zames_makiのブログ

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「建国記念の日」反対2008年2/11集会

〜9条の心をアジアに世界に ともに広げよう歴史の真実を
http://www.news.janjan.jp/government/0802/0802120683/1.php
【日時】2008年2月11日(日)13:30開会(13:00開場)
【会場】日本橋公会堂4階ホール(中央区日本橋蛎殻町1−31−1)
【講演】林博史関東学院大学教授)「沖縄戦への教科書検定が問いかけるもの−沖縄戦・「慰安婦」そして日本の戦争責任―」
・小澤隆一(慈恵医科大学教授)「憲法9条 過去・現在・未来」
【参加費】 500円 (高校生以下無料)
【主催】「建国記念の日」に反対し思想・信教の自由を守る連絡会(2・11連絡会)、東京歴史科学研究会/歴史科学協議会歴史学研究会歴史教育者協議会、憲法会議/都教組

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沖縄戦への教科書検定が問いかけるもの−沖縄戦・「慰安婦」そして日本の戦争責任 講師:林博史関東学院大学教授)

この問題で、文科省はあくまでも日本軍の強制は認めないという検定意見を変えませんでした。それを報道した2007年12月27日の新聞の見出しに、沖縄メディアと本土メディアの差が出ており、問題点が凝縮されています。沖縄メディアは「『軍強制』を認めず」という大きな見出しで報道しましたが、本土メディアは「『軍の関与』復活」(朝日)、「軍強制復活」(産経)で、日本軍の「強制」が問題であるにもかかわらず、「強制」を「関与」と言い換えて元に戻ったんだからいいじゃないかということで、問題を収拾させようとしました。

「集団自決」を引き起こした原因

1.住民に対しても捕虜になるな、捕虜になることは恥、と徹底して教育・宣伝していた。2.米軍に捕らえられると、男は戦車でひき殺され、女は強姦され、ひどい殺され方をする、と恐怖心を煽られていた。特に若い女性には深刻であった。日本兵は自分たちが中国でひどいことをしたから、アメリカ軍に捕まったらひどいことをされると思い込んでいた。日本兵はそのことを住民に語っていた。

3.米軍に投降しようとする者は非国民・裏切り者とみなされ、殺されても当然であるという意識があった。実際に日本軍は投降した者を殺害した。

4.「軍民一体化」の意識を植え付けられており、日本軍と共に住民も「玉砕」するのが当然とされていた。

5.裁判で問題になった渡嘉敷と座間味では、あらかじめ日本軍あるいは日本軍将校が住民に自決用の手りゅう弾を渡し、いざという時はこれで自決せよと命令あるいは指示・勧告していた。これは、実にたくさんの証言が残っている。今回、文科省は軍の命令があったという根拠はない、と断言している。集団自決が起きた当日、確かに部隊長が命令したかどうかはわからない。しかし、あらかじめ米軍には捕まるなと言い、手榴弾を渡すということがどういうことを意味するのか。

6.慶良間の住民が「集団自決」するきっかけとなったのは、「軍命」が下されたと聞いたことであり、「軍命」に従って自決するのは当然であると信じ込まされていた。

 つまり、日本軍とその当時の国家の強制・誘導・脅迫・教育などによって、住民が死を強いられたものであると私(林教授。以下同じ)は結論付けています。文科省は、私が著書に、当日、部隊長が命令を出したかどうかはわからないと書いた、その部分だけを取り出して日本軍の強制を否定する口実に使っています。

 とにかく、住民は米軍に捕まるより死ぬしかないという状況に追い込まれていった。今回、文科省は沖縄や全国の運動によって少しは譲歩していますけれども、強制があったということは、とにかく書かせない。中学校の教科書でそういう記述がありますから、それを書かせないということにつながっていく、だからこれは決して終わった問題ではないと思います。

日本の侵略戦争のなかの「集団自決」

 本土では「沖縄県民の感情をもっと考慮しなければいけない」という言い方がされていますが、果たしてそれでいいのでしょうか? 「集団自決」を、ある人々はお国のために命を捧げた尊い行為であるという言い方をします。しかし、私は日本軍・国家によって強制された死である、とします。

