zames_makiのブログ

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日露戦争の記録映画(NFC)

複数バージョン特集1――日露戦争の記録映画 (計65分)
 複製技術を基盤とし、製作・配給・興行の複雑な過程をもつ映画は、その歴史において多くの「複数バージョン」を生み出してきた。本企画では、日露戦争関東大震災の記録映画という、とりわけ多くの異版を生んだジャンルを、最新の調査研究の報告とともに上映する。 フィルムセンターが所蔵する多くの日露戦争記録映画は、英アーバン社のカメラマン、ジョゼフ・ローゼンタールが撮影した『旅順の降伏』(現在のところオリジナル版の完全な現存が確認されていない)のフッテージが再利用されており、同作品の「複数バージョン」である。

旅順の降伏 PORT ARTHUR SIEGE AND SURRENDER

1904-05(アーバン)(撮)ジョゼフ・ローゼンタール(13分・14fps・35mm・無声・染色)
オリジナル版全24場面のうち、前半の12場面で構成。明治神宮フッテージが挿入されており、同神宮が創建された1920年以降に上映されたプリントと思われる。個人寄贈の35mm可燃性染色ポジからの復元。

感想

カタログ記載の24シーン中12シーンがその順に流れる。ここの映像はほぼ全て実際の中国で日本軍に同行して撮影した映像のようだ。だが攻撃場面はその撮影角度などからおそらく日本軍の演習だろう。冒頭タイトル前に1教育勅語靖国神社の静止画像が挿入されており、1921年以降に日本で教育目的で改変されたものだろうと、NFCメモは言う。映像はほとんど日本軍を写すもので、1横浜での出征の行進2日本軍将軍がテントで寛いで語らう3中国での行軍4中国で物資輸送(こもに包まれた米→後の映画では大砲部品と説明)4日本軍の突撃(やや側方から写す)5日本軍の突撃(前方から写す)6巨大大砲の弾込めから発射まで7巨大大砲の連続発射8山側面への弾着9破壊された要塞?など、
以後は他の映画で10ステッセルロシア将軍や日本軍将軍が会見にやってくる11ロシア将軍の妻や子がやってくる12ロシア兵が降伏してやってくる
などか。
 全てサイレントで説明台詞、字幕もない。全体に着色されているものあり。
感想=攻撃シーンも含め映像そのままで、営巣を使って何かを語る要素はほとんどない、戦争そのものが珍しく大変な見世物だったと言うべき。戦闘や攻撃シーンに日ロ共に死体なく、絵はがきをみているような遠さを感じる。だが同時上映の後の(1930年頃)映画では、日本賞賛の「適切」な字幕が挿入され、日本軍の勝利・栄誉・栄光・偉大さを訴えている。

國寶的記錄映画・旅順開城と乃木將軍

製作年不詳(アーバン)(撮)ロゼン・シャール(ローゼンタール)(24分・14fps・35mm・無声・白黒)
当館が所蔵する最長の日露戦争記録映画で、『旅順の降伏』の18場面を含む。日露戦争期に巡回興行をしていた駒田好洋の設立したセカイフィルム社が1935年に公開したバージョンが改変され、後半に奉天攻撃の様子を再現したフッテージが繋ぎこまれている。既蔵16mmデュープネガを基に初めて35mmプリントを作成。

実戰記録映画 懷ひ起せ 日露大戰

1932(杉本商会)(10分・16fps・35mm・無声・染色)
一場面を除き『旅順の降伏』とは異なるフッテージで構成された、新規収蔵の日露戦争記録映画(素材協力:プラネット映画資料図書館、原版管理:神戸映画資料館)。

日露海戦 COMBAT NAVAL RUSSO-JAPONAISE (参考上映)

1904(パテ)(撮)リュシアン・ノンゲ(3分・16fps・35mm・無声・白黒)
『旅順の降伏』のフッテージを含まない唯一の既蔵プリント。模型を用いて海上の戦闘を再現。

明治大帝の御英姿及び日露戰爭の中心人物 短縮篇(参考上映)

1929(大阪フィルム商会)(15分・14fps・35mm・無声・白黒)
従来『日露戦争記録』として知られてきたが、大阪フィルム商会が『旅順の降伏』のステッセル将軍降伏の場面に別作品を繋ぎ合せ、1929年に公開したバージョンであることが判明した。

上映 NFC

9/27(土) 1:00pm 10/7(火) 7:00pm 上映途中に当館研究員の解説を挟みながらの上映となります。