アメリカ人の映画受容について
以下は土井敏邦氏のHPより抜粋、土井氏はパレスチナ問題に関するドキュメンタリー「沈黙を破る」を制作、アメリカ国内で自主上映をして回った。「沈黙を破る」は2時間10分ほどの映画だがその受容について興味深い事が書かれている。
出典=土井氏HP:http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20110129.html
私の感想:アメリカ人に限らず観客が映画に集中できるのは1時間くらいだろう、劇映画の場合、起承転結の内、転の部分で鑑賞上の休憩が取られ、一度集中が途切れてもよいように作られている場合が多いと思う。1960年代まで映画はもっと短く多くは1時間半程度だった、日本では1980年代以降大作化、1本だてが進行し、2時間程度が常識になったように思う。最近では2時間を越えるものもあるがやはり少数だ。
ヒストリーチャンネルで流されるアメリカ製ドキュメンタリーは終始喋りまくる形式だ。これは視聴上とても集中が必要で非常に疲れるし、映画に内容がない場合、逆にどこにも集中できずほとんど内容がつかめなくなる危ない形式だと思う。しかしどうやらアメリカ人はドキュメンタリーとは常に何か喋っていないといけないと感じているらしい。だがこれはアメリカでも伝統的なものではない、1940年代のアメリカのドキュメンタリーはこんな喋りまくりではない、私の感じでは1990年代以降のごく最近の兆候に感じる。
ヒストリーチャンネルで流されるアメリカ製ドキュメンタリーの多くは、映像は主題に関連してはいるが直接それを説明しないものを延々と時には繰り返し流し、一方ナレーションでは切れ目なく延々と喋りまくるものだ。最近では「第二次世界大戦〜アメリカの戦略と兵器 AMERICAN WAR MACHINE OF WW2」などがこの典型に思う。これは全体的には非常に内容の薄い、感興にかける物だが、時には珍しい映像があり、時には今まで自分の知らない事をナレーションが説明している時もある。従って簡単に出来の悪い作品と言い切れない。だがこれを視聴し評価するのは、見て面白くないので苦痛でしかもその苦労の割りに得るものは少ない。困ったものだ。
アメリカ人が映画に集中できるのは1時間
Lさんが真っ先に指摘したのは、アメリカ人にはやはり2時間10分の映画は長すぎるということだった。(略)「アメリカ人が集中して観ることができるのはせいぜい1時間、最大長くても1時間半です。それを超えたら、集中力を失い飽きてしまいます」とバークレイ在住の日本人の知人たちにも指摘された。ニューヨーク周辺での3回の上映会の反応でも同じ声が上がった。
アメリカではドキュメンタリーとは喋りまくる事
日本でのドキュメンタリー映画に求められる“余韻”は、アメリカではまったく重視されないということだ。『沈黙を破る』の中で象徴的な例を挙げれば、映画の中で何度か登場する兵士たちの写真の接写場面だ。私は兵士たちの証言の言葉を観客が“消化する”ための時間、余韻としてそこに敢えて音やテロップを被せることもせず、ただじっと写真を見せた。しかしアメリカ人の観客には「退屈で無駄なシーン」となってしまうのだ。