日本の平和運動
(戦後の反戦思想)
戦後の日本の平和運動は2つの柱からなる。それは護憲と反核の平和運動である。
これらの平和反戦運動を支えた平和思想が社会主義のイデオロギー的非戦論と戦争体験による贖罪的厭戦論である。
イデオロギー的非戦論に依拠する護憲運動や反核運動は、冷戦に巻き込まれ純粋な平和運動というより反米親ソの政治運動の色合いが濃くなった。そのためこれらの平和運動は社会主義・共産主義実現のための革命運動の一翼を担うこととなり、政治的に平和勢力を担った社会党・共産党は、親米政策の自民党と、護憲と反核をめぐって激しく対立することとなる。
この時期、社会主義は平和勢力、資本主義は戦争勢力という風潮が大学・マスコミに流れた。平和運動が政治化した。
平和勢力内部においても、イデオロギー的に分裂した。社会党の原水禁(原水爆禁止日本国民会議)と共産党の原水協(原水爆禁止日本協議会)である。分裂の原因は1962年10月、共産党がソ連の核実験は平和のための核実験と主張したからだ。このため平和運動から離反する人がでた。
戦争体験による贖罪的厭戦論は、個人の体験や心情に基づくものであり、一般市民の間にも広がった。広島の原爆慰霊碑の碑文「過ちは繰り返しません」は一般に日本人の贖罪意識をよく語っている。小説「黒い雨」、漫画「はだしのゲン」など映画、アニメを通じて、また広島・長崎の平和式典のテレビ放送、修学旅行での被爆地への訪問が、こうした日本人の反核意識を広めている。
贖罪的厭戦論は、反核運動以外の戦争全般にも向けられている。贖罪意識は中国、朝鮮、アジア諸国にむけられ、1970年代以降、南京大虐殺や従軍慰安婦などの事件を通して語られることが多い。小説「火垂るの墓」のアニメなどが厭戦意識を広めている。
(冷戦後の反戦思想)
冷戦終了で共産主義がイデオロギーとしての力を失い、イデオロギー的非戦論は力を失い、それによる運動も下火になった。一方、戦争体験による贖罪的厭戦論は、南京大虐殺や従軍慰安婦問題が継続して議論される結果となり、人々の関心を集めた。結果として戦争体験による贖罪的厭戦論が主流となった。これ以外の、キリスト教思想による平和思想は、根強く続いている。
米ソによる核戦争の危機が遠ざかると、反核運動は下火になった。代わって、1991年の湾岸戦争を機会に自衛隊の海外派遣の問題に関係し、憲法9条改定問題が運動の中で焦点となっている。
(「入門・リアリズム平和学」加藤朗 勁草書房 2009)