 この意見の対立は、例えば特攻隊をめぐる議論とも重なってきます。つまり、特攻隊は「自らお国のために命を捧げた尊い死」という議論があります。しかし、これは多くの研究で明らかになっていますが、必ずしも志願ではなく命令によって(特攻隊員に)なった人もいます。また、志願しないと非国民とされるので、志願せざるを得なかった人もいます。

 話は沖縄戦から離れますが、日本軍将兵は約230万人が死んでいますが、半分以上は餓死だ、という研究が発表されています。弾薬も食料もなくなると、20世紀の普通の軍隊ならば、通常はそこで降服して捕虜になるのですが、「捕虜になるのは恥である」と教えられているので、餓死するしかないのです。

 また、玉砕という、どうしようもなくなって「バンザイ突撃」などと言って、まさに殺されに行くわけです。もし捕虜になることが許されていれば、当時の日本軍に20世紀中ごろの常識があれば、230万人の半数以上は生き残ることができたはずです。日本軍のアジアへの加害の問題もありますが、最低限の常識があれば、それもやらなかったわけです。

 捕虜になるのは恥さらしだという考えの日本軍には、捕虜を人道的に扱う思想がありませんでした。戦後の戦犯裁判の中で捕虜の虐待がたくさん裁かれています。去年は南京虐殺70周年ですが、南京では10数万〜20万人が虐殺されました。その半数以上が捕虜で、欧米系(軍人)の場合は捕虜にして虐殺し(たケースもあり)ましたが、中国系の場合には捕虜にもせずに殺してしまう(ことが少なからずあった)という。日本兵自身は捕虜になることなく死を強制されました。とても、英霊などと言って美化されるような存在ではない。そういった問題とつながってくるだろうと思います。

 私は、沖縄戦というのは侵略戦争の行き着いた先であると考えています。いま言った捕虜の問題もそうですし、中国で民間人も殺してしまった、その経験が沖縄戦に持ち込まれたのです。第32軍司令官の牛島満、参謀長の長勇は共に南京戦に参加しています。長勇についてはかなり資料が残っていて、捕まえた捕虜を殺してしまえと指導していたことが分かっています。そんな軍人が沖縄戦を率いたのです。中国・山西省では、すさまじい性暴力が行われました。被害者が日本で裁判を起こしています。あの地域の部隊が沖縄に来ています。中国における三光作戦、性暴力、そこでの経験が沖縄に持ち込まれたのです。

 「集団自決」の起きた渡嘉敷には「マルレ」という陸軍の特攻艇が配備されています。この「マルレ」の開発を推進した人物は、陸軍の船舶司令部の鈴木といって、1942年のシンガポールの華僑粛清、あるいはマレー半島の華僑粛清(時)の軍の参謀長です。シンガポールマレー半島で住民虐殺を行った人物が特攻艇の開発を推進した。そういう意味で、日本の侵略戦争のさまざまな経験が沖縄戦に集約されている。だから、沖縄戦の問題は沖縄だけの問題ではなくて、日本が行った一連の侵略戦争をどう認識するのかという全体に関わる問題です。

 残念ながら、本土のメディアは沖縄の問題は沖縄だけの問題として処理しようとし、日本全体の問題であるという視点を落としています。しかし決して、沖縄だけの問題ではなく、日本全体の、戦争全体の認識に関わる問題である、と改めて強調しなければなりません。

日本軍「慰安婦」正当化論との共通性

 「新しい歴史教科書をつくる会」は、「慰安婦」「南京虐殺」「強制されたものとしての集団自決」の3つを教科書から削除させることを目標としていました。高校の教科書に沖縄戦における日本軍の住民虐殺を最初に書こうとしたのは、江口圭一さんという歴史学者ですが、彼が根拠に使った「沖縄県史」を教科書調査官は「(沖縄)県史は一級史料ではない」としました。被害者・住民の証言は信用しない、ということです。「慰安婦」問題で被害者の証言、中国人、韓国人の証言は信用できないとするのと同じ論理です。全体状況から1点だけを取り出してすべてを否定する(論法です)。

