zames_makiのブログ

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サウンド・オブ・ミュージック(1964)アメリカ

原題:THE SOUND OF MUSIC 174分 アメリカ 日本初公開年月 1965/06/
リバイバル →FOX-75.9→FOX-2003.12.30
監督: ロバート・ワイズ 原作: ハワード・リンゼイラッセル・クローズ 脚本: アーネスト・レーマン 音楽: リチャード・ロジャースオスカー・ハマースタイン二世アーウィン・コスタル 出演:ジュリー・アンドリュース クリストファー・プラマー
【オールシネマonline解説】1938年のオーストリア、院長の命により厳格なトラップ家へ家庭教師としてやって来た修道女マリア。彼女の温かい人柄と音楽を用いた教育法で、七人の子供たちはマリアの事が好きになるが、父親であるトラップ大佐とマリアの衝突は絶え間なかった。だが、次第に大佐に惹かれている事に気づき悩むマリア。やがて大佐の再婚話が持ち上がり彼女は傷心のまま修道院に戻るのだが……。後半、ようやく互いの気持ちに気づき結婚したマリアと大佐が、戦火を逃れるため子供たちを連れて国外へ脱出するまでが描かれるが、この3時間近い尺を一瞬たりとも飽きさせない造りは驚異的。万人向けのミュージカル作品としては最高峰に位置するといっても過言ではないだろう

現地で不評の「サウンド・オブ・ミュージック

サウンド・オブ・ミュージック 「故郷」でようやく光(朝日新聞2010年7月22日)
http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY201007210577.html

 ナチスが台頭した1930年代のオーストリアが舞台の米ミュージカル映画サウンド・オブ・ミュージック」に、「故郷」でようやく光が当たりつつある。今春、モデルとなったトラップ一家の屋敷が正式なホテルとして再出発し、初のミュージカル上演も決まった。映画の公開から45年。金融危機の後遺症が残る地元は期待を寄せる。
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 モーツァルトが生まれ育った古都ザルツブルク中心部から車で15分。閑静な住宅地にひっそりとたたずむ黄色い館が、サウンド・オブ・ミュージックのモデル、トラップ一家が住んでいた邸宅だ。
 「トラップ一家と同じ、苦難の道のりだった」。この春まで、館を宿泊施設ビラ・トラップとして経営してきたクリストファー・ウンターコフラーさん(46)は振り返る。

 1863年築の館は、一家が1923年から15年間住んだ後、ナチスに没収され、親衛隊長ヒムラーらが居住。戦後は地元修道院に渡り、一般には長く公開されなかった。

 2008年夏、ウンターコフラーさん夫婦が修道院から借り受け、14部屋のホテルとして開業すると発表すると、世界中から予約が殺到。一家ゆかりの品々を展示する博物館やテーマパーク建設の構想も持ち上がった。

 ところが、観光客の増加による交通渋滞や騒音を恐れた近隣住民が反対運動を展開。08年12月、ザルツブルク市はホテルとしての営業は認めないことを決めた。仕方なく、5部屋を許可のいらない「貸部屋」にする形で営業を始めたが、米国や日本などから泊まりに来る熱心なファンが後を絶たず、利用者は年間3千人以上に達したという。

 転機は今年4月。地元政治家らの仲介で、博物館やテーマパークを断念することなどを条件に住民側との和解が成立し、ようやく正式なホテルとして市の許可が下りた。今後は1泊198ユーロ(約2万2千円)のダブルから430ユーロのスイートまで12部屋で営業し、2階のチャペルでは結婚式もできるようにする。

 トラップ氏の孫娘で米バーモント州に住む歌手エリザベス・フォン・トラップさん(56)も、お祝いに駆けつけた。「サウンド・オブ・ミュージックの素晴らしさが、オーストリアの人々にようやく分かってもらえた」と喜ぶ。

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 ザルツブルク市には年間600万を超す観光客が訪れるが、その大半を占める外国人客の目当てはモーツァルトサウンド・オブ・ミュージックだ。市内には、主人公マリアと子どもたちが「ドレミの歌」を歌ったミラベル庭園など映画の舞台があちこちにあり、ロケ地を巡るバスツアーが70年代から定番の観光コースになっている。

 だがその名作も実は地元ではなじみが薄く、多くが存在を知らない。映画の受けもいま一つで、1965年に封切られた際は、不人気で早々に上映が打ち切られたという。主人公らが歌う「エーデルワイス」などの曲やセリフの言い回し、民族衣装などが、地元の目には不自然に映り、受け入れられなかったようだ。

 「我々は革のズボンをはいて野山を走らないし、ヨーデルも歌わない。すべて米国が作り出した幻想だ」。トラップ邸近くで生まれ育った農家のルペット・ボルフさん(53)はそう話した。ホテル化計画に地元が冷たかった背景には、そんな意識も絡む。

 観光客との摩擦はほかにもあった。地元の声を受け、市側は映画でトラップ邸の正面玄関に使われた城へのバス乗り入れを制限。主人公たちが愛を誓うシーンで有名な城内の東屋(あずまや)も、「混雑の原因」として別の場所に移された。さすがにこの時は、世界中から抗議が殺到したという。

 地元の反発の根底には、第2次大戦で味わった苦い過去が影を落としている。「ナチスに踏みにじられ、他国の占領下に置かれた屈辱を、誇り高いオーストリアの人々は受け入れたくなかった」。そう語るのは、ウィーンにある「第三の男ミュージアム」のゲルハルト・シュトラスグシュワントナー館長(50)だ。敗戦後のウィーンが舞台の映画「第三の男」(英、49年公開)も地元では不評だった

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 しかし、一昨年の金融危機後、外国人観光客数が伸び悩んだことがきっかけで、改めて光が当たり始めた。

 ザルツブルク州立劇場は来年9月から、地元の劇場としては初めてミュージカルを上演する。オーストリアや南ドイツなどのこれまでサウンド・オブ・ミュージックになじみが薄かった人をターゲットに、英語の歌以外はセリフをすべてドイツ語にし、マリア役なども地元の役者を中心に公募するという。

 ミュージカルは、ウィーンなどで何度か上演されたが、映画と同様、地元の評判はいま一つだった。カール・マルデゲム監督(40)は「世界を魅了した素晴らしいステージを、見もしないで敬遠しているのはもったいない」と話す。

 トラップ邸のホテル化やミュージカルの試みに観光業界は期待を寄せている。地元に再評価されれば、新たな客層の掘り起こしにつながるからだ。市観光局の責任者クリスチャン・ピラーさんは「サウンド・オブ・ミュージックモーツァルトと並ぶザルツブルクの貴重な財産。利用しない手はありません」と話す。(ザルツブルク=玉川透)

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 〈サウンド・オブ・ミュージック〉実話を元に、ロバート・ワイズ監督、ジュリー・アンドリュース主演で1965年に映画化。「ドレミの歌」「エーデルワイス」などの名曲が加わり、アカデミー賞5部門に輝いた。ミュージカルも59年にブロードウェーで初演、トニー賞を獲得した。

 38年のオーストリアを舞台に見習い修道女マリアが反ナチス派の軍人、トラップ氏の一家の子どもたちの家庭教師となり、母親がいない家族にぬくもりをもたらす。やがてトラップ氏と心を通わせて結婚。家族で合唱団を結成、ナチスから逃れて亡命するまでを描く。一家は、映画のモデルになった7人の子供のうち2人が存命で、米国で暮らす