zames_makiのブログ

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Let There Be Light (1946)「そこに光を」「光あれ」

監督:ジョン・ヒューストン John Huston 58分 ドキュメンタリー
公開:16 December 1980 (USA) 出演:Walter Huston(Narrator)
→DVD $29.95 米amazonクリス・マルケルの「レヴェル5」で引用

◆Report from the Aleutians(1943)「アリューシャン列島からの報告」43分 監督:J.ヒューストン、初めての戦争記録
◆Battle of San Pietro (製作1944、公開1945) 「サンピエトロの戦い」40分 監督:J.ヒューストン、過酷な戦闘
につづく戦争ドキュメンタリー


(映画評、仲里効、沖縄タイムズ文化欄木曜掲載、2003年10月)
一九四六年に制作されたジョン・ヒューストンの『そこに光を』は、そうした戦場でむき出しにされた生のその後の闇に迫っている。戦争神経症や精神を病んだ帰還兵の陸軍病院での治療の様子を撮ったドキュメンタリーであるが、兵士のプライバシー保護という理由で、数十年間公開が禁じられていた。

 てんかんヒステリーで歩くことさえ困難な者、恋人から送られてきた写真がきっかけで不安愁訴に悩まされた者、最後に残った親友を失い孤独に苛まれる元偵察兵、帰還船の左舷で見た飛び魚の話をしようとしてSの音に躓き、極度のきつ音に陥った兵士の、そのSの音は実はシュルルル、シュルルル、シュルルルという爆撃音の頭文字であったという病歴を持つ兵士など、第二次世界大戦で身心のバランスを失ったさまざまな症例を持つ兵士の治療過程が描かれている。治療と回復の「見事さ」に幾分の作為性を感じさせるにしても、ヒューストンが光を当てたのは、戦争の後に帰還兵が抱え込んだ荒涼とした心の荒野であった。

 この映像には沖縄戦にかかわる症例が三例でてくる。兄が沖縄で死んだ幻覚に脅かされる例と沖縄について三週間目からドモリはじめたという言語障害、そして、記憶を喪失した兵士のケースである。なかでも、記憶喪失の兵士の治療シーンは、この映画の中で最も緊迫した映像になっている。

 それはこんな場面である。医師が催眠療法で記憶喪失の原因となった沖縄の戦場に戻ろうと呼びかける。深い眠りのなかからやがて閉ざされた記憶が開封される。その兵士は激しく体を震わす、と、その時、砲撃、近づいてくるジャップ、爆発、草原を渡って運ばれる担架、もう耐えられない……沖縄の戦場でのまがまがしい記憶が切れぎれの言葉から明らかになってくる。医師の「ゴーイング・バック・トゥ・オキナワ」という声と患者の激しく震える身体とともによみがえった言葉の破片は、どのような激しい戦闘シーンよりも戦争の惨劇を想起させる。このシーンは沖縄戦の困難な記憶の分有を試みたクリス・マルケルの『レヴェル5』にも引用され、強いインパクトをもって想像力を駆り立てる。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~WHOYOU/retsuden.htm#