 「慰安婦」問題でも、強制的に連れて来いという命令がなかったから、すべて強制じゃない、今回の問題でも「集団自決」が起きた時に命令がなかったから、強制そのものがないんだ、という論理です。また、被害者は金欲しさだった、元「慰安婦」も金欲しさにウソを言っている、沖縄に関しても援護の金欲しさに軍命令をでっちあげたという言い方をしています。こういうことを言う本人たちは、「人間は金でしか動かない」と考えているのでしょう。そういう議論が共通していると思います。

 沖縄と本土のメディアの違いは、中国・韓国と日本のメディアの違いと一緒ではないか。つまり、日本政府が事実を否定すると、地元の人たちは思想の違いを超えて怒る。それをメディアも取り上げる。ところが日本では、それはすべて「反日キャンペーン」とする。そういう構造も非常に似ていると思います。

 河野洋平氏は1997年3月31日にインタビューで「慰安婦」への強制について、次のように述べています。「本人の意思に反して集められたことを強制性と定義すれば、強制性のケースが数多くあったことは明らかだった」「こうした問題で、そもそも『強制的に連れてこい』と命令して、『強制的に連れてきました』と報告するだろうか」「当時の状況を考えてほしい。政治も社会も軍の影響下にあり、今日とは全く違う。国会が抵抗しても、軍の決定を押し戻すことはできないぐらい軍は強かった。そういう状況下で女性がその大きな力を拒否することができただろうか」。

 この中の「慰安婦」を「沖縄住民」と置き換えればその通りだと思います。

なぜいま、日本の戦争責任が問題になるのか

 2007年7月30日にアメリカ議会で、同年12月3日にEU議会で「慰安婦」に関する決議が採択されました。その後に、カナダとオランダです。日本では、なぜ今頃、こんな決議が上がるのか、と不思議がられました。

 日本で「慰安婦」問題がクローズアップされるのは90年代に入ってからで、元「慰安婦」の方が名乗り出られて、その被害の残酷さがやっと分かりました。この問題は、国連の人権委員会などでも取り上げられ始めます。

 なぜ国連で取り上げられたのかと言いますと、90年代の初めですから、旧ユーゴスラビアの問題があります。非常に(多くの)組織的な性暴力が繰り広げられた。これは現在もあるんですが、なぜ90年代にあってもこれだけの戦時性暴力が繰り返されるのか。それを考えると、軍なり国家が組織的に性暴力を肯定した(のではないのか)、これはきちんと事実を究明し、責任者・加害者をきちんと処罰する、そして2度とそういうことが起こらないようにする。それを国際社会が怠ってきたからじゃないか、と言われるわけです。

 組織的な性暴力というと、日本軍の「慰安婦」問題が浮かび上がってくる。それを当時の連合国もきちんと裁かなかったためではないか、と思われています。このことから、日本の問題であると共に、国際社会の問題であるという認識が生まれてきます。1940年代の出来事を取り上げるのは、まさに今に継続する問題だからなんですね。従来ですと、国家間の賠償によって問題を解決した。でも、それでは被害者は全く救済されない。この問題を国家間の賠償問題ではなく、女性の人権問題、人間の尊厳の回復の問題と捉える、というのが90年代の国際社会の議論です。

 日本ではほとんど知られていませんが、国連安全保障理事会は2000年10月に「すべての国家には、ジェノサイド(大量虐殺)、人道に対する罪、性的その他の女性・少女に対する暴力を含む戦争犯罪の責任者の不処罰を断ち切り、訴追する責任があることを強調する」と決議しました。ちょうどその直後に、東京で女性国際戦犯法廷が開かれます。実は、90年代からの流れが、2000年まで及んで来ているのです。

講演の資料

●ハイド元下院国際関係委員会(現在の外交委員会)議長
慰安婦」決議採択にあたっての声明 :【太平洋戦争を戦った兵士として、昨年9月にこの決議案を多数採択した委員会の議長として、『慰安婦』決議の採択を歓迎します。女性や子供を戦場での搾取から守ることは、単に遠い昔の第2次世界大戦時の問題ではありません。それはダルフールで今まさに起こっているような悲劇的状況に関る問題です。『慰安婦』は、戦場で傷つくすべての女性を象徴するようになったのです】

