イングロリアス・バスターズ(2009)ハリウッドの反ナチを皮肉る
原題:INGLOURIOUS BASTERDS 152分 アメリカ 公開:2009/11/20
監督:クエンティン・タランティーノ 脚本:クエンティン・タランティーノ
出演:
クリストフ・ヴァルツ(ハンス・ランダ大佐)ドイツ軍のユダヤハンター、ショシャナの家族を殺す、プレミア上映の警備役でレイン中尉らを逮捕するが、自らの保全と引き替えにヒトラー達を売る
メラニー・ロラン(ショシャナ・ドレフュス)農村にいたユダヤ人の女、家族を殺されパリへ逃亡、映画館主となるがプレミア上映を機会にナチ高官を焼き殺そうとする
ジャッキー・イド(マルセル)黒人、映画館の技手、ショシャナに協力し焼く
ブラッド・ピット(アルド・レイン中尉)ナチ殺しの米軍特殊部隊「バスターズ」の指揮官、どうしようもなく粗雑、プレミア上映で映画館に侵入するが失敗する
イーライ・ロス(ドニー・ドノウィッツ二等兵)「バスターズ」の一人、ユダヤの熊、野球バットでナチを殴り殺すのを得意とする、映画館に侵入し失敗
ティル・シュヴァイガー(ヒューゴ・スティーグリッツ)「バスターズ」の一人、ドイツ兵だが上官に反逆し以降やたら殺しまく
ダイアン・クルーガー(ブリジット・フォン・ハマーシュマルク)ドイツ人女優、なぜか英軍に協力プレミア上映情報を売る、パブ事件で負傷
ダニエル・ブリュール(フレデリック・ツォラー伍長)ドイツ軍の英雄、狙撃で米兵を300人殺害する、その功績が映画になり主演を務める、ショシャナを一方的に愛しゲッベルスにプレミア上映開場を変更させる
ミヒャエル・ファスベンダー(アーチー・ヒコックス中尉)英軍中尉、ドイツ映画研究者だった、プレミア上映作戦に際しドイツに潜入するが、ドイツ語の訛りがばれる
シルヴェスター・グロート(ヨーゼフ・ゲッベルス)ドイツ宣伝相、ツォラー伍長の功績をプロパガンダ映画に作りプレミア上映を企画する、映画館で焼き殺される
マルティン・ヴトケ(アドルフ・ヒトラー)ドイツ総統、「バスターズ」の悪行に困惑し追わせる、プレミア上映に参加し焼き殺される
感想
最高に皮肉の効いた戦争映画、ナチを悪役とするアメリカ戦争映画に対する映画による批判(背景を理解できぬ人には単に悪趣味なサスペンス映画と見えよう)、星5つ。映画のラストはヒトラーが米軍に殺され戦争が早期終結するというもので、この映画が現実でない事(=映画のような架空の出来事)を対象としている事を暗示している。
アメリカ映画が史実や作品のテーマを離れて、単なる娯楽や金儲けの為にドイツ軍をやたら殺す作品を大量生産してきたを皮肉っている。ここではドイツ軍を残虐な方法でただめったやたらに殺す米軍特殊部隊「バスターズ」が一応の主人公だが、どうしようもなく粗雑な存在でわざと感情移入できぬように設定されている。逆に一般的には悪役のドイツ軍将校(ユダヤ人狩りの)は非常に知的で、例えばバスターズのどうしようなく下手なイタリア語にわざと最高に優雅なイタリア語で返したりする。そして映画最後では「戦争を早く終わらせるため」ヒトラーを売り、焼き殺すのに協力する「英雄」となっている。また映画内で上映される架空のプロパガンダ映画はドイツ兵が次々にアメリカ兵を300人も殺す場面で構成されており、普段アメリカの戦争映画がやっている事の逆をやっている。またドイツ高官を焼き殺すユダヤ人の女館主がこの映画に挿入したシーンはまるでホラー映画のようで、焼き殺す側が「悪役」にしか見えない。更に中盤のドイツの酒場のシーンでは潜入した英国将校が絶対にばれぬとお得意のドイツ語でドイツ兵を叱ると、教養のないドイツ一兵卒にさえ訛りがばれて窮地に陥るという皮肉である。そして英軍将校は英国のスコッチを誉めようとして立てた指の立て方で英国人とばれて殺される、つまりドイツのことならなんでも知っているとお高くとまっている英国人が実はまったくドイツを知らないと皮肉っている。
映画自体は絶体絶命の激しい緊張と意外な結末のエピソードの連続で構成された非常に優れた娯楽性を備えている。それらが同時に意味合いがどうしようもなく諧謔的なもので、アメリカ映画に親しんだ者にはそれゆえ一層刺激的だろう。
また多くの過去の映画の引用で構成されている。即ち殺したドイツ軍の「頭の皮をはぐ」アメリカ兵、「戦争を早く終わらせるためにはどんな突飛なことでもする」登場人物、アメリカ軍が「ドイツ兵に化けて」ドイツ軍中枢に潜入すること、「ヒトラー殺し」が主題になっている事などなど。筆者は未確認だがその他にも引用やあてこすりは多数あると思われる(「バスターズ」が化けるイタリア映画人の名前は実在のイタリア人監督)。
この映画は戦争を扱っているが、テーマは戦争そのものより、戦争「映画」(アメリカが1960年代以降大量に作ってきた娯楽的なもの)であろう。しかしセットや人物、出来事など非常に現実的で説得力のあるものだ。例えばドイツはプロパガンダ映画の製作に戦局が悪化した終盤でさえ熱心だったし、ヒトラー暗殺事件は多発している。その点ではこの映画を戦争のある種の現実と受け止める観客が居ても不思議はないだろう、その受容のされ方も娯楽的な戦争映画の嘘の受容と同じである事も監督の皮肉かもしれない。ともかくアメリカ映画の不公正さ、不誠実さを告発する最高の映画である。