zames_makiのブログ

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デトロイト(2017)黒人暴動の真実

原題:DETROIT 142分 アメリカ 配給:ロングライド 公開:2018/01/26
監督:キャスリン・ビグロー 脚本:マーク・ボール
出演:
ジョン・ボイエガ(黒人警備員ディスミュークス)
ウィル・ポールター(白人警官クラウス)
…1967年の“デトロイト暴動”のさなかに起きた衝撃の事件を映画化し、今なお続く銃社会の恐怖と根深い人種対立の闇を浮き彫りにした戦慄の実録サスペンス。黒人宿泊客で賑わうモールを舞台に、いたずらの発砲騒ぎがきっかけで、警察官に拘束された黒人宿泊客たちを待ち受ける理不尽な悲劇の一部始終を圧倒的な臨場感で描き出す。
 人気バンド“ザ・ドラマティックス”のメンバー、ラリーが宿泊していたアルジェ・モーテルで銃声が鳴り響く。それは黒人宿泊客の一人がレース用の空砲をふざけて鳴らしたものだった。しかし、それを狙撃手による発砲と思い込んだ大勢の警察官がモーテルになだれ込んでくる。やがて、偶然居合わせただけの若者たちが、白人警官のおぞましい尋問の餌食となっていくのだったが…。
オフィシャル・サイト=http://www.longride.jp/detroit/

感想:1967年の黒人暴動に関する映画。

冒頭アニメで黒人への人種差別が横行し、暴発が必然だったと示される。
その上で、暴動の中で起きた「アルジェモーテル事件」をすごくリアルに、起きた事そのままの雰囲気で描く、この間40分、観客は白人警官による違法な虐待・尋問・殺人に付き合わされ、この部分に衝撃を受ける。
だがその描写は「ありのまま」であって、映画制作者のメッセージ性は皆無である。その後映画は無罪になった裁判をつまんで描き、2017年の同様事件への誘導もせずメッセージ性なく終わる。

映画としての出来としての感想は下の中だ。黒人差別へのメッセージ性、その意味を語る物語性が皆無で、ただ起きた事を描くのに終始しているからだ。黒人差別が悪い事は当たり前であり、普通の創作作品ならそこへ何らかの物語性や独自メッセージを加えるが、この映画では一切それがない。

これは白人からの抗議などの騒動を避ける方法であると同時に、「ユナイテッド93」以降のある種の映画路線であろう。そこでは事件の迫真性のみが商業的成功の鍵とされ、「ありのまま」が意図的に演出されている。2017年も黒人差別と向き合うアメリカ人にはこれで十分、強いメッセージなのであろう。しかしとりあえず黒人差別と無縁の日本人には、アメリカの商業映画によくあるある種の暴力映画にすぎず、あまり面白くない・あまり意味のない映画になってしまった。

この映画はアメリカ人には偉大な社会的映画だが、日本人にはありふれた暴力映画に見える。この「観客による映画の意味の差」は次の仮定で実証されるだろう。例:映画「大震災時の関東の朝鮮人関東大震災時の朝鮮人虐殺をある朝鮮人集団を焦点にリアルに残酷に、その殺される過程を描き、その後の裁判で殺した日本人が全て罪を問われる事がなかった事を描く映画だ。ラストに2017年の朝鮮人へのヘイトスピーチの様子を少しだけ挿入する。この映画の日本人への意味を推測すれば上記は正しい。(映画の原作には例えば「関東大震災朝鮮人虐殺の記録: 東京地区別1100の証言」現代書館、西崎雅夫。2016年)

追記:ビグローのこの映画はリアル、起きた事そのまま、に見えるが。恐らくそうではない。裁判では事件の詳細は調べられなかった様子であり、アメリカ社会でこの事件の経緯が映画そのままとは思われていないだろう。映画紹介ではビグロー監督はこの映画のため現場の生存者に取材しており、映画「JFK」と同じようにある種の新しい事実と思われる。ただ大筋その内容は真実だろう。