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連続国際シンポジウム「ナクバから60年」

2008年12月12日、2008年12月14日、2008年12月16日→2009年にも開催予定

【東京セッション】

「ナクバ再訪−記憶と歴史の断絶を超えて」Nakba Revisited: Memories and Histories from a Comparative Perspective
http://www.asafas.kyoto-u.ac.jp/kias/nakba2008/tokyo.html
開催日:2008年12月12日
会場:東京大学東洋文化研究所会議室(使用言語:英語)
プログラム:
Welcome Speech: 佐藤次高 (早稲田大学, IAS研究代表)
Guest Speech: Ali Qleibo(al-Quds University)

Session 1:"Nakba Revisited: Memories and Histories from a Comparative Perspective"
趣旨説明: 臼杵 陽 (日本女子大学
基調講演: Nur Masalha (St Mary's College, University of Surrey)"60 Years after the Nakba: Historical Truth, Collective Memory and Ethical Obligations" →要旨はHPに記載
報告1: 森まりこ (東京大学)"Zionism and Nakba: The Mainstream Narrative, Oppressed Narratives, and the Israeli Collective Memory" ●
報告2: Timur DADABAEV (筑波大学)"Trauma, Public Memory and Identity in Post-Soviet Central Asia"


要旨:東京セッションにおいては「ナクバ再訪―記憶と歴史の断絶を超えて」を主要テーマとして議論される。ナクバの悲劇はこれまでパレスチナの人々の記憶に刻まれて歴史として記録されてきたはずだった。しかし、生々しい暴力と追放の歴史は実際にはパレスチナイスラエルの歴史の公式の記録からは長い間、忘却されて隠蔽されてきたといっていい。さらに踏み込んで言えば、シオニストの「イスラエル建国神話」の前にパレスチナ人の語りは沈黙を余儀なくされてきたともいえる。さらに、パレスチナ人の難民たちの語りはナショナリストの大きな語りに飲み込まれたり、ナショナリズムを正当化するために利用されたりもしてきた。現在、パレスチナの人々の記憶の掘り起こしがオーラル・ヒストリーなどの手法を利用しながら始まっており、かつての記憶から新たに紡ぎだされた語りから新たな歴史像を再構築していく地道な作業につながっている。1948年のナクバにおいてシオニストによって破壊されたパレスチナ人の村落を記録するプロジェクトやナクバにおける「民族浄化」の実態を明らかにする作業も多く平行して進んでいる。パレスチナ研究において真摯なナクバ研究はようやく開始されたばかりであり、ナクバを改めて取り上げて、その意義はどこにあるのかを議論することは現在のパレスチナの困難な状況にかんがみた場合急務であると考える。

 東京セッションではシオニストによる「イスラエル建国神話」の語りをパレスチナ人の語りと対比することも視野に入れて、パレスチナ人研究者によるナクバの新たな研究に光を当てる。これまでシオニストあるいはイスラエルによるパレスチナ人への対応に関して多くの著書・論文を発表してきたヌール・マサールハ氏(サーレイ大学セント・メアリー校)が「ナクバから60年―歴史的真実、集団的記憶、そして倫理的責務」と題する基調講演を行なう。また逆に、シオニストイスラエルがナクバをどのように見て、描いてきたのかも検討する。これまで社会主義シオニストの対アラブ政策や修正主義シオニズムに関して研究してきた森まり子氏が「シオニズムとナクバ」と題して討論を行なう。さらに、歴史の新たな民族的アイデンティティを模索する中央アジアの事例を取り上げ、旧ソ連時代の記憶と歴史を再構成する試みをも考察していくことにする。ティムール・ダダバエフ氏(筑波大学)は「ソ連後の中央アジアにおけるトラウマ、公共的記憶、そしてアイデンティティ」と題して中央アジアの事例から問題提起を行なう。

