zames_makiのブログ

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イスラエル人はなぜパレスチナ人を殺し続けるのか(在住者の日記を読む)

http://www.geocities.jp/mikayamamori/fundamental.html
ここでとりあげる日記の作者はイスラエル在住で旧約聖書学の山森みか氏(48才)。夫がイスラエル人で1995年からイスラエルに住んでおり、パレスチナ問題への意識はイスラエルでは左派、平和的と見受けられる。彼女はその生活感覚をそのまま記している。
 しかしそこから見えてくるのは、当事者としてパレスチナ問題を深刻に真面目に理解し検討しようとする意欲ではなく、単に自分たちだけの利益(この場合は安全)を守りたいという配慮を欠いた浅い考えでしかなく、イスラエルでは左派といえどもこんな考えでしかないのか落胆させられる。こうした認識を読むと、民主主義原理から本来的には平和を指向するメカニズムの働くと期待される筈なのに、なぜイスラエルからは平和的な解決案がでてこないのか理解できる。ただ理解した結果は暗い気持ちにならざるを得ない。

アラファトをパートナーとした具体的な和平プロセスが進展すればするほど安全は遠ざかったという生活実感に加え、「譲歩や自制は暴力の停止につながらない」ことを多くの穏健な人々が確信してしまったことこそが、現在イスラエルを覆っている「出口のない無力感」の内実だということ


二〇〇一年の選挙でリクードアリエル・シャロンが首相に選ばれたのは(略)占領地に固執する「原理主義的」大イスラエル主義に鞍替えしたからではなく、「安全は領土の返還と引き換えに得られる」というそれまでの和平に対する確信が無力となったから


イスラエルユダヤ人がこのようなプロセスを経験してきたという事実を考慮せずに、民族国家の枠組に十分守られた立場にある外部の人々が、旧来の「国連決議の尊重」や「和平尊重、武力行使の自制」といった用語のみでイスラエルユダヤ人に働きかけようとしても殆ど説得力がなく、従って議論は平行線を辿るだけ

上記を読むとイスラエル人(非アラブ人)はやはりパレスチナ問題を理解していないように思われる。なぜパレスチナ人が抵抗をやめないのか?カッサムのロケット弾が落ちてくるというのはどういう事なのか?そこにあるのは、ただ自分の身を守りたいという自分の都合しか考えていない。そこにはこれまで60年間イスラエルがやってきた事、今占領地でやっている事が理解できていない。


・・・イスラエル人はパレスチナ問題を理解していない、だからイスラエル人にはこの問題の解決の方向性が見出せないのだろう。

村上春樹は地雷を踏んだ?

3月12日(木)日記
http://www.geocities.jp/mikayamamori/dbn/d0309.html

大学院のクラスに行くと、文藝春秋4月号に載ったという村上春樹の記事の件で学生たちが話している。(略)村上も難しい立場に立たされて、発言の細部をあちこちで分析され、ちょっと気の毒かも。というのは、経緯を見てみると、エルサレム賞を授与したいがいかがなものか、と打診したのはイスラエルのブックフェア側であって、村上春樹本人がイスラエル、あるいはイスラエルパレスチナ問題について何か積極的に自分の意見を表明したいと思っていたわけではないようだから。


この問題は、何をどう言っても、必ずどこかから何らかの批判をされるという、火中の栗というか、必ず踏む地雷というか、触れたが最後、ケガをするのは必定。(略)とてつもなく難しい問題であることを踏まえた上で何か生産的かつ現実的なことを言うのは、本当にシンドイことである。ノーベル賞候補でもあることだし。もう私たちここの住民の感覚としては、あらゆることが語られ尽くし、建設的、生産的な方向にはどうすれば行けるのか、途方に暮れているのが現状。

馬鹿を言ってはいけない村上春樹を含めイスラエルユダヤ人国民が事態を理解せず、何が本当の問題かを理解していないから、本当の建設的解決案を述べられないだけだ。あるいは国外からの本当の建設的解決案を理解できず目先の利益だけで貶すから、議論を泥沼に感じるだけだろう。要はユダヤ人が求める自分勝手な解決は不可能だ、という事だ。


