zames_makiのブログ

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香港攻略 英国崩るゝの日(1942)

製作:大映(東京第一撮影所)  公開:1942.11.19 紅系 101分 白黒
監督:田中重雄 →戦後まったく語らず
脚本:陶山鉄 高岩肇
撮影:青島順一郎 →助手:岡崎宏三→談(2001年)
出演:宇佐美淳 黒田記代 若原雅夫 伊沢一郎 永田靖 紫羅蓮(香港映画人)
製作=和久田幸助、香港総領事館嘱託、広東語ができたため日本軍の香港映画政策の責任者になる。
→私の中国人ノート / 和久田幸助. 新潮社, 1972
→日本占領下香港で何をしたか / 和久田幸助. 岩波ブックレット, 1991

=香港映画工作で生まれた最大の作品。香港は上海や満洲、南洋各地に対して日本軍から低くみられており、「狼火は上海に揚る」のような力作は作られていない。
=日本軍の「一戦一本」方針により製作された戦争映画。
英米連合軍に勝つたびにその戦役を映画化し、それによって日本軍民の士気を鼓舞し、「東亜人」の反英米の心に訴えるということ。

真珠湾攻撃→ハワイマレー沖海戦(1942)東宝
シンガポール戦→シンガポール総攻撃(1942)大映・日活組?▲
マレー半島攻略→マライの虎(1942)大映・大都組?◆
・香港攻略→香港攻略 英国崩るゝの日(1942)大映・新興組▲

=占領期香港に関する唯一の日本側の大作。大東亜戦争1周年記念日(1942.12.8)に香港で公開。
大映は日活・新興・大都の3社が集まった会社で、3社が戦役を分担して映画化する事になった。新興は香港攻略を映画化することになった。(岡崎宏三談)陸軍後援、南支派遣軍・香港総督部協力、香港島、九龍他でロケ、一部は箱根でロケ。映画中の英軍は日本人のほか、フィリピン在住のインド人により演じられた、インド兵はフィリピン人により演じられた。香港側からは女優紫羅蓮が出演、紅蓮という中国娘を演じた。日本側は紫羅蓮を3人目の「東亜親善大使」にしたてようとしたが、紫羅蓮は帰国後すぐに自由区(中国の非占領地域)逃亡した。香港映画人はこの映画に協力を求められたので、映画製作後自由区に次々に逃亡した。
 当時の評価は「貴重な様々な戦争場面があるにもかかわらず、少々乱雑な印象をうける。技術の不足が感じられるのは惜しい」(飯島正、戦中映画史私記、1984、エムジー、p121)香港映画人の捜索に関わらずフィルム自体は現在発見されていない。
(香港・日本映画交流史:アジア映画ネットワークのルーツを探る 邱淑 東京大学出版会 2007、p41)