【広島セッション】

「ナクバとヒロシマ:記憶とその継承」NAKBA and HIBAKU: Dialogue between Palestine and Hiroshima
開催日:2008年12月14日
会場:広島市まちづくり市民交流プラザ 6階マルチメディアスタジオ
プログラム:
Session 2:"NAKBA and HIBAKU: Dialogue between Palestine and Hiroshima"
趣旨説明・パレスチナ人研究者の紹介:宇野昌樹(広島市立大学
基調講演:ローズマリー・サーイグ"Hiroshima, the Nakba: Markers of Rupture and New Hegemonies"
報告1:直野章子(九州大学)"Listening to the Murmur of Voices in the Hiroshima Memoryscape" ●
報告2:鵜飼哲一橋大学)"Pictures, Movies and Memories of the Nakba" ●
→「原爆の絵」と出会う:込められた想いに耳を澄まして 直野章子 岩波書店(岩波ブックレット) 2004
ヒロシマアメリカ:原爆展をめぐって 直野章子 渓水社, 1997


要旨:この度、パレスチナ人が難民化し、また世界中に離散するきっかけとなった「ナクバ」(第一次中東戦争とその直後の政治的、社会的混乱を指す)から60年目になるのを機に、広島で国際シンポジウムを開催する運びとなった。まず、被爆地・広島で開催する意義を指摘しておきたい。周知の通り、広島と長崎は被爆から63年を迎え、被爆体験者の減少と高齢化という大きな問題に直面している。このことは、広島や長崎における被爆・被災体験などをどのように記憶し、また継承していくのか、我々に大きな課題として突き付けている。そして、正に「ナクバ」が同様の問題を抱えているのである。確かに、パレスチナにおける「ナクバ」と広島における被爆は、それが起こった時期や場所、またその歴史的、政治的背景などは異なっている。しかしながら、両者は経験としての破壊や暴力、またその記憶と継承という共通する大きな課題を持っている。それ故、我々は「ヒロシマ」から「ナクバ」を、そして「ナクバ」から「ヒロシマ」を考える、つまり両者がそれぞれに抱える諸々の問題を双方向的に考えることによって、「ナクバ」や「ヒロシマ」を新たな視点から捉え直せるのではないか、との強い思いを共有しているのである。

 シンポジウムでは、まずパレスチナ側からローズマリー・サーイグ氏に基調講演をして頂く。彼女はレバノン在住の文化人類学者で、長くパレスチナ難民、特に女性の難民から口述記録を多数集める作業を行っており、「ナクバ」やこれに関連するいろいろな事柄の記憶とその継承に関して話して頂くことになろう。次に、「ヒロシマ」からの視点として、気鋭の社会学者で、自身"原爆の絵"に関する著書のある、九州大学の直野章子氏から、被爆の記憶とはそもそも何なのか、そしてそれを我々は如何に聴き取るべきなのか、話して頂く。そして最後に、現代思想の分野で最も注目を集め、また『ガリレアの婚礼』、『豊穣な記憶』などの作品で知られる映画監督のミシェル・クレイフィの日本招聘に尽力するなど、自身もパレスチナ問題に関わってきた一橋大学鵜飼哲から、同じクレイフィの作品である『石の賛美歌』がパレスチナに、そしてヒロシマに問いかけたものが何だったのか、また民族間の境界を横断する記憶の生成の可能性がどこにあるのか、話して頂く予定である。

【京都セッション】

「ナクバの記憶を京都で語ること、聞くこと:パレスチナと東アジアの対話」Narrating and Listening to the Memories of Nakba in Kyoto: Dialogue between Palestine and East Asia
開催日:2008年12月16日
会場:京都大学稲盛財団記念館
プログラム:
Session 3"Narrating and Listening to the Memories of Nakba in Kyoto: Dialogue between Palestine and East Asia"
趣旨説明:岡 真理(京都大学) ●
基調講演:Sari HANAFI "Spacio-cide : Israeli Politics of Land and Memory Destructions in Palestinian Territory" →要旨はHPにあり
報告1:文京洙(立命館大学)"The Origin and the Present of the Problems of Korean Residents in Japan" ●
報告2:山下英愛(立命館大学)"Nationalism and Gender in the Comfort Women Issue" ●
総合討論


Closing Session:"In Thinking Back to the Symposium"
General Comment: Ali QLEIBO
総合討論
ゲスト講演:Yakov Rabkin(University of Montreal)"Perceptions of Nakba in Zionist and post-Zionist circles" ●


