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田母神への安全保障専門家森本敏氏の評価

拓殖大学大学院教授・森本敏田母神論文の意味するところ」(産経新聞 2008年12月5日)
 ≪侵略でないといえない≫:歴史や戦争は人間社会の複合された所産であり、日本が先の大戦に至るまでにたどった道を省みれば、明らかに「自衛」と「侵略」の両面がある。歴史を論じる際、これらをトータルに観察し分析すべきである田母神俊雄・前航空幕僚長の論文を読んで感じるのは、証拠や分析に基づく新たな視点を展開するならともかく、他人の論評の中から都合の良いところを引用して、バランスに欠ける論旨を展開している点である。あの程度の歴史認識では、複雑な国際環境下での国家防衛を全うできない。

 大戦に至る歴史の中で日本が道を誤る転換点となった張作霖爆破事件は、満州権益の保護拡大のため関東軍が独断専行の結果引きおこしたものであることは各種証拠からほとんど間違いない。このときの処置のあいまいさや満州での激しい抗日運動、関東軍の独断がその後の満州事変の引き金になり、満州国建国、上海事変、シナ事変へと続いていったのである。この歴史的事実をもって日本は侵略国家でないというのはあまりに偏った見方である

 我々が心得べきことは、大戦に至る数十年、日清・日露戦争で勝利した奢(おご)りから軍の独善が進み、国家は「軍の使用」を誤ってアジア諸国に軍を進め、多くの尊い人命を失い、国益を損なったことである。これは日本が近代国家を建設する過程での重大な過誤であり、責任は軍人はもとより国家・国民が等しく負うべきである。この過誤を決して繰り返してはならない。


 ≪政治感覚の著しい欠如≫ところで、田母神氏は自衛隊員として論文の部外発表手続きを踏んでいない。それを十分承知の上で、日常の不満・鬱憤(うっぷん)をこういう形で、一石を投じる目的をもって公表したのであれば、それによってもたらされる影響についても責任を有する。政府の村山談話がおかしいと思うなら防衛省内で大臣相手に堂々と議論すべきであり、懸賞論文に出すなどと言う行為は政府高官のすべきことではない。

 さらにこれによって防衛省改革や防衛大綱の見直し、防衛費や自衛隊の海外派遣問題などにマイナス影響を与えかねない。それが分かっていて発表したというなら政治的な背信行為であり、分からなかったというなら、幕僚長がその程度の政治感覚もなかったのかと言うことになる。

 自衛隊員は呼称は何であれ、武力行使できる実行組織を指揮するのであるから、いわゆる「軍人」である。一般市民が自衛隊員をどう見ているかを、高官になれば分かっていなければならない。田母神氏は、日本の自衛隊はいかなる国より文民統制がしっかりしていると国会答弁しているが、自衛隊員がこれを言っても説得力はない。

 国民には、文民統制自衛隊員に意図があれば機能しなくなると考えている人がいる。しかし戦後半世紀、文民統制に大きな疑惑が起きなかったのは、この間の先人の自己抑制努力によるものである。今回の論文によって文民統制への信頼性を失ったとすればその責任は大きい。


 ≪防衛省の対応には疑問≫他方、防衛省の対応措置には納得がいかない。田母神氏を懲戒処分にする手続きをとらずに解任し、空幕付きにして退職させた。懲戒にしなかった理由を防衛省は、審理に通常10カ月近くかかり、その間に本人が定年を迎えるので、と説明した。懲戒処分といっても実際には、個人の表現の自由が認められている限り、懲戒免職にはできず、それより軽い処分ですむ。1日も早く防衛省から辞めさせてしまいたい、審理に入ることにより省内で歴史論争がおこるのを防ぎたいという事情が合わさったのであろう。

 幕僚長という地位にあるのであるから、大臣は本人に面談のうえ身の処し方を協議すべきであった。国会も参考人質疑で歴史認識論議を避けたが、立法府こそ堂々と歴史認識論議すべきである。

 今後、部外発表をチェックする制度を強化すると、自衛隊員は部外に個人の思想・信条を吐露しなくなる。何を考えているか分からない23万人もの実力部隊が存在することの方が不健全である。文民統制の本義を履き違えた議論は戒めるべきであり、自衛隊員の部外発表を規制することは論外である。

 一方で、自衛隊も人材育成や教育を見直す必要がある。自衛官が政治の場を体験する機会を増やすことも考えるべきだ。幕僚長以上を国会の同意人事にすることは違和感があるが、そうするのであれば、彼らを国会審議に引き出す制度を作る必要があろう。

 今回は国内世論が左右にはっきり分かれた。これは歴史認識が確立していないからであり、近代史に関する歴史教育の重要性を痛感させられる。(もりもと さとし)