zames_makiのブログ

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2015年注目すべき戦争映画

最近未見のものや新規のもので注目すべき戦争映画がいくつかあるので記す。

賞賛すべき映画

  • 野火(2015)塚本晋也作品、食人の倫理の如何という形而上学に逃げず、リアルで生々しい問題としての悲惨な戦争の提示。食人より戦争自体の方がはるかに罪悪である事を感じさせる。少額により自主製作映画の勝利。
  • 猫は生きている(1975)島田開監督、早乙女勝元原作。子ども向けの東京大空襲ものだが、人形劇という手段でもこれ以上ない悲惨さを表現している。その表現力の強さに映画にタブーはない事を思い知らされた。子どもより大人にとり必見の映画だ。
  • ザ・パシフィック(2010HBO)より沖縄戦およびペリリュー戦、未見だった米国のテレビ映画。文句なく最もリアルな太平洋戦争映画だろう。これ以上なく汚く残酷で凶悪で人を狂気に導く戦場の現実が表現されている。沖縄住民がどのように死に追い込まれたかよく理解できる。
  • 日本鬼子(2000)松井稔監督。中国戦線の事実を語るドキュメンタリー。DVD発売された。住民虐殺、強姦、敵兵の扱いなど日本軍がした事が生々しく語られる。160分の長尺で視聴後にものすごい重さを感じるもの。NHK他多くの戦争ドキュメンタリーが存在するが、99%は日本軍の加害性を述べない、戦後70年をすぎもはや日本軍のした事をそのまま語るドキュメンタリーはこれ以上のものは最早作れないだろう。日本のした戦争を知るために全日本人が見るべき必見の作品だ。
  • ヒロシマの証人(1968)斎村和彦監督。戦後も苦しむ被爆者の姿をドラマで見せる手法での最高作品と思われる。きちんとした脚本と演出、俳優陣、明確な主張とメッセージ、醜い事実に眼をそむけてきちんと描写し提示する意思など他に比べようがないように思う。これを見れば1968年現在も被爆者が苦しみつつあり、国からからも見捨てられている事実が改めてわかる。ABCCなどアメリカへの批判も明確である。原爆は醜い、それを避けて語る多くの映像作品の限界を思い知らされる。

批判すべき映画

  • 日本のいちばん長い日(2015)原田眞人監督。戦争の歴史とサスペンスを期待して見たら、ふぬけた天皇崇拝映画だった。「天皇には開戦の責任はなくともかく終戦を指導したのが大事だ」「反乱軍の軍人もまともな人間」など監督の余分な解釈が入っていて危険だ。そもそも終戦の騒動の背景・焦点・人物の政治的立場が説明されておらず多くの観客には登場人物が何にこだわって騒いでいたかほとんど理解できないだろう。例:受諾条件とは?なぜ陸軍と海軍が対立するのか?雑誌インタビューを読むと原田監督は明らかな天皇崇拝者で前作が気に入らなかった由、現場でもスタッフに本木くんを天皇と思って敬語を使えと言っていたらしい、恐ろしい事だ。なお昭和天皇には明確に軍事的責任がある(具体的な軍事作戦の相談や指示をしている)のは現在では明治大学山田朗教授(歴史学)が明確にしている。つまりその戦争責任は明確だ。昭和天皇終戦に熱心だったのは平和主義でも日本人各個人の生命の保障のためでもなく、自分が統治する日本という国家を存続させる「帝王学」の論理にすぎない。彼の開戦への態度も同様だ。やはり普通なら死刑か少なくとも退陣である。
  • 永遠の0(2013)特攻の事実を歪め若者に戦争は仕方ない必要だと錯覚させる今日風の右翼映画。特攻や戦争の事実を知っていれば序盤から非現実的すぎて退屈するましてやラストなど馬鹿馬鹿しくて見られぬ。だが戦争について何も知らぬ若者はコロリと騙され、これは戦争賞賛じゃないなどと自分の言っている事も理解できぬまま騙される。本当に憎むべき映画だ。
  • 風立ちぬ(2014)上記とよく似る戦争賞賛映画。物語があまりに退屈でつらぬ上に全てが夢落ちで戦争を仕方がないと賞賛する映画。単に自分の中の葛藤(戦争は嫌い、でも兵器は大好き)を整理できぬ老人による駄作だが、問題は金儲けの理由や庶民の盲目的な宮崎への個人崇拝により、世間では反戦だ芸術だとされてしまう事だ、現実の零戦設計者の姿との乖離はあまりに甚だしい。
  • ソ満国境15歳の夏(2015)満州移民、日本の戦争の経緯。根拠をまったく述べぬまま、ただ少年に努力を要求する危険な映画。社会的悪の根拠を示さぬままそれへの対処のみ要求する事は、その悪(原発事故を放置した東電、満州棄民を行った日本政府、民間人を見捨てた日本軍)への迎合になりかねない。
  • ジョバンニの島(2014)上記によく似る。シベリア抑留を奇妙に避けている失敗作。
  • パレンバン奇襲作戦(1963)東映。戦後の作でありながら日本軍の軍事的勝利を正面から賞賛し娯楽のネタにした映画。こんな映画あるとは!