Session:"Future of Palestine, Future of Palestine Studies in Japan"From Young Researchers
Attendants: 錦田愛子(東京外国語大学), 菅瀬晶子(総合研究大学院大学), 田村幸恵(津田塾大学), 飛奈裕美(京都大学), 鶴見太郎(東京大学)
Presentation 1: 飛奈裕美(京都大学)"Depicting the Lives of Palestinians: The Case of East Jerusalem"
Presentation 2: 鶴見太郎(東京大学)"The Russian Origins of Zionism: Interaction with the Empire as the Background of the Zionist World View"


Closing Speech: 臼杵 陽 (日本女子大学) "Future of Palestine Studies in Japan"
Closing Remark: 板垣雄三(東京大学東京経済大学名誉教授)


要旨:9・11の直後、チリ出身の作家、アリエル・ドルフマンは「世界には無数の9・11」があると語り、2001年9月11日、ワシントンとニューヨークで起きた出来事を、世界に無数に存在する9・11の記憶へと開いていくことの重要性を説いた(しかし、その後の世界で生じたことは周知のとおり、ドルフマンの願いとは裏腹に、アメリカ合州国のナショナルな悲劇としての出来事の領有であり、それは、アフガニスタン、そしてイラクに対する暴力へと展開していくことになった)。ホロコーストもまた、シオニズムの言説のなかで、「ユダヤ人」のナショナルな悲劇として特権化されることで、パレスチナ人に対する暴力を正当化する役割を担っている。だとすれば、私たちが出来事の記憶を語ることの意義とは、個々の出来事の特異性をそれとして受け止めながら、同時にそれを(相対化したり矮小化したりすることなく)他者の悲劇へとつなげ、開いていく、その回路を私たちがいかにしてか見出すことにあるのではないか。

 ドルフマンに倣って言えば、世界には無数の「ナクバ」がある。1910年、日本の韓国併合によって祖国を喪失し、その民族的アイデンティティを否定された朝鮮人民にとってこの出来事はまぎれもない「ナクバ」であっただろう朝鮮人民は以後、36年にわたり日本帝国主義支配下でこの「ナクバ」の破壊的結果をその身に被りながら生きることになる。強制連行のみならず、多数の住民が内地への移住を余儀なくされるのも、日本の植民地政策の結果だった。また、日本軍性奴隷制によって、筆舌に尽くしがたい苦難を味わった無数の女性たちがいる。それは性暴力であったがゆえに、被害女性たちの経験は戦後社会において半世紀近くも告発されることなく抑圧されてきたのだった。

 パレスチナ人が、難民であれ占領下の住民であれ、あるいはイスラエルパレスチナ人であれ、60年前の「ナクバ」の暴力の結果を今日に至るまでその身に被り続けているように、朝鮮におけるナクバの暴力も、1945年の日本の敗戦をもって終わったわけではない。日本の朝鮮植民地支配の結果、日本社会に暮らすことになった朝鮮人もまた、戦後60年間、「半難民」状態におかれ、さまざまな差別にさらされてきた。しかしながら、日本の「国民の正史」において、日本の植民地主義朝鮮人にもたらしたこれら「ナクバ」の記憶がじゅうぶんに共有されているとは言いがたい。むしろ、それは、イスラエルの国民の歴史における「ナクバ」同様、ナショナリズムによって抑圧され、隠蔽されているのである。

 日本とイスラエルはアジア大陸の東西両端にあって歴史的否認の同盟を結んでいるが(そこでは、日本による植民地支配は「ホロコースト」ではないということが、日本による歴史的犯罪の責任を否定するために主張されている)、ナクバの記憶もまた、ナショナルな占有に抗して、他者のナクバの記憶へと開かれていくことが必要なのではないかと考える。京都セッションでは、ナショナル・イデオロギーによって抑圧されてきたアジア大陸の東西両端におけるナクバの記憶をすりあわせることで浮上するさまざまな問題について考えたい。「東アジアとパレスチナの対話」と題したゆえんである。

