zames_makiのブログ

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小沢一郎事件での検察リークはなぜいけないのか?

 2010年暴走した東京地検小沢一郎への捜査で同時にメディアの問題が噴出した。メディアは検察の流すリーク情報をそのまま垂れ流した。しかし検察もメディアもそれをいけないもの、情報操作を招くものとは考えていないようだ。これは検察・メディア双方の言い分で判る、朝日新聞はメディア批判への反論を2010年1月22日掲載したが、その中で東京地検特捜部の話として「一般の人が思っているようなリークはない、顔色で可否を示すようなことはあるがそれはリークじゃない」と言っている。これに先立ち毎日新聞編集委員岸井成格はテレ朝「サンデープロジェクト」2010年1月10日の番組で「ネタをぶつけてそれへの検察官の顔色をうかがって書くのはリークじゃない」と取材の様子を説明した。
 この取材は明らかな検察情報のリークだ、検察側はその「うなづく」行為でメディアが情報の裏づけを取ったと解釈し新聞に書かれるのを了としている。一々言葉で述べなくても検察から情報が出ている点で本質的な差はない。メディアの側はあらかじめ取材ネタを仕入れそれを検察にぶつけると言うがそれはどこから出てくるのだろうか?逮捕拘留者の供述内容に関して出てくるネタは結局検察官によるリークであろう。要は下っ端の検察官がもらしたネタを上級検察官の顔色を伺うことで裏を取ったとメディアはしているのではないか?


 今までこうした取材が行われてきたし、検察・メディア双方がそれでよい・そういうものだと考えているのであろう。特にメディアの側は記事が書けるか否かの分かれ目であり、それを否定すれば取材方法を大きく変えなければならない。それ故彼らはリークをいけないものとしないのであろう。しかし以下の理由でこれらの検察リークが大問題であるのは明らかだ。

(1)故意の誤った情報による世論操作

 小沢一郎に関する捜査では秘書が逮捕されていた状態で、2009年3月25日小沢一郎の代表続投会見直後に「秘書も罪を認めている」との記事がNHKや読売新聞にでた。しかしこれは誤報であることが接見した弁護士の会見で明らかになった(幣ブログ参照)。同じように2010年1月20日読売新聞は逮捕された石川議員が収支報告書への虚偽記載について「小沢一郎から直接指示を受けていた」と伝えたが、これも誤報であることが即座に接見した弁護士からのFAXで明らかになった(以下に記事を掲載)。これがおきたのも3日後に小沢一郎の任意聴取を控えている大事な時期であり任意聴取後小沢側から発表があることが既に伝えられている。2つの事例の時期は、会見などによって小沢側から自らの正しさを国民に働きかける後や前であり、そこに小沢は確実に有罪だとの情報をぶつけた訳で、小沢の説明を打ち消したりあらかじめ追い詰めたりする効果があった。
 2つの報道とも逮捕された容疑者の検察への供述内容であり、明らかな検察リークだ。そしてその情報は検察の狙う小沢一郎の有罪を決定的に裏付けるものであり、小沢一郎の逮捕や起訴がなくても、国民世論が小沢は犯罪を犯したと判断する上で決定的な情報である。そして小沢一郎を攻撃する上で絶妙なタイミングで出てきている。もしこれらの情報が接見弁護士の会見で誤りであることが直ちに明らかにされず、何ヶ月もメディアをにぎわせたらどうなるであろうか?これが意図された世論操作なのは明らかだ

 私は陰謀論に組するものではないが、状況から検察が小沢一郎の反撃意志を挫こうとして意図的に誤った情報を流し、裏づけのないないその情報によって、小沢批判の世論を喚起しようとしたとしか解釈しようがない。今小沢一郎を捜査している検察(の誰か)は国家公務員の秘守義務違反で有罪であろう。

