたエピソード。黒澤明は徴兵年齢なのに徴兵されておらず(不合格)同年配で多くの死者が出た戦争に対し後ろめたさと、自分を責めてくれるなという願いが表現されていると思われる。映画内の私は一人だけ生き残ったかなり位の高い指揮官であり率いた部下は全員死んでいる。戦争経験がないのにこうした設定を取る理由は上記以外ないと思われる。戦闘に関する直接的な戦争責任より戦争そのものへの大きな責任を意味しているのかもしれない。

物語:復員した将校である私はトンネル入り口で自分を脅す軍用犬に出会う、トンネルを抜けると後ろから一人の軍靴の音が聞こえ、野口一等兵の亡霊が現れ自分は死んだとは思えないと語る。だが私は野口の戦死場面を知っている。説き伏せやっとトンネルに返すが、ついで第三小隊が少尉に率いられ、大変な軍靴の音を響かせトンネルから現れる。私は大いに恐怖するが更に説き伏せ、ついには強気に出て命令して彼らをトンネル内に帰す。第三小隊は帰る、しかし私に敵意を示す軍犬はうなるのをやめない。

6「赤富士」

原発事故の怖しさとそれによる国の破滅、人々の死という破滅への恐怖。それらの責任を原発を作った人間に追及すべきだとの明確なエピソード。冒頭富士山が爆発、実はそれは原発事故による爆発だが、大変な危機的状況をダイナミックに示しており、1990年の時点では日本の原発反対運動は低調でこうした破滅的な事故は夢としか描きようがなかった。1990年公開時には心配しすぎの老人の妄想(それは1955年の「ある生きものの記録」への扱いと同じだ)としか批評家から・世間から扱われなかったが、2011年を経て現実になってしまった。色のついた放射能雲という形で、プルトニウム239やストロンチウム90やセシウム137などはっきりと放射能の人体への危険を訴えており、米ソ核実験による死の灰を経験した世代として当然の事をしているが、1990年当時「セシウム137」を理解できた批評家がほとんどいなかったと思われるのであり、老人の経験と判断は間違っていないのを確認させられる。黒澤は匿名の危険性ではなく原発をつくった側の責任を明示し映画内でそれを殺しているのであり、危機感は相当である。

物語:おそらく福島で6つの原発が次々に事故がおこし、まるで富士山が爆発するように、おそろしい爆破が次次におこる。その様子はまるで赤冨士のようだ。人々は逃げまどうが、日本には逃げ場などない。気づくと人々は皆海に飛び込んで死んでいる。それは技術開発で色のついた放射能雲=プルトニウム239、ストロンチウム90、セシウム137が迫ってくるのが見えるからだ。色がついたから放射能の危険性が下がる訳ではないのにと解説する男は自嘲的だ、その男は原発を作る側の人間で、原発の危険性がわかっていながら、事故が起きるとわかっていながら、作り動かし続けた事を悔いている。気づくと男は海に身を投げ死んでいる。だが事故を起こし日本中が放射能で汚染された状況は何も変らないのだ。

7「鬼哭」

核戦争による人間全体の破滅の恐怖を表した映画、核戦争により地球は破壊され、自然が崩壊し巨大なタンポポのように最早まともな世界ではなくなっている。人間はもはや共食いする鬼としてしか生きていけない。鬼は弱肉強食でアメリカやロシアや中国による力の支配の残酷さと恐ろしさを意味してるようだ。彼らは強い者が勝つが更に強い者に食われる運命にあり、誰にも平和はなく、しかもそこから逃れる事のできない呪われた我が身を嘆くしかない。核兵器のある国のように、ある種の自由や力があっても、結局は死ぬしかない、平穏は得られないと強く皮肉っている。だが鬼は傍観する私に「お前は帰れ!」と言っており黒澤は完全には絶望しておらず、まだ核戦争を回避できる、回避すべきだと考えているようだ。時間が短く表現が非常に直接的であまり強い印象を残せないが言うべき事は言っている。

物語:
荒廃した地球に私はいる、自然の草や木、動物や魚や鳥はどこにもいない。やがて私はさまよう鬼を発見する、鬼はこれは人類が水爆やミサイルでもたらしたものだと毒づく。そして狂った自然の例として巨大なタンポポを見せる。人類も人でいられず、皆角が生え鬼になったという、鬼は弱肉強食で共食いをして生きているのだと。その悲しく苦しげな様子、遠くには血の池の周りで嘆き、苦しみ、のたうち回る鬼たちが見える。鬼は言う「お前は帰れ!」と。