zames_makiのブログ

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自衛隊の田母神論文はなぜ批判されるべきか

以下はさるブログコメント欄に書いたものの備忘録として。
神州の泉」http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2008/11/post-3661.html
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この田母神論文については防衛庁も処分したし、読売新聞も強くは支持しなかった。こうした歴史認識についての妄言が日本では長らく政治家・閣僚から吐かれてきてその都度批判されてきたが、ここにきて2008年にはやっと「日本軍は悪い侵略行為をした」が日本の常識になったと思っていた。

しかしやはりと言うか愚かなブログを書く人がいて驚いた。ここはその日本の常識に反し、勉強不足で愚かな爺がその妄言を支持したに過ぎないとは思うが、しかし批判すべきことは書いておこう。無知な人間に田母神発言が<批判される理由>を親切に教えてあげるべきだと思うからだ。


1歴史的事実と異なる
・・・右翼的立場で歴史を眺めている秦郁彦でさえ田母神論文を完全に否定している。秦郁彦は盧溝橋事件を研究したが、田母神が日本軍自身が謀略であると認めている満州事変を無視し、自分の研究をまったく無視している事を指摘している。そしてそもそも田母神論文は検討に値するような内容がない。


2歴史の見方として新しいものがない
・・・田母神論文には彼独自の視点や指摘がなく、過去の同種の妄言のよせ集め・焼き直しに過ぎない。従って歴史的事実の発掘・新しい視点からの問いかけという点でまったく評価できない。それを絶賛するここのブログ主はよっぽどこうした妄言についての歴史に不勉強なのだろう。


3「戦争を知らない爺」の時代
・・・戦争を知らない若者が雑誌「WILL」などの事実無根の記事に乗せられてバカな事を言うのはわかるが、ある程度の年齢の爺でもそうなのが悲しい。だが今や田母神氏も含め60歳以下は全て戦争体験はなく、ここのブログ主も含めて、そうした「戦争を知らない爺」が戦争について希望的観測による嘘をつく時代が来たのであろう。そう思うと本当に嘆かわしい事だ。


田母神論文の愚かな「動機」
・・・田母神がその論文を書いた動機は、従軍慰安婦を自己意思による商行為とする妄言、沖縄戦「集団自決」を殉国美談とする妄言、南京大虐殺を否定しようとする妄言と同じだ。メディアや政治評論家は不勉強なので触れないがそれらの「動機」は<戦争をしたい>ということであるのはよく言われている。日本を戦争のできる国にしたい、その為には国民に軍隊によいイメージを持ってもらいたい。その為には個々の事例では日本軍の残虐行為はなかったことにし、全体では侵略ではない、と言いたい。という関係性である。これは田母神氏の会見発言からでも読み取れる事だ。そして同種の事は昨年、戦後最大の歴史修正主義者である安倍晋三慰安婦に関する発言が最もよい例である(すなわち「従軍慰安婦に対し政府が命令関与した公的資料証拠はない」とするもの。2008年の時点で慰安婦に関する日本政府の責任は明確だったが、それでもなんとか否定し、なかった事にしたいという欲求がこうした部分否定となって現れた。だがそれもアメリカ、カナダ、EU等世界中から批判された事は記憶に新しい)。


5嘘をつかないと生きていけない程、弱い「ウヨク」
・・・上記の現象は非常に愚かしい。彼ら日本を戦争をできる国にしたい人々(ここでは簡単の為にウヨクと呼ぶ)は、嘘をつかないといけない程自信がないらしい。世界で戦争を否定した憲法を持つのは日本だけであり、その点で彼らウヨクの主張は同意できないが理解できる。しかし彼らはそれを主張するのになぜか嘘をつこうとする。
 ここのブログ主のように不勉強な人間は、それを理解していないように見える。判りやすいように反対の例を示せば、石破茂のように沖縄戦での日本軍の悪行と醜さを認めた上で日本を戦争のできる国にしたがっている者もいるという事だ。少なくとも彼の歴史知識は間違いではない。

同じウヨクでも田母神はそれ以下のばか者だという事だ。戦争の歴史を知れば人間がいかに醜いものかよくわかる、しかしその醜さから目をそむけず、改善していくことが明日へ繋がるのではないのか?田母神はそれもできないばか者だと言う事だ。


6日本人は自ら戦争を否定してきた
・・・他人の書けない事も書いておこう
アメリカによって刷り込まれた誤まった歴史観によって自分を見失っている(神州の泉)
これは明らかに間違いだ、日本人の戦争認識は戦後一貫して、1930年以降の日本の戦争を悪い事だったとして否定してきた。確かにGHQは占領下で民主主義をプロパガンダしたが、日本人は独立後もそれを継承し、更に戦争否定という点ではむしろ独立後の方が強くなっている。これは例えば1952年以降の日本での大変な戦争映画ブームの様子でわかる事だ。一例でいえば日本軍の攻撃を劇映画で見せた最初の映画「硫黄島の砂」は大変な大入りだったが、そこにあった日本人観客の関心は日本のした戦争の事実への関心であって、けしてアメリカに刷り込まれた視点ではなかったということだ。
==>「戦争を知らない爺」の弊害はこうした近い過去を自らの無知を省みず、捻じ曲げる点にあるだろう


田母神のような言い方で日本を戦争のできる国にしたがっている者は、歴史と人間の本質を直視できない愚か者であり、そうした人間の主張をまともに検討できる訳がない。もし主張したいなら、日本軍の悪行をちゃんと直視し認めた上で、安全保障論として論じるべきだ。