zames_makiのブログ

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アメリカ映画は無意識のプロパガンダ装置である

以下はGHQが日本で公開するアメリカ映画を細かくコントロールし、民主主義とアメリカの正しさを映画を通じて、日本人に教えていた(宣伝していた)時期の日本の心理学者の意見。
(宣伝心理学 / 松宮三郎 白揚社 1948)

オードガード教授*1は宣伝(筆者は「宣伝=プロパガンダ」と本書の冒頭で定義づけている)の媒体としてのアメリカ映画を次のように説明している
「商業的映画は概して露骨な宣伝を避けようとしている。宣伝が甘い物語かあるいは又スリルに富む冒険の中に織り込まれていない時は、観覧者つまり入場料を払ったお客は怒る可能性が極めて高い。
 しかし巧妙なる関連性を常に反復させていれば、顕著な効果をあげる事ができる。映画の筋書きの主人公が北欧人(WASPか?)であり悪漢が浅黒い凶暴なラテン種である場合が多い。また銀幕(スクリーン)に現れた労働者は常に無知で粗暴な者が常である。そうでない場合は富豪の息子や娘に対しては卑屈で従順な奴隷みたいなもののみが描かれているのが常である*2。」


大衆は娯楽を要求して映画館に行くのであるから、映画で説教されたり訓戒されたりすることを絶対に好まない。その結果として映画宣伝(=プロパガンダ)はほとんど無意識的であり、また隠蔽的であるのが一般の傾向である
 戦線にある一兵士が一本の煙草にわずかな愉悦を求めるように、工場・百貨店・会社などに働く勤労者は1日の仕事から解放された時に映画館に行くのである。しかも彼らは慰安を求めるために行くのである。(略)即ち彼らの単調にして平凡な生活とははっきり際立った対照をなすところの空想と煽情、豪華と富裕、恋愛と異国情緒などで真に欲望の天地への幻想的移住を行う」これが、アメリカ映画の本体である*3


アメリカ映画に登場する人物の大多数は富裕階級であって、それを職業別順序にすれば多数から、無職、職業不明、非合法(ギャングか?)、演劇人(映画俳優か?)、高級演劇人(舞台俳優か?)となっている。(略)そうして愛を得る事、恋愛結婚、仕事の成功、愛する者の幸福、復讐、という5つのが映画検閲(映画調査?)で必ず発見される事柄である。また科学は神か悪魔として描写され、ソビエト・ロシアは全然(=完全に)悪意をもって描写され、戦争は一般に光栄あるものとされ、同盟罷業者(=ストライキをする人)は一般に通常暴漢として扱われるのは、アメリカ映画の一異色とせねばなるまい。かかる約束をもった映画はその中に描出されている主題を持って宣伝の無意識的媒体と見ねばならない。多数のアメリカ人はその様な映画を毒にはならないものとしているが、外国人にはアメリカ映画を無意識的宣伝と見るのである。


ある学者*4はある基準で選定した映画を児童に見せ、2週間前とそれを見た翌日とで態度を測定した。黒人、中国人、悪漢、戦争、賭博などを主題とした映画(アメリカ映画)を見せた。児童は見た後これらの主題に対する態度の著しい変化が現れ、同じ主題の映画を2つ以上見た場合には著しい効果が現れたと結論づけた。更に10週間ないし19週間後では、映画を見る以前の態度への復帰は幾分かはあったが、依然として映画の影響はあった。


映画が人々の態度を変化せしめるという事は別に驚く必要はない。子供でも大人でも映画館で映画を見ると、それに影響を与えられざるを得ない。(略)なぜなら(1)映画館に入った人は映画を熱心に見る。(2)映画の興奮はメッセージを強く与えやすい。(3)映画は無学文盲の人にもわかるように作られている、広く誰でも影響をうけ得る。(4)映画がスタジオで撮影された作りものであっても、それが所与の事として受け入れられると、そこに普遍性の感覚が生じて映画が描いている事を受け入れやすくする。(5)映画は人々の知らない事柄を題材にするので結局人々はそれへの知識を映画から得る。(略)要するに映画愛好家は到底抵抗することのできないある力に自発的に服従しているのである。

*1:英語名不明、本書は心理学書なのでアメリカの心理学者と思われる

*2:労働者は暴力的な反抗者かあるいは単に資本家に隷属する者としてアメリカ映画では描かれるの意味であろう。ここでは労働者としての権利意識を持ち労働運動で資本家に対抗する者が敵視されている。これは戦後日本で製作された民主主義宣伝映画中の労働者とは異なる

*3:アメリカ映画が常にメロドラマやアクションなどの娯楽の装いの中で観客にメッセージを与え、影響を与えているという事を言いたいのであろう

*4:文脈からアメリカ人学者