 同様にメディアも有罪だ。逮捕拘留された人の供述内容を裏づけも取らず流したからだ。前日3月24日の報道では、NHKはその日の7時のニュースでは扱わず翌日深夜から早朝に流した、しかし翌日以降には流さなくなった。状況からみてNHKは2009年3月24日の夜、検察幹部からリーク情報を得てすぐに流したとしか思えない。メディアはこの情報の重大さや、それが検察の意図的リークとしか思えないという経緯ちゃんと解釈し、例え彼らにとって涎の流れそうなおいしい情報であっても裏づけがとれるまで流すべきではない。民主主義を正しく機能させる上で正しい情報は重要だ、この点でメディアの罪は重い

(2)大量のリーク情報による世論形成

 2010年1月の小沢一郎への捜査では連日大量のリーク情報が流れている。連日少しずつ「こういう怪しい事をしていた」との情報が流されている。継続的に関連情報が流れる事で、ある時期報道の中での小沢一郎関連報道の占有率を高め、小沢一郎の犯罪行為(の疑い)をテーマ化させメディアに扱わせる大きな効果がある。石川議員が逮捕された場合でももしその時一度しか少ない情報が流れず、その後も続報がなければメディアも記事を書けず、小沢一郎の犯罪(の疑い)というものはテーマ化しにくいだろう。こうした継続的で大量のリーク情報の結果、メディアの小沢一郎=悪人の姿勢を定着させ、国民の側が小沢一郎が犯罪行為をしていたとの認識が形成されるのを確かにする効果がある。


 こうした検察のリークは今までも行われていたと思われる。今回異常なのはそれが大量かつ継続的に行われていることで、それによって「はっきりと」国民に小沢一郎=悪人を植えつける効果があった。検察は従来リークを嫌い、検察の情報を流した記者を出入り禁止にしたと言う、しかし今回ではこれだけの大量のリークがありながら未だ出入り禁止は1社もないという(2010年1月18日のシンポジウムでの大谷昭宏の発言)。こうした状態を考えると検察からの大量のリークは過失ではなく、情報戦で小沢一郎に勝利するためと考えざるを得ない。すなわち容疑の重軽や裁判の結果に関わらず、検察の捜査段階で小沢は悪人で政治の場から退陣すべきとの世論を形成し、起訴や判決を待たずに小沢を葬り去る機能が期待できることだ。


 逆に言えばこうした政治的効果があるからこそリークはしてはならないとされてきたのであり、今リークがあっても検察官もメディアも処罰・処置されない事の方が異常なのではないだろうか。

(3)情報が出所不明であるが故の見えない情報操作

 原口総務大臣は2010年1月19日クロスメディア規制に関する記者会見で、刑事件ではメディアは少なくとも情報の出所を「検察側関係者」「小沢側関係者」と明示するべきだとの考えを示した。これは取材源の秘密を保ちながら情報の信頼性を高めるこれはすばらしい意見だと思う。

 現在検察からのリーク情報であってもメディアはそれを「検察からの情報では」と書かず、まるで確認された事実のように書く。一方小沢一郎側が事情について説明をすれば「と主張した」と書き、まるでその説明は最初から疑うべきものとして扱う。日本では刑事事件ではメディアは最初から被疑者を嘘をつく者として扱っている。こうしたメディアの偏りは情報の出所が明示されていれば読者の側で検討・修正の可能性があるが、今の小沢一郎の事件ではその修正の機会はない。情報源のほとんどは関係者であり、メディアはそれが全て確認された事実のように扱う。
 こうしたメディアの扱い(情報の出所を明らかにしないこと)で、メディアは検察の流すリーク情報は事実で、小沢一郎側の説明は虚偽であるとの扱いがされても、更に読者である我々にはわからない。原口総務大臣が言うように、もし検察リークがあってもその出所が明らかであればこうした言葉の修飾の点でのメディアの偏りは正される機会があろう。

 こうした最初から被疑者を有罪確定とした扱いは、小沢一郎にに限らず従来も行われてきたように思う。そのあり方が今メディアに対し問われているのだろう。