zames_makiのブログ

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国際ペン東京大会2010「環境と文学」

日時:2010年9月23日〜9月25日
場所:早稲田大学大隈記念講堂・京王プラザホテル
主催:国際ペン東京大会2010実行委員会
http://www.japanpen.or.jp/convention2010/

セミナー「文学にみる環境正義と現代的意義」

9月24日13:00〜15:00 小野梓記念講堂
〈環境正義〉は、自然の生態系を守ることと社会的正義の同時追及の必要性を示す概念として今日注目されている。この環境正義の概念を文化・文学に検証し、グローバリゼーションの進展と共に、地球環境への脅威が増す今日において、現代の作家たちが環境問題とどのように対峙し、作品の中でどう扱っているかを討論する。
環境正義の概念は、1980年代に多民族国家であるアメリカの社会的背景をもとに生れた考え方で、環境的人種差別主義への批判運動として展開した環境正義運動に端を発している。その後の地球環境問題への関心の高まりに伴い、自然はもちろん、人類をも破壊しかねない問題を扱った文学作品が昨今多く創作されている。
このセミナーでは、「世界希少鳥類保護団体」の創設者のひとりで、人間と鳥との関係の著作があるギブソン氏と、地球破壊が進む中、母なる大地と海洋との共生の大切さを説く先住民作家のラポガン氏、モリス氏に「文学にみる環境正義と現代的意義」を語ってもらう。(佐藤アヤ子記)<パネリスト>
●グレアム・ギブソン(Graeme Gibson):1934生まれ。カナダの小説家、批評家。カナダペン会長を歴任。バードウオッチャーで、環境問題に活発な運動を行っている氏はThe Bedside Book of Birds(2005)で、「鳥に関する雑録」として人間と鳥との尊い関係を古今東西の作品から示している。

●シャマン・ラポガン(Shaman Rapongan):1957 年、蘭嶼島(台東県蘭嶼郷)紅頭村生まれ。漢名は施努来。とびうお漁で生活するタオ(ヤミ)族という原住民の出身。中国語で創作するが、台湾本島での暮らしのなかで、タオ族としてのアイデンティテーを模索し、現在は、故郷に戻り、タオ語の保存にも取り組む。代表作:『冷海情深』『黒色的翅膀』(邦訳「黒い胸びれ」、草風館)『海浪的記憶』など

シェリー・モーリス(Shellie Morris):1965年生まれ。オーストラリアのアボリジニのシンガーソング・ライター。ノーザン・テリトリー(北部準州)のアボリジニの聖地カカドゥに生まれる。「昔のように、音楽を通して物語を伝える」というシェリーのバラッドは、魂のこもった不思議な感覚を聴衆に与え、先住民社会の出来事をこえて、世界中に多くのことを語りかけてくれる。2010年2月には、バンクーバーで開催された冬季オリンピック行事で、"Swept Away"を歌う。現在3枚目のアルバムを準備中。

司会 茅野裕城子・佐藤アヤ子

ジャン・ポール・ジョウ「環境映画上映」

9月24日15:15〜17:45 小野梓記念講堂

朗読劇とスピーチ「なにかが首のまわりに」チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ

9月24日18:00〜19:10 大隈講堂 朗読=松たか子(俳優)、脚本=くぼたのぞみ、彫刻・CG=中村圭、四位雅文、作曲・チェレスタ・ピアノ=森ミドリ

●チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(Chimamanda Ngozi Adichie)
1977年、ナイジェリア南部のエヌグで生まれ。ナイジェリア大学で短期間、医学と薬学を学び、19歳で奨学金をえて渡米。ドレクセル大学、東コネティカット大学でコミュニケーション学と政治学を学ぶ傍ら、次々と作品を発表する。ストーリーテラーとしての天賦の才に恵まれ、抜群の知性としなやかな感性で紡ぎだされる物語は、繊細で心にしみると好評を博す。2005年コモンウェルス賞を受賞した初長編『パープル・ハイビスカス』につづき、ビアフラ戦争をテーマとした長編『半分のぼった黄色い太陽』では07年オレンジ賞を最年少で受賞。「ランドマークとなる小説」と絶賛の嵐をまきおこす。

