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日テレの報道基準は読売新聞支配下にある

<「テレビの原発報道は酷過ぎる」日テレ元報道局ディレクターが抗議の辞任(週刊ポスト2012/06/01 記事)>
コピー元:http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11256573516.html(大友涼介氏ブログ)

酷い番組を酷いと言えない。それでジャーナリズムですか?

震災以降、視聴者が抱いたテレビ報道への不信感を、一番肌身で感じていたのは当事者であるテレビマンたちだった。この3月に日本テレビを退社した元エースディレクターが告白する。
 テレビ各局が震災後1年の特番を放送した3月11日の翌日、日本テレビ解説委員だった水島宏明氏(54)は周囲に辞意を伝え、古巣を後にした。同氏は『NNNドキュメント』ディレクターとして「ネットカフェ難民」シリーズなどを制作し、芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞。『ズームイン!!SUPER』にはニュース解説委員として出演していた。現在は法政大学社会学部教授となった水島氏が、「報道現場が良くなる一助になれば」と退社の経験を初めて明かした。きっかけは、原発報道です。報道局の幹部が突然、「今後はドキュメント番組も基本的に震災と原発のみでいく」と宣言しました。
 もとろん、あれだけの大災害ですから報じるのは当然ですが、それだけだと報道の多様性がなくなってしまいします。私のライフワークである貧困問題は「そんな暇ネタはボツだ」という扱いを受けました。しかも、NNNドキュメントの企画会議では、「うちは読売グループだから、原発問題では読売新聞の社論を超えることはするな」と通達された。


 そんなことを言われたのは初めてでした。先年3月28日に日テレの氏家(齋一郎)会長が他界しましたが、グループ内で影響力を誇る人物がなくなったことで、読売の日テレに対する影響力がどうなるかわからないという配慮から、そうした発言が出たのかもしれません。これは日テレに限らず、今のテレビ局全体の問題だと思いますが、プロデューサーやデスクの幹部・中堅社員が、あらかじめ報道内容のディテールまで会議で決める傾向が強まっています。現場に出る若手社員や下請けの派遣社員は、その指示に従った取材しか許されない。でも、我々は社員である前にジャーナリストですから、本来は自分の目で現場を見た上で、自ら報道すべきことを判断すべきです。震災以降、現場軽視をますます痛感し、私は会社を辞める決意を固めました。


 震災1周年の日、私は各局の特番を総長早朝から深夜まで(書き起こし間違いの指摘がありましたので訂正しました)ザッピングして見ていましたが、正直、日テレが一番酷いと感じた。被災地と直接関係のないタレントの歌を流し、キャスターは被災地を訪れて「復興」を強調するものの、そこには報道の基本である視聴者の教訓になる情報がない。取材も表面的で、被災地者のリアリティが伝わってきませんでした。そのことをみんな感じていたのに、放送後の報道局会議では、幹部の「良かった」という声に押され、誰も何も言えなかった。
 最後の出勤日となった3月30日、私は報道フロアに集まった同僚に対し、「酷い番組を酷いと言えない。それではジャーナリズムとは言えない。事実を伝える仕事なのに。もっと議論して、言いたいことを言い合おうよ」と話しました。幹部が同席していたため、その場はシーンと静まり返っていましたが、後で何人かが「僕もそう思ってました」と寄ってきた。「じゃあ言えよ」って。(笑)

福島第一原発3号機爆発:なぜすぐ爆発映像を流さなかったか

水島氏は、現在のテレビジャーナリズムの構造的な問題点を指摘する。この間の震災・原発報道を通じて露わになったのは、自らの在り様を検証できないテレビ局の体質です。日テレ系列の福島中央テレビは震災翌日、福島第一原発1号機の水素爆発の瞬間をメディアで唯一、撮影して速報しました。ところが、その映像が日テレの全国ネットで流れたのは1時間後のことです。報道局の幹部が専門家などの確認が取れるまで映像を控えると決めたからです。状況が確認できないまま映像を流せば、国民の不安を煽って後で責任を問われるという状況になりかねないというわけです。しかし、影響がどこまで及ぶか分からないからこそ、本来なら「確認は取れていませんが、爆発のように見える現象が起きました」と言ってすぐ映像を流すべきでした。実際、あれを見て避難を始めた人もいて、国民の映像にかかわる映像でした。私自身、福島中央テレビの人間から「すぐに放映しなかったのはおかしい」と責められました。しかし、その経緯は未だに社内で検証されていません。


 その後も、本社や記者クラブ詰めの記者の多くは、原発事故で信頼を失った後でさえ、
国や東電など「権威」の言うことを机に座ってメモするだけでした。発表内容をそのまま報じるものの、実際の現場に行って、たとえば本当に除染の効果が得られたかどうかを確かめるようなことはほとんどしません。カネと時間と労力がかかるので、楽な方に流れてしまうのです。本当に独自性のあるネタを報じれば、かつてのテレ朝系『ニュースステーション』の「ダイオキシン問題(※注1)」のような問題を生みかねないと、先んじた報道を避ける傾向があります。
 ※注1 テレビ朝日系『ニュースステーション』が99年2月に埼玉県所沢市産の野菜から高濃度のダイオキシンが検出されたと報道したことを契機として、同市産の野菜価格が急落。同市の農家側が損害賠償などを求めて起訴し、テレビ朝日は謝罪した上、1000万円を支払うことで和解が成立した。


 ワイドショーの現場では、報道局が撮ってきた映像を使い回し、短時間だけ現地に入るレポーターが番組名のついたマイクを使うなど、見せ掛けだけの独自性で勝負している。テレビ報道が「権威」から離れる道もあるはずです。たとえば霞が関の官僚たちを、匿名を許さず「原子力安全・保安院○○課長補佐○歳」というように実名にして、何を言ってどう行動したか詳しく伝えるだけでも、責任を追及する報道に変わるはずです。
 事実、すでに地方局ではやっていることなのに、キー局は変わろうとしない。私はこの現状を変えるため、何色にも染まっていない学生に、本来のジャーナリズムを教えていく道を選びました。