●「アジア・ポリシー・ポイント」のミンディ・カトラー代表
2007.2.15 下院公聴会での証言 :【日本のケースは、今日の人道問題と戦時性暴力の理解の前例となります。将来の戦時性暴力を裁き、防ぐための最も重要な手段は、性暴力・奴隷制、搾取の事実を認めるという前例を作ることです。日本軍の慰安所は、ボスニアルワンダニカラグア、シェラレオネ、ダルフールビルマなど、今日の戦争や市民紛争の議論で頻繁に取り上げられる性奴隷制・戦時性暴力・人身売買などすべての問題の前身ともいうべきものでした】

●ラントス外交委員会議長のインタビュー
徳留絹枝「米議会と日本の歴史問題」 :【この決議は、日本の過去の政府の行為を罰しようというものではありません。そうではなく、日本の真の友人として、米議会は決議121号を通じて、これらの女性と日本の国が癒され未来に向かうために、日本が過去の困難な時期の出来事をすべて公式に認めるよう、頼んでいるのです。そのような癒しの過程は、日本の人権擁護への取り組みを再確認するだけではなく、日本の隣国との関係を改善し、アジアと世界におけるリーダーとしての地位を強固にするでしょう。私たちが21世紀を生きていくに当たり、日本は世界の中で益々積極的な役割を果たしていくべきです。過去と真摯に向き合うことは、そのプロセスに役立ちますし、日米関係を弱めるどころか堅固にするのです】

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 つまり、日本が率先して(「慰安婦問題」を)解決してくれれば、それが世界の模範になるだろう、それに期待している、ということを言っています。ですから、この問題は、まさに現在、世界に繰り広げられている性暴力をどう解決するのか、そのためにこそ日本軍の「慰安婦」に対して、きちんと事実を究明し、事実を認識し、被害者に対して償いをすべきではないかと、そういう中でこの問題が出てきています。

 もう一つ、EUの決議があります。これも、あまり日本で知られていませんが、その中の「B項」に、「『慰安婦』制度は輪姦、強制堕胎、屈辱及び性暴力を含み、障害、死や自殺を結果し、20世紀の人身売買の最も大きなケースのひとつであり」とあります。アメリカの決議の場合は、主に戦時性暴力を問題にしていますが、EUは戦時だけではなくて平時における性暴力、あるいは人身売買の組織的な問題として日本軍の「慰安婦」制度を問題にしています。この点については後で触れます。

日本の植民地支配・占領支配からの連続性

 例えば、韓国では日本軍の「慰安婦」あるいは強制労働の真相究明のグループが作られています。それに対して日本では、(そうしたことをさせる)韓国の政権は反日政権である、というレッテル貼り(を行うグループ)があります。

 この間、韓国で何をやってきたのかと言うと、戦後の軍事政権における様々な人権侵害行為の真相究明、そして被害者の名誉の回復ということです。これは、済州島のケースから朝鮮戦争下における残虐行為、軍事政権のもとでの人権侵害を全部取り上げている。その中に日本の植民地支配が入っている。

 これはなぜかというと、戦後の韓国の軍隊、警察、官僚組織等々は基本的に植民地時代のものをそのまま受け継いでいるからです。軍事独裁者として有名なパク・チョンヒ(大統領)は日本の陸軍士官学校の出身で満州国軍の将兵です。つまり日本軍の手先となって、中国における抗日運動を取り締まった人物です。韓国の警察も、もともとは日本人の下で韓国の民族運動、独立運動を取り締まった、その朝鮮人が戦後の警察を担っていくんですね。

 韓国民衆にとっては、戦前戦中の日本の植民地支配と戦後の軍事政権というのは連続しているのです。韓国民主化の課題は戦後だけではだめで、戦前戦中から継続している問題です。ですから、日本の「慰安婦」問題、強制連行問題をとりあげるのは、何十年も前のものをいまさら取り上げているわけではなく、今の韓国社会を民主化しようとすれば、そこを克服しない限り解決がないということです。つまり、今の自分たちの社会をどうするか(なの)です。

