zames_makiのブログ

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「言葉の政治学」が日本人を騙してる

ある概念・事物にどんな言葉をつけるかも政治である。これを「言葉の政治学」と呼ぶらしい。最もよい例が満州事変だろう、1937年日本と中国は戦争になったが日本はこれを「満州事変」とよびこれは戦争ではない、事件だ。と述べた、その結果人々は日本が中国とのっぴきならない状態におちいった事の認識を欠いた。日本はその後も事変を連発し「いつのまにか戦争になった」のである。
 1937年当時、もし満州事変を日中戦争と呼んでいたら、なぜ中国と戦争しなければならないのか?それに勝てるのか?これからとるべき日本の方向性は何か、少なくとももっと多くの議論があり、人々は考える事ができたらだろう。だがそうはならなかった。言葉の政治学が機能したのである。

これは概念・事物の名前を操作する事で、ある程度人々を政治的に操作(その意思に反してあやつる事)をできる事を示している。

今の安倍の戦争法案でもこれが行われている。安倍が連発する後方支援や武器の使用がそうだ。これらは自衛隊内や国際的には兵站であり武力の行使だ。武力の行使とは戦争の事だ。

安倍の言う「後方支援」とは兵站(Military Logistics)の事=軍事用語、戦争行為の一部で前線のため武器弾薬を運ぶこと

「武器の使用」とは武力行使(Use of Force)の事、FORCE=意味としての軍隊の行動、戦争の事

そして平和関連法案とは戦争法案のことだ

平和安全法制整備法と国際平和支援法案の2本の総称:武力攻撃事態法改正案、周辺事態法改正案(重要影響事態法案に名称変更)、国連平和維持活動(PKO)協力法改正案などの改正案10本を束ねた一括法案「平和安全法制整備法」と自衛隊を紛争地に派遣することを可能にする「国際平和支援法案」

それらをあわせ、法案の中味を見れば今の安倍が提示しているいわゆる「平和法案」群は、まさに戦争法案だろう


言葉を支配する者は人々も支配できる。戦争法案など言い過ぎだと言う人間はただの馬鹿である。