zames_makiのブログ

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赤錆び色の空(1983) 16mm

企画・製作:「赤錆び色の空」製作実行委員会 カラー128分
製作:黒田 俊・加藤修一・北池正司
脚本・監督:松良 星ニ
出演:小山 明子(母・尚子)山内圭哉(竹田勲)田中由香(姉・芙美子)藤原桜子(妹・恵)藤山喜子(祖母・きく)阿南忠幸(勲の友達・崔)坂本和子(主婦・田村)梶本潔(西田教頭)大園博子(寮母・山崎先生)笠原明(担任・橋本先生)辰巳柳太郎(住職)北見唯一(村の世話役)関西芸術座・新国劇・劇団ホリックアカデミー

(以下、映画の宣伝チラシより)
http://homepage2.nifty.com/taejeon/kaiho/kaiho-31a.htm
【製作意図】この物語は、悲惨にも戦争の犠牲となったある一家族を描きながら、もう一度“平和”の二字を問い直す、戦争体験記である−−。

【ものがたり】竹田勲君(国民学校六年生)の一家は、大阪の下町に住んでいた。父は兵隊にとられ、母、姉、弟、妹の六人で家を守っている。勲君は、朝鮮人で、模型飛行機作りの上手な崔君と仲よしだった。学童の集団疎開がはじまり、勲君たちも出発する。崔君だけは一緒に行けないのが口惜しく、腹立たしい気持ちだった。別れに崔君からもらった小さな飛行機を大切に持って行った。
 山国の丘の古い寺で、勲君たちの集団生活ははじまるが、田舎も食糧事情は悪かった。毎日、菜園づくりや、たき木ひろい、薪割りなどで忙しく、腹がへってたまらない。冬になると、労働や軍事訓練はますます激しくなり、ひもじくて、食べものを盗んだり、家へ逃げ帰ろうといる者も出て、子どもたちの心は荒れていく。ようやく春が来た。受験や卒業式をひかえ、勲君たちは、本土決戦に備えて緊張しきった街へ、また帰って行った。
 3月13日夜半、アメリカ軍のB29大編隊が大阪を襲った。勲君の家は跡形もなくなり、祖母と弟が死んだ。追いかけるようにして父の戦死の知らせか届き、女子挺身隊の姉が工場の爆撃で犠牲になる−−そして、終戦。焼け焦げ、呻ろにうめく廃墟の街で、勲君母子の苛酷な彷徨の日々がはじまる。


【解説】37年前の第2次世界大戦−−わたしたちは、戦争という竜巻に巻き込まれ、取り返しのつかない間違いを起こしてしまったようです。いまや戦争を知らない世代が人口の半分を超えています。この世代の人たちに、平和であることのほんとうの喜びを味わい、その価値を考えてもらいたいのですが、今日の世の移り方を見ていると、そうした時間をわたしたちの手から奪い取り、人のくらしもなにかもっと大切なものまでが失われていくようでなりません。いまさら、いたずらに逡巡し、戦争終結の時を遅らせ、多くの人々を死に追いやった日本の指導者たちを恨んでもはじまりませんが、たとえ“正義”のためと叫んでも、戦争は絶対に許すことはできません。この映画は、戦争という狂気の渦に巻き込まれ、もがき苦しんだ末、崩壊していった平凡な家庭の悲しくも哀れな物語です。主人公一家の無残な運命に捧げる鎮魂歌でもあります。


【公開にあたって】:第2次大戦終結して、はや37年が過ぎ去りました。いま
や、あの戦争を知らない世代が人口の半分を越しました。それに伴い、あの戦争の体験が風化しつつあります。
 そして、時代を担う子供達には、戦争は、テレビの画面の中の、単にかっこうの良いもので悲惨さ悲しさを除外したものとして受け止められている傾向が見受けられます。
 この映画は、そのような子供達のために、本当の戦争とはどのようなものかを知らしむために、戦争が生んだ数多くの無謀で悲惨な挿話の中から当時「銃後」と呼んでいた戦時下の市民生活の一面を子供の側から描こうとしています。そして、この映画を企画したスタッフのほとんどが昭和7年から13年生まれで、当時、国民学校と呼ばれていた小学校で児童として戦争を体験した者ばかりです。
 この映画では、戦争の後半、昭和19年夏から終戦の20年のことを語っていますが、そこには「学童疎開」と「空襲」という大きな出来事がありました。疎開生活の物心両面からの飢餓状態と無差別的な都市空襲の恐怖、それは当時の少年たちにとっては忘れることの出来ない記憶でもあります。
 昭和20年、連合軍首脳によるヤルタ会談によって、第2次世界大戦の終結へ向けての話合いが行われていた、その頃、日本の政治の中枢でも、戦争終結への動きが見られたのでした。日本の指導者たちは、敗戦後の「国体護持」を願って、逡巡し時を遅らせてしまったといいます。全く、無策のままに日本の都市は、次々に空襲にあい、焦土と化していったのでした。指導者が無策で何らの統率力もないまま
に、無残にも大勢の人々が国内でも国外でも死んでいった事実、その恐ろしさ、二度と繰り返してはいけない過ちを、私たちはこの映画を通して語りたいのです。
 この映画は、大阪のある町の、父親を戦場に送り出した本当にか弱い家族が、戦争のために崩壊してゆくさまを克明に描いた物語です。声を高く叫ぶのではなく、静かに、戦時下の市民生活を次の世代に伝えたいと考えるものです。

【この映画を演出するにあたって】松良星ニ:戦争体験を次の世代に語り継ぐのに、どのような手段があるでしょうか。この映画では、当時武器を持って戦った“戦場”に対して、“銃後”と呼ばれた戦時のごく平凡な家庭の日常生活を通して、そこで語られた会話を忠実に記録しようと心がけました。戦時下に少国民として育った体験から、武器を持たない人たちの“戦争”を、ある一家族に集約して、思想やイデオロギーにとらわれることなく、真っすぐに戦争を見つめ、次の世代に平和の大切さを伝えたかったのです。