zames_makiのブログ

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早坂暁の戦争談(毎日新聞)

今、平和を語る:作家・脚本家、早坂暁さん(毎日新聞 2009年7月27日 大阪版)

◆「絶滅爆弾」は未来を殺す−−早坂暁さん(79)
 原爆が落とされた直後の広島を見た早坂暁さん(79)は「夢千代日記」で胎内被爆をテーマにし、「夏少女」では被爆2世の母親が3世の息子を案じる苦悩を映画にした。64年目の原爆の日を前に、「絶滅兵器としての原爆」を早坂さんに語ってもらった。<聞き手・広岩近広>

◇広島で見た何万もの燐光伝える
Q:山口県防府市にあった海軍兵学校の分校で終戦を迎えたそうですね。
早坂:愛媛県の松山中学で軍国教育を受けていたので、どうせ行くなら海軍だと志願したものです。15歳でした。ところが入校してまもなく、おまえたちの乗る軍艦はないと言われたのです。戦艦大和に乗りたくて海軍兵学校に入ったのに、不沈戦艦と信じていた大和が沈んだと聞き、ぼうぜんとしました。追い打ちをかけるように赤痢が流行して、僕ら2000人ほどが病院に収容されました。

 病院で終戦を知ったとき、そろって「うわぁ〜」と歓声をあげました。婦長さんから「国が破れたというのに、なぜ喜ぶのですか」と叱(しか)られましたが、そこは15歳の子どもです。これで生きて帰れる、家族のいる故郷に早く帰りたいとなります。殺し合いごっこなどしたくなかったのが正直な気持ちでしょうね。


Q:8月15日の記憶は鮮烈ですね。
早坂:その夜、兵舎に電気が一斉にともったときはうれしかった。本当に戦争が終わったんだと実感できました。そして帝国の消滅を実感したのは、下士官軍刀を抜き大声をあげて上級の将校を追いかけ回すのを見たときです。軍隊は秩序を失い、海軍は解体された。天皇につながる強烈なシステムは、あれはイリュージョンだよと教えてくれた瞬間でした。


Q:郷里の松山に帰る途中、列車待ちのため広島駅に1泊して、原爆直後の惨事に遭遇されました。
早坂:東日本から来ていた仲間と家畜のように貨物列車に投げ込まれ、8月22日に山口を出ました。実は、広島に原子爆弾が落とされた翌日、物理学の教官から「広島は原子爆弾1発で消滅した」と聞かされていました。巨大なエネルギーを出す原爆の仕組みを説明したあとで、教官は「絶滅爆弾」と強調したのです。しかし、あのような大きな町が1発の爆弾で消滅するといったイメージはつかめません。ですから広島が近づくにつれ、みんな身を乗り出すようにして小さな窓外を見つめていたのです。

 最初に気づいたのは、ものすごい異臭でした。吐く者もいたほどです。広島の死臭だと気づきました。広島駅に着いたのは夜でした。裸のプラットホームが3本残っているだけで、駅舎も吹っ飛んでいました。

 雨の中で目を凝らすと、青白い燐(りん)がボッボッ、ボッボッと燃えているのです。まだ収容できていない死体から出ている燐光、俗に言う火の玉だとわかりました。腰が落ちるほどびっくりしました。何千、何万もの死体から燐光が燃えているのですからね。みんな黙って見ているけれど、みんな膝(ひざ)が震えていた。地球が消滅するときの光景ではないかと思いましたね。


Q:夜が明けたときは。
早坂:見渡すかぎり何もないので、再び腰が抜けるほど驚きました。本当に広島は消滅したんだと思い知らされました。死体を掘り起こし、井げたに積み上げては、重油をかけて焼いている様を見て、完膚なきまでに負けたと痛感しました。と同時に、こういう兵器が出てきた以上、次の戦争は絶滅戦になると考えざるを得なかった。原爆によって十数万人が即死しましたが、約1万人は少年や少女だった。未来を殺すから絶滅兵器なのです。これを最後に、人類を絶滅させる戦争をしてはならないと思ったものです。

 物書きになってまず考えたのは、あの原爆のむごたらしさと戦争をしてはいけない爆弾ができてしまったことを、どうやって伝えるかでした。核兵器を使う戦争は絶滅戦争になるのだから、造ったけれど使ってはならない−−このことは原爆の惨事を見た人間が伝えなければならない、そういう使命をもらったのだと言い聞かせてやってきました。1000本くらいドラマやドキュメンタリーをつくっていますが、大半は戦争ないし戦争の傷跡を描いてきました。


Q:男女2人の被爆者に、当時の絵日記を描いてもらい2冊の絵本「ヒロシマ原爆の絵日記」(勉誠出版)を監修して出版されました。
早坂:当時、少年少女だった被爆者に、子どもの目で見た原爆の怖さを描いてもらいました。79歳になる女性からは、あの日を思い出すといたたまれない、それに多くの霊が現れて何で描くのと言われるのだとも聞きました。でも泣きながら、もだえながら描いてくれました。この絵日記で訴えたいのは、核兵器を使うと子どもたちをこのような目に遭わせる、だから核兵器は未来をつぶす絶滅爆弾だという警告です。

 英文入りの本なので、オバマ大統領にも送りました。夫人のミシェルさんにはぜひ読んでほしい。あなたたちの子どもがこういう目に遭うのですよ、そのことを絵本で見てくださいと書き添えました。子どもを産み、家庭をつくる女性は、核兵器は自分の子どもや家庭を破壊するのだと直感的にわかるはずです。


Q:最後に次の構想を。
早坂:春子の映画をつくりたい。


Q:春子さんは、早坂さんが5歳のときに、遍路道沿いにあった実家の前に捨てられていたのですね。
早坂:3歳違いの妹として一緒に育ちました。海軍兵学校に行ったあと、母親は僕の相手にと考えて、春子に生い立ちを正直に話したそうです。春子はすごくうれしそうな顔をして、僕に会いに行き、自分の口から話したいと防府を目指して出発したのです。なんとそれが8月4日です。

 8月5日に広島に泊まり、翌朝の臨時列車に乗るつもりだったとまでは推測できましても、どこで死んだのか、遺体はもちろん一片の骨も見つかっていません。ただ3000枚からなる素人の描いた原爆の絵のなかに、真っ黒に焼け焦げた男か女かわからない死体を見て、「春子の被爆死」を僕なりに理解できました。春子のドラマを通して、原爆はこうして人間を殺すのだと伝えたい。日本人でないと作れない唯一の映画ではないですか。(専門編集委員