 しかし、日本はこのことを認識していません。インドネシアスハルトビルマの軍事政権も、軍隊は日本が占領中に作ったものです。日本の第2次世界大戦における軍事支配というものが、戦後のあり方も規定している。ですから、東アジア、東南アジアも含めてですが、現在の社会を民主化しようとすると、それ以前からの植民地支配、そして日本の軍事占領を含めてトータルに真相を明らかにし、克服する努力が必要です。

 みんな「今」を見ているのです。今の自分たちをよくしよう、その時に、植民地時代の問題を解決しなければならないのです。ところが、日本社会はそれを全く理解できません。

日本の支配層の連続性

 さきほど平時の暴力について触れましたが、最近改めていろんなところで指摘されていますが、日本の支配層の連続性という問題があります。1938年11月に内務省の警保局、今で言うと警察庁が出した、有名な通牒があります。

 これは、非常に極秘裏に、日本国内と台湾から女性を「慰安婦」として集めて中国に連れていく、という具体的計画の通牒です。ここに警察や県知事が関わっていますが、これはあくまでも業者が自発的にやることに装え、ということも書かれています。

 これを担当したのが内務省警務課長。誰かって言うと町村金五です。今の町村官房長官の父親です。町村官房長官は2001年、「あたらしい歴史教科書をつくる会」が初めて出てきた時に文部大臣でした。彼は「つくる会」の教科書を検定に合格させた。いうならば、父親がやったことを息子がもみ消しています。安倍前首相については言うまでもないと思います。そうした日本の支配者の連続性がある。

 最近、一部の右翼が(東京の)高田馬場にある「女たちの戦争と平和館」に乱入して妨害し、警察はほとんど取り締まらないということがありました。また、つくばのドメスティックバイオレンス(DV)の講演会を中止させたグループは、「慰安婦」問題と同じグループです。つまり「慰安婦」問題を正当化しようとする人たちは同時に、DVを問題にすることは家族制度を破壊することだ、といっている。

 日本は、人身売買が非常に多い国です。人身売買で海外からどんどん女性が連れてこられて、売春を強制される。それが公認されている。そう言う意味で、日本軍戦時性暴力に対して日本社会がきちんと取り組もうとしないだけでなく、平時における性暴力問題にも取り組まない。その人々は共通している、同じ人々がやっているという問題があると思います。

 戦争責任の問題、あるいは歴史認識というのは現状認識とセットですから、いま自分たちがどうであるか、どうすればいい社会ができるのか、そこから歴史を見るわけです。なぜアメリカ議会でもEU議会でも、そして各国でも、日本の戦争責任が問題になるのか。それは現在の世界のあり方、各国のあり方に問題がある、それを克服しようとして見るわけです。

 ところが、日本での議論ではそこは全部遮断されて、なんでそんな古い時代のことをいまさら取り上げるのか、ということしかない。戦前戦中からずっと連続している日本の社会のあり方に、人々が目を向けない。これは日本政府もそうですし、文科省もそうですし、日本のメディアもそうです。

 そういう意味で、私は沖縄問題も「慰安婦」問題も含めて日本社会全体の問題として捉えなおす、それは今の自分たちの社会をどうするのか、その課題なんですね。その課題として歴史問題があるのだということを認識すべきではないか、と思います。

 この2・11集会が毎年開かれているというのは、その問題だと思います。現在の日本社会、政治家、特に戦後生まれの若い政治家が、戦前戦中に自分たちの拠り所を持っている。その傾向がますます強くなってしまっている。

 ということは、改めて日本が行った侵略戦争の究明だけではなくて、戦後の日本なりアジアのあり方の認識が欠けているんじゃないか。そういう意味で、戦前戦中戦後を含めて、19世紀から20世紀の日本のあり方、東アジアのあり方、世界のあり方、それを考え直す、そういう機会としてこの2・11の集会の意義があるんじゃないか、と思っています。