●「なにかが首のまわりに」The Thing Around Your Neck(既訳邦題「アメリカにいる、きみ」)
 ナイジェリアから米国へ移り住んだ若い女性が感じる驚きと違和感と寂しさ。異文化同士の個人が理解し合うとはどういうことか。数々の文学賞を受賞し、いまもっとも注目される若手作家が〈アメリカの現実〉と〈アフリカの現在〉を繊細に捉えた意欲作。
 ナイジェリアの少女「きみ」は運良く米国のヴィザを手に入れて、メイン州に住むおじさんを訪ねる。カレッジへも通わせてもらったが、学友から「アメリカに来るまで車を見たことはある? 編んだ髪をほどくとまっすぐ立つの?」などと質問ぜめにされ、多くの無知と偏見に直面する。しかもおじさんのセクハラにあってその家を飛び出し、別の州のレストランでウェイトレスとして働くことになる。やがてお客の学生と恋が芽生えるが、彼が菜食主義で肉は食べないと言うとき、きみは故郷では小指の先ほどしか食べられない貴重な肉片を思う。彼が人工調味料には発ガン性があると言うとき、母親が香辛料は高すぎると、グルタミン酸ソーダ入りキューブを使っていたことを思う。でも彼のおかげで、故郷を離れて以来、夜になるときみの首に巻きついて眠りを妨げていたなにかが、だんだん消えていきそうな気がしてきて──アメリカに渡ったナイジェリアの少女のふかい悲しみを、切なく、細やかなタッチで描いた短篇。

注:本作品は、短篇集『アメリカにいる、きみ』(河出書房新社、2007年)所収の表題作だが改題・手直しされているため、今回は最新バージョンを改訳上演

朗読劇「牛」(作:莫言、参加未定)

 9月24日19:30〜21:10 大隈講堂 ◎朗読=神田松鯉(講談師)、踊り=田中 泯 脚本・演出=吉岡忍、人形・画=戸井紅子・有園絵夢・絵瑠、中国琵琶=シャオロン

莫言(Mo Yan)
1955年中華人民共和国生まれ。1976年、人民解放軍入隊後に文学を学び、1985年に『透明な赤蕪』で作家デビュー。中国農村を幻想的かつ力強く描く現代中国文学を代表する作家。『赤い高粱』『秋の水』『花束を抱く女』『蠅・前歯』 『酒国 特捜検事丁鈎児の冒険』『豊乳肥臀』『至福のとき』『白い犬とブランコ』『白檀の刑』『四十一炮』『転生夢現』など邦訳多数。『紅いコーリャン』『至福のとき』『故郷の香り』は映画化され国際的に大きな反響を得た。

●朗読劇「牛」
これ以上牛が増えたら、オレたちが食い詰めてしまう。窮状の村で、牛たちは次々に去勢された。14歳の少年と老人は炎天下、瀕死の仔牛を連れ、町までの辛い道をたどる。文革期中国の人々の疲弊と滑稽を描ききった異色作品。

文化大革命さなかの小さな村は、牛の飼葉にも困るほど貧しかった。しかし、牛は国家の大事な生産財、勝手に始末するわけにもいかない。これ以上牛が増えないために、3頭の牛を去勢することにした。
〈ぼく〉は14歳の腕白坊主。牛たちと遊んできたぼくは、旧時代に郷愁を抱く老人と2人、タマタマを抜かれた3頭の牛の面倒を見ることになる。傷口からばい菌が入らないようにと、牛たちを座り込ませず、眠らせもしない仕事は大変だった。村のエラいさんたちは料理したタマタマを肴に酔っ払っている。そのいい匂いが空きっ腹にこたえる。
元気だった若い牛がだんだんに弱ってくる。ぼくと老人はその牛を町まで連れていき、獣医に診てもらうことになった。強い陽射しの下、2人の人間と1頭の牛のつらい旅が始まった。結末は美しく、残酷で、人工的社会と自然の動物とが織りなす黒いユーモアをたたえている。