 まず、基調講演として、占領下およびパレスチナ難民の人権問題について取り組んでこられたサリー・ハナフィー氏ベイルートアメリカン大学教授)より、ナクバから今日に至るまで一貫して Spcaiocide(空間的抹殺)として展開する、イスラエルによるパレスチナの記憶と土地の破壊についてお話いただいたあとで、文京洙氏(立命館大学教授)より「在日朝鮮人問題の起源と現在」と題して、「在日朝鮮人」をめぐる問題の根源にいかなる暴力が作用しているのかについてお話いただく。両者の報告には、同じ歴史の地脈で結ばれたものがあるのではないか。次に、ながらく旧日本軍性奴隷制(いわゆる従軍「慰安婦」)の暴力の問題に取り組んでこられた山下英愛氏より、韓国の「慰安婦」運動における日本人慰安婦問題の対応について論じていただく。そこでは、被植民者のナショナリズムが、いったい誰を他者とし、いかなる暴力として作用しているか提起することになるだろう。

ナクバとは (錦田愛子)

http://www.asafas.kyoto-u.ac.jp/kias/nakba2008/gaiyo.html
 1948年5月、中東の一角にイスラエルが建国された。ヨーロッパで迫害されてきたユダヤ人が、安全な住み場所を求めて国を作ったその場所には、パレスチナ人が住んでいた。彼らは故郷を追われて世界中に離散し、難民生活を送ることとなった。それから今年で60年が経つ。

 「ナクバ」とは、パレスチナ人を襲ったこの離散による悲劇を表す言葉(アラビア語での呼称)である。突然襲いかかってきた暴力により、生活が中断され、故郷に帰れなくなった悲しみ。混乱の中で家族は引き裂かれ、共同体は崩壊させられた。生まれ育った家の多くは破壊され、400以上もの村々が廃墟となって放置されたままである。当時80万〜100万人とされる人々が、ヨルダン川西岸地区ガザ地区、周辺アラブ諸国などへ逃げたが、彼らの大半はその後、帰還を許されることもなく現在に至っている(下記の地図、グラフ参照)。

 その後の人口増加により、難民の数は国連(UNRWA:国連パレスチナ難民救済事業機関)に登録されているだけで約460万人に達した。これはパレスチナ人全体の半数近くを占める割合である。現在、世界で保護の対象となっている難民の数を国ごとに比較すると、最大がアフガニスタンの305万人、イラクの230万人と続く1。この数字を見ても、「ナクバ」がいかに多くの人々の生活に影響を与えたかが分かる。また1948年にイスラエルが建国された地域内にとどまり、逃げなかった人々も、イスラエル国内では差別され、二級市民の扱いを受けている。現在はパレスチナ自治区となったヨルダン川西岸地区ガザ地区出身の人々は、難民とともにイスラエル占領政策によって長年苦しめられてきた。

 「ナクバ」はイスラエルパレスチナ紛争の出発点である。イスラエル人にとっての独立・解放は、パレスチナ人にとって苦難の始まりとなった。難民生活は二世代目、三世代目を迎え、故郷の地を知らない子どもたちがパレスチナ人という呼称を受け継いでいる。離散にあたってはパレスチナ人居住地の各地で虐殺が行われ、財産が没収された。これら全てが補償されない限り、問題は終わらない。だがそのためには、記憶を語り継ぐ必要がある。実際に故郷を知り、「ナクバ」を体験した人々の多くは既に高齢に達している。

 強者によって常に綴られる歴史の中で、埋没しがちな弱者の足跡を記すことの意義は、パレスチナだけに指摘されるものではない。被害者に委ねられた語り継ぐ権利と義務という側面は、ヒロシマにおける被爆の体験と共通するものだろう。遠く離れた中東の地で起きたパレスチナ人にとっての悲劇は、わたしたちにとっても重要な参照となり得る性格をもつものといえる。

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1.ただしイラクの場合、この他に238万人と推定される国内避難民がいる。数字はいずれもUNHCR国連難民高等弁務官事務所)ホームページより。http://www.unhcr.or.jp/ref_unhcr/statistics/index.html