3月2日(月)日記

日本でこのスピーチがテレビのニュースで報道されているのを見て、本当にびっくりした。村上春樹エルサレムイスラエル政府を批判、というタイトルで、「思いもかけない言葉が飛び出しました」とのナレーションで、いかにもホストのイスラエル人たちの期待を裏切り、イスラエルを壁に、ハマスを卵に例えて村上春樹が辛辣なイスラエル批判、という紹介のされ方。(略)あたかもイスラエルが正しいということになってしまい、そういう明らかに論理の破綻した解釈(を放送してはいけない)

イスラエルユダヤ人は村上春樹イスラエルを批判したとは思っていない。そのため日本のメディアの「村上春樹イスラエルを批判」という論調を捻じ曲げて理解しようとする。それで混乱しているようだ。

イスラエルの左派にとって必要な解決の糸口とは?

1月21日(水)日記
http://www.geocities.jp/mikayamamori/dbn/d0109.html
2009年のガザ虐殺に関してのイスラエル人の見方が現れている部分、ここで書かれているのは元は左派で和平支持だったが、今回の選挙では右派に転じた人の感覚だろう。山森みか氏は再びそうした人を説得し、和平を支持させる説得が必要と書く。ただその人たちの認識が(1)パレスチナ人は和平を望んでいない(2)なぜパレスチナ人が抵抗し続けるかまったく理解していない(3)国際社会の圧力を無視している(4)アメリカの立場を理解していない。などの幾つかの決定的な無知・無理解の上にたっているので、これを説得するのは、たしかに困難だろう。

停戦になるや否や、あっという間に戦争は過去のことになった感あり。問題は根本的には何も解決されていないのだが、


とりあえず欧米の関心をハマスの武器輸入問題に向けさせ、アメリカの関与を引き出し、ハマスが破壊されたものの再建に追われているうちは砲弾も止まる、というごく短期的な「そこそこOKな結果」があったのだから、ま、こんなものか、という苦い肯定感でもって目先の生活に戻る、という感じか。


南部の住民たちは、「久しぶりにこんな静かな平常の朝だ、怖いくらい静かだ」と心から喜んでいるようだが。2000年以来、イスラエル人は何を失ってしまったのか、ということをつくづく考える。


パレスチナ人の苦しみに関しては、もはやイスラエルの責任ではない、と多くの人々によって考えられるようになってしまった。かつては確かに、ある種の自責と共に、限定付きではあるがそれなりのシンパシーがあったのに。


数年前はイスラエル国内のアラブ人と一緒に運動していたイスラエル人の多くが、彼らから回ってくる反戦署名を躊躇するようになった。今なおそのような活動に署名するのは、よほどの「変わり者」(略)。 でなければ、どこか別のところに住んでいて、自分が数年間に亘ってイスラエル南部の住民の苦しみを見捨てていた、という感覚を共有せずにすんでいる人。


そしてレバノン撤退、ガザの入植地からの撤退が引き起こしたイスラエル国内における安全性の低下が実感された今では、西岸入植地からの撤退なんてとんでもない、という雰囲気である。


和平交渉と一方的撤退は、事態を悪くしただけだった、という動かしがたい感覚。 撤退後のイスラエル国内の安全を国際社会のだれも保障しないのだから、撤退後何が起きてもすべてイスラエルが解決しなくてはならなくなるのである。


こちらがいくら共存を望んでみたところで、まったく違う土俵で思考している人たちが隣にいるということに対する絶望。


今必要なのは、糾弾調のイスラエル批判や、旧態依然としたイスラエル人の兵役拒否運動支援ではなく、和平支持から苦いアパシーに態度を変化させてしまった良心的イスラエル人に再び希望を抱かせるような説得的言説、あるいは事態の転換であろう

こういうイスラエル人の感覚を知ると、やはり彼らにはパレスチナ人との対話が必要に思う。双方で何が起きていて何を要求しているかを理解することからはじめないと、双方で和平を推進する目的が一致しない、だから合意しない。イスラエル人には協議者双方で問題を共に解決するという視点がない。だから自分の要求だけをつきつけ、断られると、まったく正面からパレスチナ側を非難するのだろう。交渉とは双方が共に妥協して成り立つはずなのに、上記から推測するに、パレスチナの国土の分割と主権の譲り渡し、というとりあえずの最大の問題点でイスラエル人がその部分では妥協する用意がまったくないと思える。


・・・これではダメだ。こんな認識ではまともな交渉はできない。パレスチナ人がそう言う心境が理解できる。