zames_makiのブログ

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長崎の歌は忘れじ(1952)

製作:大映(東京撮影所) 公開:1952.03.27 
監督:田坂具隆 原作:田坂具隆 脚色:沢村勉 音楽:早坂文雄(使用曲の作曲)
=原爆の被害はたいしたことはない、日本人はアメリカを許すべきだと訴えるアメリカ視点による宣伝教育映画。日本兵捕虜の残した歌をアメリカ人が日本の遺族に渡すエピソードを通じて日本人がアメリカを許す事を訴える。原爆で実際に怪我をした田坂が監督をしており、田坂は自身の体験とまったく違う映画を制作した。占領がほぼ終了したこの時点では日本の映画人は完全にアメリカに教育され支配されていた事を示すものだろう。NFCの解説では監督が自身で発案した和解の物語だというが、「真珠湾での事など」?台詞などから制作の背後関係にアメリカの強い意向を推測すべきだろう。
 和解を促す道具だてに音楽(琴、ピアノ曲、グレイの歌)、花、陶芸、浮世絵など芸術作品が筋立てではなく映像として使用されているのは監督の発案と推測される。和解の筋立ては音楽のみだが糾弾も謝罪も存在せずきれいな芸術作品を日米で共に鑑賞すれば和解できるという構成なっており、事実に即した説得力はなく当時の批評は冷たかったし、今見ても意味不明である。
 一方原爆の暗示は、温泉場の沸騰する湯、停電の闇と光、小学生の作文のみであり、イメージのみであり観客はまったく理解できないだろう。映画中に長崎浦上天主堂の廃墟(現在は存在しない)などが写りこんでいるが単に場所を利用しただけで悲惨さを訴えるために使用されたものではない。映画中まさに被爆したとの設定の神父や被爆で盲目になったという設定の主人公もまったく原爆の惨状を訴える台詞はない。日本の映画が原爆の悲惨な被害を描写し強く核廃絶を訴えるのはビキニ事件がおきて以降になる。

出演:
アーリントン・ロールマン (ヘンリー・グレイ):来日する米人、音楽家かつ日本陶芸のバイヤー。戦時中はハワイ?の捕虜収容所にいた。軍人で死んだ日本兵捕虜(奥村)から楽譜を預かる。長崎の天主堂の廃墟などを訪問するが罪の意識はない。日本人からの和解を受ける受け手としての存在。ロールマンはジャズ演奏家であり彼に軍人らしさなど戦争の影はまったくみられない。
山内明(佐伯道信):ハワイ?で死んだ捕虜の日本兵、グレイに楽譜を残す。奥村と呼ばれる。

京マチ子(佐伯綾子):死んだ日本兵の妻。原爆で盲目になり以前からの習いの琴をひく、盲目になった以外は原爆の傷はない。親戚の家におり綺麗な服を着て生活は苦しくなく一般的な被爆者のイメージとは程遠い。最初はグレイを拒否し面会しないがドラマ進行により許すようになりラストの奥村の曲の演奏で共に演奏を行い和解を印象付ける、しかし和解の過程はあいまいだ。日比谷公会堂で道信とグレイの合作「心の真珠」の発表会が催される日には舞台で琴を弾く。
東山千栄子(奥村のぶ):死んだ日本兵の母、奥村は技術者であり曲を残しはしない、違う人と言い戦死を認めない、後に戦死を認めるがその死に立ち会った米人へ様子を尋ねる事もなく非難の様子はまったくなく曖昧な存在だ。

久我美子(牧原桃子):死んだ日本兵の義理の妹。ホテルでバイトしてグレイに案内役に雇われる。「今度の戦争ではアメリカの方もたくさんなくなっているし真珠湾もあるでしょう、グレイさんには関係ない事」と言いアメリカの代弁を行う。やがてグレイに心を寄せる、グレイの演奏するピアノ曲を聴いて完全に懐柔される役。
滝沢修(牧原宗雲):陶芸家、陶芸をグレイにほめられて大喜びする、懐柔される伝統的日本人の象徴。
フランシス・デニ(ブリデエヌ神父):浦上天主堂の神父、原爆投下の瞬間、聖書を落としてかがんでいて助かる、しかしその瞬間の惨状はまったく述べない。原爆の体験は神の恵みだとする。

杉丘毬子(鹿島春江):長崎の焼け跡でとても続きそうもない花屋を営む善人、周囲の荒廃した様子と花屋内部の温かみが対比される。原爆の傷跡も信仰心や優しい善人の心で癒されるというメッセージの象徴と思われる。
根上淳(野上裕之):春江の恋人、小学校の先生、おなじく善人。
鶴見城二(孤児省吾)竹下叡(孤児良平)江森茂(孤児隆)齋藤?朗(孤児浩一)山中政和(孤児五郎):クレジットでは焼け跡に住む孤児、しかし服装はまともで食料も要求せずまったく孤児に見えない。
→調布図書館にシナリオあり


…(NFCの紹介文)長崎生まれの米人が、ハワイの捕虜収容所で病死した日本兵の未完の楽譜を届けに再訪。被爆で盲目の未亡人との葛藤の末、彼が完成させた楽曲が彼女の頑なな心を開くという物語は、自ら被爆者である田坂の構想で、楽曲「心の真珠」は早坂文雄の作曲。
…(キネマ旬報の紹介:物語は正確ではない)ヘンリイ・グレイは、ハワイの日本人捕虜収容所で死んだ一日本兵から未完の楽譜を託され、その完成を約束した。彼は戦後バイヤーとして日本兵の故郷長崎をたずねその遺族をたずねるが判らなかった。ホテルに勤務している牧原桃子は、ある日グレイの弾く未完の曲からそれが桃子の姉綾子の夫佐伯道信の作曲であることを知った。綾子は原爆のため盲目となったが、夫の帰還を信じて生きている女性だった。グレイは綾子に逢おうとしたが、彼女はかつての敵国人に会おうとしなかった。桃子もまた、綾子に義兄の死を知らせることをさしひかえたが、ある日神父の口から伝えられた。綾子はそれ以来生きる希望を失って、ついに粉雪の降る日家をさまよい出て死を決するが、その時教会堂から夫の曲が流れ出して来た。会堂の内ではグレイが完成した道信の曲を奏しているのだった。グレイの好意を知り、完成された曲の中に亡夫の生きていることを悟った綾子は強く生きる女性になった。