zames_makiのブログ

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日本の日蝕(1959NHK)戦争ドラマ

毎日新聞2015年8月14日夕刊記事

【加害責任に挑め 評論家こうたきてつやさん、戦後70年テレビに注文】 要旨:ドラマでは「私は貝になりたい」が有名になったが演出家の岡本愛彦氏は作品が在日韓国人の方からこのドラマは被害者意識でしか作られていないと言われショックを受けていた。岡本さんは生前に自分の作品よりNHK「日本の日蝕」の方が認めていた。市民の加害責任を描くのは難しい、大衆や政治家は嫌う。戦争を描く上ではNHK連続ドラマ(「カーネーション」や「ごちそうさん」など)は女性の視線で戦争はおかしいとみている。

製作:NHK大阪  放送:1959/10/09(単発) 放送時間:20:30-21:40 75分
脚本:安部公房 演出:和田勉 音楽:小倉博
出演:伊藤雄之助(駐在・大貫忠太)、山田巳之助(村長)、伊東亮英(助役)、加藤精一(住職)、津島道子(村の女A)、美杉てい子(飲み屋の女)
NHKオンラインによる解説:1945年(昭和20年)2月、雪深い東北の小さな村に、近くで耐寒演習をやっていた小隊からの脱走兵が現れた。憲兵隊から連絡を受けた駐在巡査・大貫忠太は、村長の家へ急いだ。村人は恐怖と不安に陥る。その脱走兵が村の巡査の息子だと分かり・・・。ラジオドラマとして放送された作品を、テレビドラマ化した。

こうたきてつやさんによる要旨

戦時下駐在巡査の息子が脱走兵として村に現れるが、村人にも、父親である駐在にも拒否され、自殺してしまうストーリー。戦争に対する日本人の加害性をきちんと描いた。難解との批判を受けたがドラマの演出家和田勉は「どこが分からないのかわからぬ」と嘆いた。

TVドラマデータベースによる情報

芸術祭参加、第14回芸術祭奨励賞受賞(演出・和田勉)対象作品。
概要:

戦時中の事件を通して、人間社会の不条理を映像化。事件は1945年2月、戸数50ばかりの雪深い東北の寒村で起こった。近くの北山で耐寒演習をやっていた小隊から脱走兵が出たのだ。町の憲兵隊から連絡を受けた駐在巡査大貫忠太は、白い息をはきながら村長の家へ急いだ。村は恐怖と不安に陥った。

「テレビドラマ」1959/12月号記事:

「(前略)ラジオに書いたものをテレビに書き直すことは当然あり得るわけで、それは問題がないとして、その意欲的なテーマと演出に、全体として何か素直に受けとれないものがあった。
 力作であり野心作であることは認めるが、クロースショットの濫用や、必要以上に力みすぎた演出が、却って感銘をうすくした感があった。個性的な俳優を集めた個々のショットは大変に印象的で息苦しい緊迫感はよく出ていたし、構図も的確であったと思われるのに、ドラマの流れがスムーズに行かなかったのではないかと思われる。人物の心理的な内面をイメージでとらえようとする意図も、それ程必要とも思われない心理表現にまで押しつけられると、いささかわづらはしくなる。しかし他の作品が映画的な表現方法をとろうとしていたのに対し、何かテレビ的な表現というものに真向から立ち向かっている演出者の努力は認められるべきで一応問題になるものであろう。
 ただストーリー自体新鮮味がなく、戦争というものをこのように扱ったものが過去に多すぎただけ、感銘に乏しかった。【文:堀江史朗】」

疑問

1:堀江はこのドラマのストーリーをどのようなものと受け取っているのか?
2:堀江は同様な物語が1959年時点(テレビ放送開始数年しかたっていない)で多数あるとしているが本当か?ちなみに映画でも滅多にない(類似作「死闘の伝説」)
3:堀江は必要以上に力みすぎた演出が失敗としているが本当か?

NHK番組公開ライブラリーで視聴可能:http://cgi2.nhk.or.jp/chronicle/opl/result.cgi?q=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%97%A5%E8%9D%95&fy=&ty=&x=0&y=0