zames_makiのブログ

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パラダイス・ナウ(2005)PARADISE NOW

90分 フランス/ドイツ/オランダ/パレスチナ
初公開年月 2007/03/10 (アップリンク)
監督:ハニ・アブ・アサド 脚本:ハニ・アブ・アサド、ベロ・ベイアー
出演:カイス・ネシフ(サイード、自爆者迷う者、主人公)父は密告者、自動車修理工
、アリ・スリマン(ハーレド 、自爆者、最初は迷わず、そして考え直す)、自動車修理工
、ルブナ・アザバル(スーハ)抵抗の英雄の娘、フランス生まれの上流階級、平和運動者、考え直して!
、アメル・レヘル(ジャマール)抵抗運動推進者、サイードたちの友人・先生、ヒアム・アッバス(サイードの母)静かな母、アシュラフ・バルフム(アブ・カレム)抵抗運動指導者
http://www.uplink.co.jp/paradisenow/review.php

...解決の糸口の見えないパレスチナ問題を、自爆攻撃に向かう2人の若者の視点から問い直す問題作。これまで決して語られることのなかった自爆攻撃者の複雑な内面に迫りつつ、それを肯定することなく、彼らが生み出されていく複雑な背景をありのままに描き出していく。各国で賛否を巡って活発な議論を呼び起こしたほか、パレスチナ映画としては初めてアカデミー外国語映画賞にノミネートされた際にはイスラエルの人々による大々的な反対運動が起るなど様々な物議を醸した。監督はパレスチナ人のハニ・アブ・アサド。また、共同プロデューサーの中にはイスラエル人プロデューサーも名を連ねている。
 イスラエル占領地のヨルダン川西岸地区の町ナブルス。幼なじみサイードとハーレドは、この地区の他の若者同様、希望のない日々を送っていた。そんなある日、サイードはヨーロッパで教育を受けた女性スーハと出会い互いに惹かれ合う。しかしその矢先、彼とハーレドは、自爆志願者をつのるパレスチナ人組織の交渉代表者ジャマルからテルアビブでの自爆攻撃の実行者に指名されるのだった。
http://wip.warnerbros.com/paradisenow/ (英語)
http://www.uplink.co.jp/paradisenow/(日本語)
自爆テロによる抵抗をよしとする主人公と、平和活動による対話を進める女性の対立。自爆テロが予定を外れたため迷う。パレスチナ人の心情ではなく抵抗の方法が良いのか悪いのかの焦点。イスラエル人は主体者には描かれずパレスチナ側からのもの。両者の対立は言葉による応酬で知識がないと是非は判断できない。物語りは問いを投げかけるものであり結論はない。非常に第3者的だ。

映画評(パラダイス・ナウHPより)

NEW YORK TIMES

「監督と自爆犯の知人との会話やイスラエル陸軍による尋問調書を通して、何故自爆テロをしようとするのかという疑問を、気後れなく巧みに芸術的再現された映画である。自爆テロへと導くのは、気を張り詰め、敵を討とうとする思いからではなく、悲惨にも、激烈な行動をとるようにと誤って導かれた、自己破壊的な衝動である」

監督談:

Q:パレスチナ人の反応は如何でしたか?
A:非常に苦しい立場にいる人は、この映画が彼らの苦しみを声高に叫びきらなかったということに対して、不満があった
Q:イスラエル人の反応は?
A:テルアビブ、エルサレム、ハイファの映画館で公開されました。小さい映画会社により、小さな規模での上映でした。映画館に行くことを躊躇うイスラエル人は、闇市場で売られる海賊版DVDでこっそり観ているそうです。
 映画を観たイスラエル人の反応は自分自身に怒りを覚えたようです。中には混乱した人もいたようで、「自爆攻撃をする主人公に共感してしまった」ということに対し、自分を恥じ入ったり、攻める人もいました
Q:アカデミー賞ノミネート時の反対運動について?
A:彼らは実際に映画を観ていないのです。彼らはパレスチナ人が世界の権威ある賞にノミネートされるなんて許せなかったのでしょう。この映画を通して、世界の人々がよりよく知り、議論するきっかけになれば良いと思っています。

イスラエル人の受け取り方:Shall We Not Revenge?ウリ・アブネリ/Uri Avnery(ナブルス通信2006.2.15号 http://www.onweb.to/palestine/siryo/pradise-munich06feb.html
=この映画は中立ではなくパレスチナ側だ、しかしそれはイスラエル人が知らなかった事実をどうやら示している。自爆テロはどうやら軍隊では止められそうもない。
パレスチン人のテロを止めさせるには軍による占領や包囲ではなく、別の処分が必要かもしれない
→しかし同時にパレスチナ人が抵抗をけして止めない事も映画はよく判らせてくれる。それは今までイスラエル人が知らなかった事だ、イスラエルが今していることは正しいのか?

上映が終わったあと、私は、テルアビブのシネマテークから出ていく人たちの表情を観察した。誰もが無言で、考え込んでいる面持ちだった。この人たちは、たった今、生まれて初めて、自分たちを殺しているテロリストを、子ども・男性・女性が大勢いる真ん中でみずからを吹きとばす自爆テロリストの姿を見たのだ。ごく普通の人間として振る舞い行動する、ごく普通の若者たちを、彼らは見た。占領というものを、別の側から、占領されている側の視点から、見た。

私たちは、この映画で「犠牲者」と目されている側にいる。私たちの誰もがいつでも、あのバスに乗客になりうるのだ。そして、そんな私たちが、最初から最後まで、私たちを殺す側の人間の目を通してすべてを見てしまった。

私たちの誰もがこう思ったはずだ。ここでは軍は何の助けにもならない。たとえ、あのふたりを殺したとしても、別のふたりがまた同じことをするだろう。フェンスは、彼らの一部の侵入を阻むとしても、全員を締め出せるわけではない。ああいった状況で育った人間がいれば、そのうちの何人かは間違いなく目的を達することになるだろう。

パラダイス・ナウ』は、何の解決策も提示はしない。「公平中立な立場で」などという「ふり」をすることすらしていない。

雑誌掲載映画評リスト

キネマ旬報』2007年4月上旬号の62〜64ページ、インタビューと映画評
『シネ・フロント』2007年2月号で特集、監督インタビュー、映画評
『FLIX』2007年4月号の70ページに映画評
朝日新聞』2007年3月20日 夕刊 に映画評論家・佐藤忠男氏の映画評
読売ウイークリー』2007年4月1日号の78ページに映画批評
STUDIO VOICE』2007年4月号の123ページにて映画評、
エスクァイア』2007年5月号の330ページで柳下毅一郎さんの映画評
『月刊オルタ』2007年3月号の29ページに映画評